『浮世絵・錦絵』などを見る「目次」 
《喜多川歌麿の浮世絵・錦絵》
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《養蚕を描いた錦絵》
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女織蚕手業草 
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養蚕之図 

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女織蚕手業草じょしょくかいこてわざぐさ
喜多川歌麿きたがわうたまろ
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  • 江戸時代の浮世絵師、 喜多川歌麿 きたがわうたまろ (宝暦3年・1753年頃? - 文化3年・1806年)の女織蚕手業草じょしょくかいこてわざぐさ
  • ボストン美術館所蔵。
  • ボストン美術館によれば、1798年(寛政10年)– 1800年 (寛政12年) 頃の刊行。(寛政10年は、今から227年前)
  • 蚕(カイコ)を飼い、繭から生糸(絹)を作る養蚕業に勤しむ女性たちの姿は、この歌麿の絵のおよそ30年前の1772年頃にも、勝川春章北尾重政によって「かゐこやしなひ草」として書かれ、また、歌川重宣(広重二代)、玉川舟調、菊川英山、歌川貞秀、歌川房種、歌川芳員、歌川芳藤、楊洲周延らによっても題材とされている。
     「かゐこやしなひ草」を見る  
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喜多川歌麿きたがわうたまろ《 女織蚕手業草じょしょくかいこてわざぐさ 》
蚕種の紙に産み付けたるが三月中気穀雨前後に生まれ出るをかへるといふなり 既に帰り出て一番二番などゝ別ち折敷ヘ入 桑の葉をこまかにきざみあたふるなり これを黒子とも壱つずへともいふなり
蚕わづらひなやむ事四度あり是を眠ともよどむ共いふ すべてやすみの時は桑をあたふるに是加減有
蚕三度の休の後桑をくるゝの図
次第に大きになりますます多くなる故 外の竹箔やう乃ものにうつし桑の葉を割み製するにいとまなし
蚕四度めの休 大眠の図
にわの休とも云 追付起出べき時をうかゞひ其用意をなす体なり
大眠起して後桑の葉を製する図
大眠起して後桑をくるゝ事まへまへよりは多きゆへ 桑の葉を採製するにいとまなくいそがしき体なり
蚕まゆを作る図
はい子といふ 広きふたの類に椎柴などの物を敷入て ひきりたる蚕を置てわらをおゝいにしてまゆを張すなり 四五日もして後まゆを一つつゝもぎはなして取なり まゆ張物をぞくといふなり
蚕の種を取図
簇物(まゆはるもの)より取時 形のよき蚕をゑらんで 糸にてくゝり釣置はひがの蝶になり 出る牝牡を一つにして紙に移し置は段々子を産付るなり これをうは子といふ
蚕糸を吐終り蝶になりて飛図
これを蚕蛾といふなり
繭を糸にくり取図
生繭を塩に浸すことあり 大き成壺の内底に竹の簀を入 其上に桐の葉を敷 又其上に繭を敷ならべ また其上 桐の葉を敷て塩をふりかけ よく蓋をして上を泥にて塗ふさぎ 七日して取出し 釜に入 わくにかけて糸にくり取なり
糸綿を択み分る図
まゆはりより糸をおろし 色白くいさぎよきを細糸のまゆとし 色黒きを粗糸乃まゆとす 真綿に引ても上中下をゑらみ分ち 形を作りて束綿幾ばく把とするなり
蚕の神を祭る事はむかし 軻遇突智かぐつち埴山姫はにやまひめに逢て 雅産霊わかむすびを産 此神の頭に蚕と桑となれり 故に 日本にては雅産霊を祭るへきものか 人皇二十二代雄略天皇乃御后みつから養蚕し給ふ 唐土にては黄帝の后 西綾氏を始とする也
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Last updated : 2024/06/30