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浄土真宗本願寺派じょうどしんしゅうほんがんじは経文きょうもん

御文章ごぶんしょう

漢字・唱え方など参考:『お経 浄土真宗』(講談社)

御文章ごぶんしょう

末代無智まつだいむちしょう
末代無智まつだいむち在家ざいけ止住しじゅう男女なんにょたらんともがらは、こころをひとつにして阿弥陀仏あみだぶっとふかくたのみまいらせて、さらにのかたへこころをふらず一心一向いっしんいっこうぶつたすけたまえともうさん衆生しゅじょうをば、たとい罪業ざいごう深重じんじゅうなりとも、かならず弥陀如来みだにょらいはすくいましますべし。これすなわち第十八だいじゅうはち念仏往生ねんぶつおうじょう誓願せいがんのこころなり。かくのごとく決定けつじょうしてのうえには、ねてもさめてもいのちのあらんかぎりは、称名念仏しょうみょうねんぶつすべきものなり。あなかしこなかしこ。

御文章ごぶんしょう

信心獲得しんじんぎゃくとくしょう
信心獲得しんじんぎゃくとくすというは、第十八だいじゅうはちがんのこころうるなり。このがんのこころうるというは、南无阿弥陀仏なもあみだぶつのすがたをこころうるなり。このゆえに、南无なも帰命きみょうする一念いちねんところに、発願廻向ほつがんえこうのこころあるべし。これすなわち、弥陀如来みだにょらい凡夫ぼんぶ廻向えこうしましますこころなり。これを大経だいきょうには、令諸りょうしょ衆生しゅじょう功徳くどく成就じょうじゅととけり。されば无始むし已来いらいつくりとつくる悪業あくごう煩悩ぼんのうを、のこるところもなく、願力不思議がんりきふしぎをもて消滅しょうめつするいわれあるがゆえに、正定聚しょうじょうじゅ不退ふたいのくらいにじゅうすとなり。これによって、煩悩ぼんのうだんぜずして、涅槃ねはんのうといえるはこのこころなり。この当流とうりゅう一途いちず所談しょだんなるものなり。他流たりゅうひとたいして、かくのごとく沙汰さたあるべからざるところなり。能々よくよくこころうべきものなり。あなかしこあなかしこ。

御文章ごぶんしょう

聖人一流しょうにんいちりゅうしょう
聖人一流しょうにんいちりゅう御勧化ごかんけのおもむきは、信心しんじんのもってほんとせられそうろう。そのゆえは、もろもろの雑行ぞうぎょうをなげすてて、一心いっしん弥陀みだ帰命きみょうすれば、不可思議ふかしぎ願力がんりきとして、ぶつのかたより往生おうじょう治定じじょうせしめたもう。そのくらいを、一念発起いちねんぽっき入正定にゅうしょうじょう之聚しじゅともしゃくし、そのうえの称名念仏しょうみょうねんぶつ如来にょらいわが往生おうじょうさだめたまいし御恩報尽ごおんほうじん念仏ねんぶつとこころうべきなり。あなかしこあなかしこ。

御文章ごぶんしょう

白骨はっこつしょう
それ人間にんげん浮生ふしょうなるそうをつらつらかんずるに、おおよそはかなきものは、この始中終しちゅうじゅうまぼろしのごとくなる一期いちごなり。さればいまだ万歳まんざい人身にんじんのうけたりということをきかず、一生いっしょうすぎやすし。いまにいたってたれか百年ひゃくねん形体ぎょうたいをたもつべきや。われやさきひとやさき、きょうともしらず、あすともしらず、おくれさきだつひとはもとのしずく、すえのつゆよりもしげしといえり。さればあしたには紅顔こうがんあってゆうべには白骨はっこっとなれるなり。すでに無常むじょうかぜきたりぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちにとじ、ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔こうがんむなしくへんじて桃李とうりのよそおいをうしないぬるときは、六親眷族ろくしんけんぞくあつまってなげきかなしめども、さらにその甲斐かいあるべからず。さてしもあるべきことならねばとて、野外やがいにおくって夜半よわのけむりとなしはてぬれば、ただ白骨はっこっのみぞのこれり。あわれとゆうもなかなかおろかなり。されば人間にんげんのはかなきことは老少不定ろうしょうふじょうのさかいなれば、たれのひともはやく後生ごしょう一大事いちだいじこころにかけて、阿弥陀仏あみだぶっとふかくたのみまいらせて、念仏ねんぶつもうすべきものなり。あなかしこあなかしこ。
御文章ごぶんしょう
末代無智まつだいむちしょう
末代無智まつだいむち在家ざいけ止住しじゅう男女なんにょたらんともがらは、こころをひとつにして阿弥陀仏あみだぶっとふかくたのみまいらせて、さらにのかたへこころをふらず一心一向いっしんいっこうぶつたすけたまえともうさん衆生しゅじょうをば、たとい罪業ざいごう深重じんじゅうなりとも、かならず弥陀如来みだにょらいはすくいましますべし。これすなわち第十八だいじゅうはち念仏往生ねんぶつおうじょう誓願せいがんのこころなり。かくのごとく決定けつじょうしてのうえには、ねてもさめてもいのちのあらんかぎりは、称名念仏しょうみょうねんぶつすべきものなり。あなかしこなかしこ。

