菱川師宣 画 |
- 『東海道分間絵図』は、
遠近道印 (寛永5年(1628年) - 没年不詳)が作成した分間図を基に、絵師・菱川師宣 (菱川吉兵衛 )(元和4年〈1618年〉 - 元禄7年6月4日〈1694年7月25日〉) が絵画的要素を加味した街道風景を描いて完成させたもの。元禄3年(1690年)の刊行。 - 江戸・日本橋から京・二条城までを5帖の折本に描いている。
- 道路の長さが縮尺に従って正確に表され、その屈曲についても方位を知り得るように配慮されている。縮尺は三分一町(12,000分の1)と明示されており、表題の「分間」は何分何間の略で、今日の縮尺という語に相当する。[参考:国立国会図書館デジタルコレクション]
東海道分間図 、東海道綱目分間之図 、東海道分間之図 などとも呼ばれる。- ここでは、国立国会図書館が所蔵する版の一つを1ページにまとめた。
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東海道分間絵図
序
それ図とは言語不休、覆障不知の理を顕を以って事となり、是を名づけて図という。
古今の名賢下劣の頑愚に至る迄、通満所用する所也。
然と雖ども往昔より大概の撰図多々なりといへども、分間細々たることなし。
殊に世間の移り替るに随て路道に遠近出来、用に詮無し。爰に遠近道印と云人。江府の図を始て一分五間の積りに五枚にあみたて、書肆にあたえて世に流布せり又去年、一分拾五間の割を以て、分間江戸の圖と題し正改す。
其他、一分四拾間の懐中の図、考と雖ども分厘のただえなし。故に上一下万人に至る迄、一同の名誉を唱ること勿論也去るに依り道印に因んで東海道五十三次の道法分間に顕し而、所々の景、村付け、馬次、家並、名所、旧跡、山川、海道、微細に考え、既に板行令と清書を画師菱河氏に請う。時に彼師云う指図計りにては通達の慰用共ならず。唯右の図を風俗に顕し、うるわしきを以って高位の簾中、下劣の女童に至迄、明鏡に向かいて自面之みるがごとくならしめん。と功筆を抜す。
凡そ此の両家は名誉を世に顕し、貴賎一同免する所の名人たり。誠函蓋相応、毛頭のたがへなきを以って、板行流布令むる者也。