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日蓮宗にちれんしゅう経文きょうもん

立正安国論 りっしょうあんこくろん

立正りっしょう安国論あんこくろん
【第一段】
 旅客りょかくきたりてなげいていわく、近年きんねんより近日きんじついたるまで、天変てんぺん地夭ちよう飢饉ききん疫癘えきれいあまねく天下てんかち、ひろ地上ちじょうはびこる。牛馬ぎゅうばちまたたおれ、骸骨がいこつみちみててり。まねくのともがらすで大半たいはんえ、これかなしまざるのやからあえ一人いちにんし。
 しかあいだあるいは「利剣即是りけんそくぜ」のもんもっぱらにして、西土さいど教主きょうしゅとなえ、あるいは「衆病悉除しゅうびょうしつじょ」のがんたのみて、東方如来とうほうにょらいきょうじゅし、あるいは「病即消滅びょうそくしょうめつ不老不死ふろうふし」のことばあおぎて、法華真実ほっけしんじつ妙文みょうもんあがめ、あるいは「七難即滅しちなんそくめつ七福即生しちふくそくしょう」のしんじて、百座百講ひゃくざひゃくこう調ととのえ、 あるい秘密真言ひみつしんごんきょうりて、五瓶ごびょうみずそそぎ、あるい坐禅入定ざぜんにゅうじょうまっとうして、空観くうがんつきまし、しくは七鬼神しちきじんごうしょして、千門せんもんし、しくは五大力ごだいりきかたして、万戸ばんこけ、しくは天神地祇てんじんちぎはいして。四角四堺しかくしかい祭祀さいしくわだて、しくは万民百姓ばんみんひゃくしょうあわれみて、国主こくしゅ国宰こくさい徳政とくせいおこなう。
 しかりといえども、ただ肝胆かんたんくだくのみにして、いよいよ飢疫きえきせまる。乞客こつかくあふれ、死人しにんまなこてり。かばねしてかんし、しかばねならべてはしす。
 おもんみればれ、二離にりたまわせ、五緯ごいたまつらぬ。三宝さんぼういまし、百王ひゃくおういまきわまらずして、はやおとろえ、ほうなんすたれたるや。いかなるわざわいり、いかなるあやまりにるや。
 主人しゅじんいわく、ひとことうれえて胸臆くおく憤悱ふんぴす。きゃくきたりてともなげく、しばしば談話だんわいたさん。出家しゅっけしてみちものは、ほうってほとけするなり。しかるにいま神術しんじゅつかなわず、仏威ぶついしるしなし。つぶさ当世とうせてい覿るに、おろかにして後生ごしょううたがいおこす。しかればすなわち、円覆えんぶあおいでうらみみ、方載ほうざいしておもんばかりふかくす。
 つらつら微管びかんかたむけ、いささ経文きょうもんひらきたるに、みなしょうそむき、ひとことごとあくす。ゆえに、善神ぜんじんくにてて相去あいさり、聖人せいじんところしてかえらず。ここもって、きたきたり、さいおこなんおこる。わずんばあるからず。おそれずんばあるからず。

【第二段】
 きゃくいわく、天下てんかわざわい国中こくちゅうなんひとなげくのみにあらず、しゅみなかなしめり。いま蘭室らんしつりて、はじめて芳詞ほうしうけたまわるに、神聖じんせいし、災難さいなんならおこるとは、いずれのきょうでたるや。証拠しょうこかん。
 主人しゅじんいわく、もん繁多はんたにして、しょう広博こうはくなり。
