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繍口錦心
しゅうこうきんしん
(錦心繍口 きんしんしゅうこう
作家
作品

泉鏡花

【薄紅梅】

 立寄る客なく、通りも途絶えた所在なさに、何心なく、じっと見た若い女房が、遠く向うから、その舌で、頬を触るように思われたので、むずむずして、顔を振ると、短冊が軽く揺れる。あごで突きやると、向うへ動き、襟を引くと、ふわふわと襟へついて来る。……
「……まあ……」
 二三度やって見ると、どうも、顔の動くとおりに動く。
 頬のあたりがうそがゆい……女房はくすぐったくなったのである。
 袖で頬をこすって、
「いやね。」
 ツイと横を向きながら、おかしく、流盻ながしめそっくと、今度は、短冊の方からあごでしゃくる。顎ではない、舌である。細く長いその舌である。
 いかに、短冊としては、詩歌に俳句に、繍口錦心しゅうこうきんしんの節を持すべきが、かくて、品性を堕落し、威容を失墜したのである。
 が、じれったそうな女房は、上気した顔を向け直して、あれしょうの、少し乾いた唇でなぶるうち――どうせ亭主にうしろ向きに、今もまげめられた時に出した舌だ――すぼめ口に吸って、濡々とくちした。
 ――こういう時は、南京豆ほどの魔がおどるものと見える。――
 パッと消えるようであった、日の光に濃く白かった写真館の二階の硝子窓がらすまどを開けて、青黒い顔の長い男が、中折帽をかぶったまま、戸外おもてへ口をあけて、ぺろりと唇をめたのとほとんど同時であったから、窓と、店とで思わず舌の合った形になる。
 女房は真うつむけに突伏つッぷした、と思うと、ついと立って、茶の間へげた。着崩れがしたと見え、つまよじれて足くびが白く出た。

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  • このサイトの制作時点では、三省堂の『新明解 四字熟語辞典』が、前版の5,600語を凌ぐ6,500語を収録し、出版社によれば『類書中最大。よく使われる四字熟語は区別して掲示。簡潔な「意味」、詳しい「補説」「故事」で、意味と用法を明解に解説。豊富に収録した著名作家の「用例」で、生きた使い方を体感。「類義語」「対義語」を多数掲示して、広がりと奥行きを実感』などとしています。

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Last updated : 2024/06/28