信心獲得しんじんぎゃくとくしょう
信心獲得しんじんぎゃくとくすというは、第十八だいじゅうはちがんのこころうるなり。このがんのこころうるというは、南无阿弥陀仏なもあみだぶつのすがたをこころうるなり。このゆえに、南无なも帰命きみょうする一念いちねんところに、発願廻向ほつがんえこうのこころあるべし。これすなわち、弥陀如来みだにょらい凡夫ぼんぶ廻向えこうしましますこころなり。これを大経だいきょうには、令諸りょうしょ衆生しゅじょう功徳くどく成就じょうじゅととけり。されば无始むし已来いらいつくりとつくる悪業あくごう煩悩ぼんのうを、のこるところもなく、願力不思議がんりきふしぎをもて消滅しょうめつするいわれあるがゆえに、正定聚しょうじょうじゅ不退ふたいのくらいにじゅうすとなり。これによって、煩悩ぼんのうだんぜずして、涅槃ねはんのうといえるはこのこころなり。この当流とうりゅう一途いちず所談しょだんなるものなり。他流たりゅうひとたいして、かくのごとく沙汰さたあるべからざるところなり。能々よくよくこころうべきものなり。あなかしこあなかしこ。

聖人一流しょうにんいちりゅうしょう
聖人一流しょうにんいちりゅう御勧化ごかんけのおもむきは、信心しんじんのもってほんとせられそうろう。そのゆえは、もろもろの雑行ぞうぎょうをなげすてて、一心いっしん弥陀みだ帰命きみょうすれば、不可思議ふかしぎ願力がんりきとして、ぶつのかたより往生おうじょう治定じじょうせしめたもう。そのくらいを、一念発起いちねんぽっき入正定にゅうしょうじょう之聚しじゅともしゃくし、そのうえの称名念仏しょうみょうねんぶつ如来にょらいわが往生おうじょうさだめたまいし御恩報尽ごおんほうじん念仏ねんぶつとこころうべきなり。あなかしこあなかしこ。

白骨はっこつしょう
それ人間にんげん浮生ふしょうなるそうをつらつらかんずるに、おおよそはかなきものは、この始中終しちゅうじゅうまぼろしのごとくなる一期いちごなり。さればいまだ万歳まんざい人身にんじんのうけたりということをきかず、一生いっしょうすぎやすし。いまにいたってたれか百年ひゃくねん形体ぎょうたいをたもつべきや。われやさきひとやさき、きょうともしらず、あすともしらず、おくれさきだつひとはもとのしずく、すえのつゆよりもしげしといえり。さればあしたには紅顔こうがんあってゆうべには白骨はっこっとなれるなり。すでに無常むじょうかぜきたりぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちにとじ、ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔こうがんむなしくへんじて桃李とうりのよそおいをうしないぬるときは、六親眷族ろくしんけんぞくあつまってなげきかなしめども、さらにその甲斐かいあるべからず。さてしもあるべきことならねばとて、野外やがいにおくって夜半よわのけむりとなしはてぬれば、ただ白骨はっこっのみぞのこれり。あわれとゆうもなかなかおろかなり。されば人間にんげんのはかなきことは老少不定ろうしょうふじょうのさかいなれば、たれのひともはやく後生ごしょう一大事いちだいじこころにかけて、阿弥陀仏あみだぶっとふかくたのみまいらせて、念仏ねんぶつもうすべきものなり。あなかしこあなかしこ。
漢字・唱え方など参考:『お経 浄土真宗』(講談社)
《御文章 PDF版》

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Last updated : 2024/06/27