金光明経こんこうみょうきょう』にいわく、「国土こくどおいて、きょうりといえども、いまかつ流布るふせず、捨離しゃりこころしょうじて聴聞ちょうもんせんことねがわず、また供養くようし、尊重そんじゅうし、讃歎さんたんせず。四部しぶしゅ持経じきょうひとまたまた尊重そんじゅうし、乃至ないし供養くようすることあたわず。ついわれおよ眷属けんぞく無量むりょう諸天しょてんをして甚深じんじん妙法みょうほうくことをずして、甘露かんろあじわいそむき、正法しょうぼうながれうしない、威光いこう及以および勢力せいりきることからしむ。悪趣あくしゅ増長ぞうちょうし、人天にんてん損減そんげんし、生死しょうじかわちて、涅槃ねはんみちそむかん。
 世尊せそん我等われら四王しおうならびにもろもろ眷属けんぞくおよ薬叉等やしゃとうくのごとことて、国土こくどてて擁護おうごこころけん。ただ我等われらのみおう捨棄しゃきするにあらず、かなら無量むりょう国土こくど守護しゅごする諸大善神しょだいぜんじんらんも、みなことごと捨去しゃこせん。
 すで捨離しゃりおわりなば、くにまさ種種しゅじゅ災禍さいかって、国位こくい喪失そうしつすべし。一切いっさい人衆にんしゅみな善心ぜんしんく、ただ繋縛けいばく殺害せつがい瞋諍しんじょうのみり、たがあい讒諂ざんてんし、げて辜無つみなきにおよばん。疫病えきびょう流行りゅうこうし、彗星すいせいしばしでて、両日並りょうじつならげんじ、薄蝕はくしょく恒無つねなく、黒白こくびゃく二虹にこう不祥ふしょうそうあらわし、ほしながれ、うごき、うちこえはっし、暴雨ぼうう悪風あくふう時節じせつらず、つね飢饉ききんって、苗実みょうじつらず、おお他方たほう怨賊おんぞくって、国内こくない侵掠しんりゃくし、人民じんみんもろもろ苦悩くのうけ、土地とち所楽しょらくところあるることけん」
大集経だいじつきょう』にいわく、「仏法ぶっぽうじつ隠没おんもつせばしゅはつそうみなながく、諸法しょほうまた忘失もうしつせん。
 そのとき虚空こくうちゅうおおいなるこえありてふるい、一切いっさいみなあまねどうぜんこと、なお水上輪すいじょうりんごとくならん。城壁じょうへきやぶくだり。屋宇おくうことごとやぶけ、樹林じゅりんえだ華葉しべこのみくすりきん。ただ浄居天じょうごてんのぞきて、欲界よくかい一切処いっさいしょ七味しちみ三精気さんしょうけ損減そんげんしてあまりることく、解脱げだつもろもろ善論ぜんろんそのとき一切いっさいきん。しょうずるところ華菓けかあじわい希少きしょうにしてまたうまからず、諸有しょう井泉池せいせんち一切いっさいことごと枯涸こかくし、土地とちことごと鹹鹵かんろし。敵裂てきれつして丘澗くけんり、諸山しょざんみな燋燃しょうねんして、天竜てんりゅうあめらさず、苗稼みょうけみな枯死こしし、生者しょうしゃみなして、余草よそうさらしょうぜず。つちふらし、みな昏闇こんあんにして、日月にちがつめいげんぜず。四方しほうみな亢旱こうかんし、しばしばもろもろ悪瑞あくずいげんじ、十不善業道じゅうふぜんごうどうとんじん倍増ばいぞうし、衆生しゅじょう父母ぶもおいける、これること獐鹿しょうろくごとくならん。衆生しゅじょうおよ寿命じゅみょう色力しきりき威楽いらくげんじ、人天にんてんらく遠離おんりし、みなことごと悪道あくどうせん。
 かくごと不善業ふぜんごう悪王あくおう悪比丘あくびく正法しょうぼう毀壊きえし、天人てんにんみち損減そんげんせん。諸天しょてん善神ぜんじんおう衆生しゅじょう悲愍ひみんするもの濁悪じょくあくくにてて、みなことごと余方よほうむかわん」
