『浮世絵・錦絵』などを見る「目次」 『浮世絵・錦絵』などを見る 江戸の火消(ひけし)・江戸の纏(まとい) 「守貞謾稿(もりさだまんこう)」に見る纏(まとい)など喜田川守貞著 画像ポップアップ 全画像スライド 江戸町火消「いろは四十八組(しじゅうはちくみ)」の、「い組」の纏は「芥子(けし)の実に枡(ます) 」の図案とされることもあり、”消します” の洒落で大岡越前守が命名したとの説もあるようです。 当サイトでは、この説について「東京消防庁」での記述を参考にしていますが、その典拠の記述が見られません。 [参考] 東京消防庁 そこで、江戸時代の風俗の百科事典的意味を持つ大著とされる「守貞謾稿(もりさだまんこう)」を紐解いてみることにしました。 結論から言えば、守貞謾稿の「巻の四 人事」に、い組の纏に関する記述はありましたが、残念ながら「芥子の実」「枡」「消します」 についての記述はありませんでした。 また、その他の纏についても、何を象ったものかの意匠についての記述もありませんでした。 また、「江戸三火消図鑑」(復刻版:1988年〈昭和63年〉刊(原本:1941年〈昭和16年〉刊))でその解説を書いた風俗史家の谷峯藏は、『纏の形象図の本は幕末までに何冊も刊行され〈略〉ながら、その名称・由来をとどめた記録は一切ない』としています。 以下に、守貞謾稿の「火消」「纏」「組」などに関する部分を見てみます。 守貞謾稿(もりさだまんこう) は、喜田川守貞(きたがわもりさだ)による江戸後期の風俗誌で、前集30巻・後集4巻からなる。 天保8年〈1837年〉に記録を始め嘉永6年〈1853年〉成立。その後慶応3年〈1867年〉ごろまで加筆された。 江戸時代の風俗に関する考証随筆であると同時に、近世風俗の百科事典的意味を持つ大著とされる。 [参考] 守貞謾稿 Wikipedia 下の画像をクリックすると、画面サイズに合わせて拡大して見ることができます。 「守貞謾稿(もりさだまんこう)」に見る纏(まとい)など喜田川守貞(きたがわもりさだ) 「い組」の纏の説明が見られる。 「い組」の纏の上の物は「方円」と記されている。つまり、方形と円形のことで、この部分を「だし」と言い、下に馬連(ばれん)を下げるとされる。 江戸市井、享保四年、官命してその党を分つ。これ火災の時防火夫を役するに依る。同五年、纏(まとい)に方域を記したる吹流し、及び法令を書きたる幟(のぼり)を属す。(纏は武具の馬印と形相似たり。これを各党の標とす。吹流し、幟ともに旗の類なり。防火夫を俗に火消人足と云ひ、党を組合と云ふ) 夜中には高挑灯(たかちょうちん)をもってこれに代ふ。(その党の纏を画けり。今世はその党名の国字・数字を書く。字墨、地赤なり) 同十五年、四十七組を十に分つ。(従来纏にばれんと云ふ物無これなし。当年よりばれんを付して馬印の形とす。また当年より吹流しを止む。又従来毎町および巨戸より夫を出す者小幟を用ふ。当年より小形の纏を用ふ、この時、大纏・小纏ともに銀箔押なり。その後、小纏を止め大纏一組一本とす。また白粉塗を用ひ銀箔を止む。今も武家纏は箔押なり) その後、大河以東にも党を定め夫を役す。これには数字を用ふ。 い組纏の図 かくのごとく方円等を上にす。俗にこれを陀志と云ふ。字後考。出か。けだしだしは各党その形を異にして、もって標とす。 この細き物を数個下げたる、これを馬連と云ふ。字後考。馬連は各党皆必ずこれあり。その形同きなり。ただ千組のみ、出しにもばれんありて二重馬連なり。 人足四百九十六人。 「い組」の記号、印半纏などの説明が見られる。 記号は国字〈ひらがな〉を用い、「しるし」と言う。「ろ」以下も書風はこの形に准ずと記される。 い組記号 国字をもって記号とす。呂以下、書風この形に准ず。俗に組合のしるしと云ふ。