江戸名所図会
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- 『
江戸名所図会
』
は、全7巻、20冊からなる絵入りの江戸の地誌。江戸名所の集大成と評される。
- 斎藤幸雄(長秋
)が、寛政年間の江戸府内などの実地調査をして原稿を執筆したが刊行出来ず、その子
幸孝(莞斎)、孫の幸成(月岑)へと引き継がれ三十余年の時を経て三代で完成。第一巻から第三巻までの 10冊は天保5年〈1834年〉に、第四巻から第七巻までの 10冊は天保7年〈1836年〉に刊行された。
- 寛政から天保に至る、江戸およびその近郊の町・神社・仏閣・名勝地・旧跡・橋・風俗などを多数の絵とともに説明。丁数で 1,160余、ページ数で 2,300余にのぼる大作。
- 月岑は『附言』で次のように記す。
この書は祖父が寛政中の編にして、父
県麻呂が
刪補、文化の末に至りてなり、文政の今に至りて上梓の功を終りぬ。凡そ年序を経る事三十有余年、江都
蕃昌に
随て、神社寺院、境地沿革するもの
頗る多し。一向の小祠も
須臾に壮麗たる大社となり、
纔の草庵も
巍然たる荘厳となれるもの少なからず。或いは
祝融の
災に
罹りて楼門回廊を焼失し、礎石のみ存するの類、興廃枚挙すべからず。
然りといへども時々是を改むる事
能はず。故に今時の
躰に
差へるもの多し。見るものいぶかる事なかれ。
斎藤月岑識
[注]
斎藤長秋
:1737〈元文2〉年 - 1799〈寛政11〉年(長秋が没した寛政11年は、)。
斎藤莞斎
:1772〈安永元〉年 - 1818〈文化15〉年。
斎藤月岑
:1804〈文化元〉年 - 1878〈明治11〉年。寛政:1789年 - 1801年。文化:1804年 - 1818年。文政:1818年 - 1831年。
刪補: 取り去ったり付け足したりすること。年序:年数。沿革:漸次にうつり変わる。一向の小祠:まったく小さな祠。須臾:わずかの時間。巍然:際立っているさま。祝融の災い:火災。火事の災難のこと。
- 絵は長谷川雪旦(安永7年〈1778年〉- 天保14年1月28日〈1843年2月26日〉)。挿画はその多くが鳥瞰図の技法で描かれる。
- 寛政から天保に至る、江戸およびその近郊の町・神社・仏閣・名勝地・旧跡・橋・風俗などを多数の絵とともに説明。丁数で 1,160余、ページ数で 2,300余にのぼる大作。
- ここでは、国立国会図書館デジタルコレクションが公開するデータへのリンクを設け、国立国会図書館の該当するページを直接開けるようにした。ここでリンクした全7巻のトップページ
- また、各ページからは、『江戸名所図会』に掲載された図版のうち、765図を直接閲覧できるようにした。
- ここでの目次内の各巻の地名は、第十冊目の刊記・版元表記による。
- 国立国会図書館での「江戸名所図会」に関する所蔵版は、ここで紹介する版と同年に刊行された別の版の他に、大正、昭和に活版印刷で出版された版が認められる。大正、昭和の版は文字を翻刻して印刷してありくずし字を読むことができる。
『江戸名所図会』から、1,100 を超す地点を地図上に表示するページを用意した。
地図で見る『江戸名所図会』
『江戸名所図会』から、続き絵をパノラマ画像に。
パノラマ画像で見る『江戸名所図会』
『江戸名所図会』から、五百羅漢と称される僧の名前を一覧にした。
『江戸名所図会』に見る「五百羅漢」
参考文献
第1冊・第2冊・第3
日本橋|本町通|神田|小川町|飯田町|両国|霊岸島|八丁堀|築地鉄砲州|芝口|愛宕下|西久保|赤羽根|三田|魚籃|白銀|芝浦
第4冊・第5冊・第6冊
品川駅|大井|鈴ヶ森|池上|矢口|大森|蒲田八幡|六郷|川崎|鶴見|生麦|神奈川|本牧|程ヶ谷|杉田|金沢
第7冊・第8冊・第9冊・第10冊
外桜田|霞関|永田馬場|平川|溜池|麻布|広尾|青山|目黒|碑文谷|北沢|世田ヶ谷|渋谷|四谷|千駄ヶ谷|代々木|高井戸|武蔵野|府中|玉川|向ノ岡
第11冊・第12冊・第13冊
市谷|牛込|小石川|大窪|柏木|成子|堀之内|中野|小金井|築土|高田|大塚|雑司ヶ谷|巣鴨|板橋|練馬|大宮|野火留
第14冊・第15冊
湯島|上野|日暮里|根津|谷中|三崎|駒込|王子|川口|豊島
『江戸名所図会』から、1,100 を超す地点を地図上に表示するページを用意した。
地図で見る『江戸名所図会』
『江戸名所図会』から、続き絵をパノラマ画像に。
パノラマ画像で見る『江戸名所図会』
『江戸名所図会』から、五百羅漢と称される僧の名前を一覧にした。
『江戸名所図会』に見る「五百羅漢」