仁王経にんのうきょう』にいわく、「国土こくどみだれんときは、鬼神きじんみだる。鬼神きじんみだるるがゆえに、万民ばんみんみだる。ぞくきたりてくにおびやかし、百姓ひゃくしょう亡喪もうそうし、臣君しんくん太子たいし王子おうじ百官ひゃくかんとも是非ぜひしょうぜん。天地てんち怪異けいし、二十八宿にじゅうはっしゅく星道せいどう日月にちがつときうしなうしない、おおぞくおこることらん」
 またわく「われいま五眼ごげんをもてあきらかに三世さんぜるに、一切いっさい国王こくおうは、みな過去かこに、五百ごひゃくほとけつかえしにりて、帝王主ていおうしゅることをたり。れをもって、一切いっさい聖人せいじん羅漢らかんしかため国土こくどなか来生らいしょうして、大利益だいりやくさん。おうふくきんときは、一切いっさい聖人せいじんみならん。一切いっさい聖人せいじんらんときは、七難しちなんかならおこらん」
薬師経やくしきょう』にいわく、「刹帝利せっていり潅頂王かんちょうおうとう災難さいなんおこらんとき所謂いわゆる人衆疾疫にんしゅしつえきなん他国侵逼たこくしんぴつなん自界叛逆じかいほんぎゃくなん星宿変怪せいしゅくへんげなん日月薄蝕じつげつはくしょくなん非時風雨ひじふううなん過時不雨かじふうなんあらん」
仁王経にんのうきょう』にいわく、「大王だいおういまするところ百億ひゃくおく須弥しゅみ百億ひゃくおく日月じつげつ一一いちいち須弥しゅみ四天下してんげり。南閻浮提なんえんぶだい十六じゅうろく大国たいこく五百ごひゃく中国ちゅうごく十千じゅうせん小国しょうごくり。国土こくどなかしちおそなんり。一切いっさい国王こくおうれをなんすがゆえに。云何いかなるをなんす。
 日月じつげつうしない、時節じせつ返逆ほんぎゃくし、あるい赤日せきじつで、黒日こくじつで、さんで、あるい日蝕にっしょくしてひかりく、あるい日輪にちりんいちじゅうさん五重輪ごじゅうりんげんずるを、いちなんなり
 二十八宿にじゅうはっしゅくうしない、金星きんせい彗星すいせい輪星りんせい鬼星きせい火星かせい水星すいせい風星ふうせい刁星ちょうせい南斗なんじゅ北斗ほくと五鎮ごちん大星たいせい一切いっさい国主星こくしゅせい三公星さんこうせい百官星ひゃっかんせいかくごと諸星しょせい各各おのおの変現へんげんするをなんなり
 大火たいかくにき、万姓ばんしょうつくし、あるい鬼火きか竜火りゅうか天火てんか山神火さんじんか人火じんか樹木火じゅもくか賊火ぞくかあらん。かくごと変怪へんげするをさんなんなり
 大水たいすい百姓ひゃくしょう漂没ひょうもつし、時節じせつ返逆ほんぎゃくして、冬雨ふゆあめふり、夏雪なつゆきふり、ふゆとき雷電らいでん霹靂へきれきし、六月ろくがつひょうそうはくらし、赤水しゃくすい黒水こくすい青水せいすいらし、土山どせん石山しゃくせんらし、しゃりゃくしゃくらし、江河ごうがさかしまながれ、やまうかいしながす。かくごとへんずるときよんなんなり
 大風たいふう万姓ばんしょう吹殺ふきころし、国土こくど山河さんが樹木じゅもく一時いちじ滅没めつもつし、非時ひじ大風たいふう黒風こくふう赤風しゃくふう青風せいふう天風てんぷう地風ちふう火風かふう水風すいふうかくごとへんずるをなんなり
 天地てんち国土こくど亢陽こうようし、炎火えんか洞燃どうねんして百草ひゃくそう亢旱こうかんし、五穀ごこくみのらず。土地とち赫燃かくねんして万姓ばんしょう滅尽めつじんせん。かくごとへんずるときろくなんなり