俗、すべて党を組あるひは組合と云う。記号をしるしと云うこと、防火夫のみにあらず。今俗惣じてこれに同じ。 同 この方円記号のごとき纏の陀志に因みし、あるいは因なきのものもあり、手提灯、半天とも云う服等にこの記号を描くなり。 い組印半天図 木綿をもってこれを制す。寸法等半天条に図すると同制。い組の組合 印半天(しるしばんてん)は、地白に紺の角つなぎなり。この形を敷瓦と云へり。他組は鼠地に紺紋のものを専らとす。当組にも地鼠にするものあるか。背の大紋、衆夫はい字の記号を描きたり。纏夫は纏の字を大紋とし、階子持(はしごもち)は階子字を描けり。 毎組衆夫の大紋は国字・数字等、また纏・階子等の大紋各同制。衿(えり)には一番組・二番組等の字を書く。地文各異なるなり。 図のごとき半天、あるいは雲斉織をもって制すものあり。これには木綿真田織(さなだおり)をもって笹べりを付ける。また長半天と云ふ者あり。同制にて長し。丈(た)け大略三尺二、三寸か。 また図のごとき組合印半天すなわち町抱駈付(ちょうがかえかけつけ)等は、抱町より与ふ所これなり。あるひは自費に製し著すもあり。 また半天・長半天ともに防火の時出役する夫は、木綿糸をもって縦横に刺したるを用ふ。かくのごときは専ら袷(あわせ)にす。町抱・店抱ともに給す所の半天は皆単(ひとえ)なり。 また長半天・常の半天ともに刺したるは、火場水を含むを要すこと猫頭巾(ねこずきん)と同意。また半天・長半天ともに平日生業の時もこれを着す。 「い組」の革羽織や、その他の組の纏の図が見られる。 同革羽折図 地 薫革(ふすべがわ)、諸紋字白 長(た)け裁縫など羽折条下に記すと同制。背の大紋には、い字または纏・階子等の字を描く。 仕事子冬日他行には、専ら革羽折を著す。あるひは図のごとき自党記号のものを著し、あるひは巨戸得意より給ふ所をも著す。けだし諸党あるひは自党会合の時等には、必ず組合印のあるを専らとす。 かくのごとく乳付の処に孔を穿ち紐を表裡に出入す。臨時裡をもって表とし著す故なり。革羽折価、大略金三両ばかり。 〈よ組 は組 に組 万組 略〉 以上、い・よ・は・に・万五組を一番組とす。ろ組以下纏図これを略す。その陀志は 異(い)なりといへども、おほむね右に准ずるなり。よ組以下、記号またこれを略す。 各組の構成などが見られる。大組の名前のうち、四番組、七番組はなく、国字の「へ」「ら」「ひ」を闕(か)くと記される。 防火人夫を俗に火消人夫と言うとされ、平日は土木の用を業とするとされる。 火事場への出場風景を記す。 〈ろ組以下、各組の人数など略〉 大組の名、四番組・七番組を欠き、国字へ・ら・ひを闕(か)く。 右の防火夫を俗に火消人足と云ふ。この火消人足は平日土木の用を業とし、京坂に云ふ手伝ひと同じきなり。火場に出るに各自必らず鳶口(とびぐち)と号す具を携ふが故に、彼輩を鳶の者とも云ふ。また仕事師と云ひ、毎党の長を頭取と云ふ。また町抱となる者を頭と云ふ。 また火場に出るに鳶口のみを持つを平(ひら)人足と云ふ。諸具を持つ者を良とす。その内にも纏を持つを良とし、楷子(はしご)これに次ぐ。竜吐水(りゅうどすい)および玄蕃桶(げんばおけ)等を持つは平人よりも下とす。纏と楷子の夫を道具持ちと云ふ。 平人足の上、道具持ち平人の功ある者を択びてこれを命ず。道具持ちより頭取に至るなり。 火場に行くに名主は野袴に火事羽折・革兜頭巾を着し先に立つ。次に家主もその組の記号ある半天・紺股引(ももひき)なり。これまた頭巾を携ふ。鳶の者はその次に群れ行く。刺子(さしこ)の半天に猫頭巾、各手に鳶口を肩つき持ち、異口同音木やりを云ふ。その声キヤアキヤアとして殺伐の声のみなり。 鳶人足の前に楷子、人足の央(なか)に纏、後に龍吐水なり。 『浮世絵・錦絵』 などを見る「目次」 おすすめサイト・関連サイト…