名数録めいすうろく
- 名数とは、世界三大発明・日本三景など、同類のものに数をつけて総称する呼び方 -

日本三景にほんさんけい
 日本三景とは、「松島」「天橋立」「厳島」の三つと言われている。
江戸時代前期の儒学者・林春斎が寛永20年(グレゴリオ暦1643年)に執筆した著書『日本国事跡考』で、「松島、此島之外有小島若干、殆如盆池月波之景、境致之佳、與丹後天橋立・安藝嚴嶋爲三處奇觀」(松島、この島の外に小島若干あり、ほとんど盆池月波の景の如し、境致の佳なる、丹後天橋立・安芸厳島と三処の奇観となす)と書き記した。これを端緒に「日本三景」という括りが始まったとされる。

松島まつしま

宮城県

[陸前]

松島まつしまとは、宮城県の松島湾内外にある大小260余りの諸島のこと。または、それら諸島と湾周囲を囲む松島丘陵も含めた修景地区のことである。日本三景の1つに数えられている。松島は、仙台平野を南北に分ける松島丘陵の東端が海にまで達し、それが沈水して出来たリアス式海岸がさらに進んだ沈降地形で、溺れ谷に海水が入り込み山頂が島として残った多島海である。全体として松島湾(広義)を形成し、湾内の水深は10メートル以内である。これは、この一帯が過去から大きな地震のたびに地盤が少しずつ沈下してできた地形であることを物語っている。[出典:Wikipedia]
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天橋立あまのはしだて


京都府宮津市

[丹後]

天橋立あまのはしだては、京都府宮津市の宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てる砂州である。天橋立は、宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔て、全長3.6キロメートル及ぶ湾口砂州とされる。形成についての詳細には諸説ある。2万年前に宮津湾が完全陸地化して後、約7~8千年前に氷河期が終わって海面上昇が落ち着くなか当初水中堆積で発達が始まり、縄文時代の後氷期(完新世、約6千年前)に急速に成長し、2~3千年前に地震により大量に流出した土砂により海上に姿をみせ、有史時代に現在の姿にまで成長したとされる。[出典:Wikipedia]
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厳島いつくしま


広島県廿日市

[安芸]

厳島いつくしまは、瀬戸内海西部、広島湾の北西部に位置する島である。通称は宮島みやじま、また安芸あき宮島みやじまともいう。行政区分は広島県廿日市市宮島町。古代から島そのものが自然崇拝の対象だったとされ、平安時代末期以降は厳島神社の影響力の強さや海上交通の拠点としての重要性からたびたび歴史の表舞台に登場した。江戸時代中期からは、日本屈指の観光地として栄えてきた。景勝地としての厳島の中心は、厳島神社である。海上に浮かぶ朱の大鳥居と社殿で知られる厳島神社は、平安時代末期に平清盛が厚く庇護したことで大きく発展した。現在、本殿・幣殿・拝殿・廻廊(いずれも国宝)などのほか、主要な建造物はすべて国宝または国の重要文化財に指定されている。[出典:Wikipedia]
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Last updated : 2024/06/29