 四方しほうぞくきたりてくにおかし、内外ないげぞくおこり、火賊かぞく水賊すいぞく風賊ふうぞく鬼賊きぞくありて、百姓ひゃくしょう荒乱こうらんし、刀兵刧とうひょうこうおこらん。かくごとするときしちなんなり
大集経だいじつきょう』にいわく、「国王こくおうり、無量世むりょうせおいて、かいしゅすとも、ほうめっせんをて、てて擁護おうごせずんば、かくごとうるところ無量むりょう善根ぜんこんことごとみな滅失めつしつして、くにまさみつ不祥ふしょうことるべし。いちには穀実こくじつには兵革ひょうかくさんには疫病えきびょうなり。一切いっさい善神ぜんじんことごとこれ捨離しゃりせば、おう教令きょうれいすとも、ひと随従ずいじゅうせず、つね隣国りんごくため侵嬈しんにょうせられん。暴火ぼうかほしいままおこり、悪風雨あくふううおおく、暴水ぼうすい増長ぞうちょうして人民じんみん吹漂すいひょうし、内外ないげ親戚しんせきとも謀叛むほんせん。おうひさしからずして、まさ重病じゅうびょうい、寿終じゅじゅうのち大地獄だいじごくなかしょうずべし。乃至ないしおうごとく、夫人ぶにん太子たいし大臣だいじん城主じょうしゅ柱師ちゅうし郡守ぐんしゅ宰官さいかん亦復またまたれくのごとくならん」
 四経しきょうもんあきらかなり。万人ばんにんたれうたがわん。しかるに盲瞽もうこともがら迷惑めいわくひとみだりに邪説じゃせつしんじて、正教しょうぎょうわきまえず。ゆえ天下てんか世上せじょう諸仏しょぶつ衆経しゅきょうおいて、捨離しゃりこころしょうじて、擁護おうごこころざしし。よっ善神ぜんじん聖人せいじんくにところる。れをもっ悪鬼あくき外道げどうさいなんいたすなり。

【第三段】
 きゃくいろしていわく、後漢ごかん明帝めいていは、金人きんじんゆめさとりて、白馬はくばおしえ上宮太子じょうぐうたいしは、守屋もりやぎゃくちゅうして、寺塔じとうかまえす。しかしよりこのかたかみ一人いちにんより下万民しもばんみんいたるまで、仏像ぶつぞうあが経巻きょうがんもっぱらにす。しかればすなわち、叡山えいざん南都なんと園城おんじょう東寺とうじ四海しかい一州いっしゅう五畿ごき七道しちどう仏経ぶっきょうほしごとつらなり、堂宇どううくもごとけり。鶖子しゅうしやからすなわ鷲頭じゅとうつきかんじ、鶴勒かくろくながれまた鶏足けいそくかぜつとう。たれ一代いちだいきょうさみし、三宝さんぼうあとはいすとわんしょうらば、くわしゆえかん。
 主人しゅじんさとしていわく、仏閣ぶっかくいらかつらね、経蔵きょうぞうのきならべ、そう竹葦ちくいごとく、りょ稲麻とうまたり。崇重そうじゅうとしり、尊貴そんきあらたなり。ただし、法師ほっし諂曲てんごくにして、人倫じんりん迷惑めいわくし、王臣おうしん不覚ふかくにして、邪正じゃしょうべんずることし。
仁王経にんのうきょう』にいわく、「もろもろ悪比丘あくびくおお名利みょうりもとめ、国王こくおう太子たいし王子おうじまえおいて、みずか破仏法はぶっぽう因縁いんねん破国はこく因縁いんねんかん。おうわきまえずして、ことば信聴しんちょうし、ほしいまま法制ほうせいつくりて仏戒ぶっかいらず。れを破仏はぶつ破国はこく因縁いんねんす」
涅槃経ねはんぎょう』にいわく、「菩薩ぼさつ悪象あくぞうとうおいては、こころ恐怖くふすることかれ。悪知識あくちしきおいては、怖畏ふいこころしょうぜよ。悪象あくぞうためころされては、三趣さんしゅいたらず。悪友あくゆうためころされては、かなら三趣さんしゅいたる」
法華経ほけきょう』にいわく、「悪世あくせなか比丘びくは、邪智じゃちにしてこころ諂曲てんごくに、いまざるをたりとおもい、我慢がまんこころ充満じゅうまんせん。あるい阿練若あれんにゃに、納衣のうえにして空閑くうげんり、みずかしんどうぎょうずとおもうて、人間にんげん軽賎きょうせんするものらん。利養りよう貪著とんじゃくするがゆえに、白衣びゃくえためほうき、恭敬くぎょうせらるること、六通ろくつう羅漢らかんごとくならん。乃至ないしつね大衆だいしゅなかって、我等われらそしらんとほっするがゆえに、国王こくおう大臣だいじん婆羅門ばらもん居士こじおよ比丘びくしゅむかって、誹謗ひぼうしてあくきて、邪見じゃけんひと外道げどう論議ろんぎくとわん。濁劫じょくこう悪世あくせなかには、おおもろもろ恐怖くふらん。悪鬼あくきって、われ罵詈めり毀辱きにくせん。濁世じょくせ悪比丘あくびくは、ほとけ方便ほうべん随宜ずいぎ所説しょせつほうらず、悪口あっくして顰蹙ひんじゅくし、数数しばしば擯出ひんずいせられん」
涅槃経ねはんぎょう』にいわく、「涅槃ねはんのち無量むりょう百歳ひゃくさいに、四道しどう聖人しょうにんことごとまた涅槃ねはんせん。正法しょうぼうめっしてのち像法ぞうぼうなかおいて、まさ比丘びくるべし。かたち持律じりつせ、わずかにきょう読誦どくじゅし、飲食おんじき貪嗜とんしして、長養ちょうようし、袈裟けさちゃくすといえども、なお猟師りょうしほそめにおもむろくがごとく、ねこねずみうかがうがごとし。つね言葉ことばとなえん、われ羅漢らかんたりと。そとには賢善けんぜんげんじ、うちには貪嫉とんしついだかん。唖法あほうくる婆羅門等ばらもんとうごとし。じつには沙門しゃもんあらずして、沙門しゃもんすがたげんじ。邪見じゃけん熾盛しじょうにして、正法しょうぼう誹謗ひぼうせん」
 もんいてるに、まこともっしかなり。悪侶あくりょいましめざれば、あに善事ぜんじさん

【第四段】
 きゃくなおいきどおりていわく、明王めいおう天地てんちってし、聖人せいじん理非りひさっしておさむ。世上せじょう僧侶そうりょは、天下てんかするところなり悪侶あくりょおいては、明王めいおうしんからず。聖人せいじんあらずんば、賢哲けんてつあおからず。いま賢聖けんせい尊重そんじゅうせるをもって、すなわ竜象りゅうぞうかろからざるをる。なん妄言もうごんきて、あながちに誹謗ひぼうさん。誰人たれびともっ悪比丘あくびく委細いさいかんとほっす。
 主人しゅじんいわく、後鳥羽院ごとばいん御宇ぎょうに、法然ほうねんうものり、選択集せんちゃくしゅうつくり、すなわ一代いちだい聖教しょうぎょうし、あまね十方じっぽう衆生しゅじょうまよわす。
 の『選択せんちゃく』にいわく、「道綽禅師どうしゃくぜんじ聖道しょうどう浄土じょうど二門にもんて、聖道しょうどうててただしく浄土じょうどするのもんはじめ聖道門しょうどうもんとは、これいてり。乃至ないしこれじゅんじてこれおもうに、まさ密大みつだいおよ実大じつだいそんすべし。しかればすなわいま真言しんごん仏心ぶっしん天台てんだい華厳けごん三論さんろん法相ほっそう地論じろん摂論じょうろん此等これら八家はっけただしくここるなり。曇鸞法師どんらんほっしの『往生論おうじょうろんちゅう』にいわく、つつしんで竜樹菩薩りゅうじゅぼさつ十住毘婆沙じゅうじゅうびばしゃあんずるにいわく、菩薩ぼさつ阿毘跋致あびばっちもとむるに、二種にしゅどうありいちには難行道なんぎょうどうには易行道いぎょうどうなり。なか難行道なんぎょうどうとは、すなわ聖道門しょうどうもんなり易行道いぎょうどうとは、すなわれれ浄土門じょうどもんなり浄土宗じょうどしゅう学者がくしゃすべからくむねるべし。たとさきより聖道門しょうどうもんまなひとなりといえども、浄土門じょうどもんおいこころざしらんものは、すべからく聖道しょうどうてて浄土じょうどすべし」
 またいわく「善導和尚ぜんどうわじょうしょうぞう二行にぎょうて、雑行ぞうぎょうてて正行しょうぎょうするのもん第一だいいち読誦雑行どくじゅぞうぎょうとは、かみ観経等かんぎょうとう往生おうじょう浄土じょうどきょうのぞきて已外いげ大小乗だいしょうじょう顕密けんみつ諸経しょきょうおいて、受持じゅじ読誦どくじゅするを、ことごと読誦雑行どくじゅぞうぎょうづく。第三だいさん礼拝雑行らいはいぞうぎょうとは、かみ弥陀みだ礼拝らいはいするをのぞきて已外いげ一切いっさい諸仏菩薩しょぶつぼさつとうおよもろもろ世天せてんとうおいて、礼拝らいはい恭敬くぎょうするを、ことごと礼拝雑行らいはいぞうぎょうづく。わたくしいわく、もんるに、すべからくぞうてて、せんしゅうすべし。あに百即ひゃくそく百生ひゃくしょう専修せんしゅ正行しょうぎょうてて、かた千中無一せんちゅうむいち雑修ざっしゅ雑行ぞうぎょうしゅうせん行者ぎょうじゃこれ思量しりょうせよ」
 またいわく、「『貞元じょうげん入蔵録にゅうぞうろく』のなかに、はじ大般若経だいはんにゃきょう六百巻ろっぴゃくかんより、法常住経ほうじょうじゅうきょうおわるまで、顕密けんみつ大乗経だいじょうきょうそうじて六百三十七部ろっぴゃくさんじゅうしちぶ二千八百八十三巻にせんはっぴゃくはちじゅうさんかんなりみなすべからく読誦どくじゅ大乗だいじょう一句いっくせっすべし。まさるべし、随他ずいたまえには、しばら定散じょうさんもんひらくといえども、随自ずいじのちには、かえって定散じょうさんもんず。ひとたびひらいて以後いごながじざるは、唯是ただこれ念仏ねんぶつ一門いちもんなり」
 またいわく、「念仏ねんぶつ行者ぎょうじゃかなら三心さんしん具足ぐそくきのもん。『観無量寿経かんむりょうじゅきょう』にいわく、同経どうきょうしょいわく、とううていわく、解行げぎょう不同ふどう邪雑じゃぞうひとって、外邪異見げじゃいけんなんふせがん。あるいくこと一分いちぶん二分にぶんにして、群賊等ぐんぞくらかえすとは、すなわ別解べつげ別行べつぎょう悪見あっけんひとたとう。わたくしいわく、またなか一切いっさい別解べつげ別行べつぎょう異学いがく異見いけんとううは、聖道門しょうどうもんすなり」
 また最後さいご結句けっくもんいわく、「それすみやかに生死しょうじはなれんとほっせば、二種にしゅ勝法しょうぼうなかに、しばら聖道門しょうどうもんさしおきて、えらんで浄土門じょうどもんれ。浄土門じょうどもんらんとほっせば、ぞうぞう二行にぎょうなかに、しばらもろもろ雑行ぞうぎょうなげうちて、えらんでまさ正行しょうぎょうすべし」
 これいてこれるに、曇鸞どんらん道綽どうしゃく善導ぜんどう謬釈びゅうしゃくいて、聖道しょうどう浄土じょうど難行なんぎょう易行いぎょうむねて、法華ほっけ真言しんごんそうじて一代いちだい大乗だいじょう六百三十七部ろっぴゃくさんじゅうしちぶ二千八百八十三巻にせんはっぴゃくはちじゅうさんかん一切いっさい諸仏しょぶつ菩薩ぼさつおよもろもろ世天せてんとうもって、みな聖道しょうどう難行なんぎょう雑行ぞうぎょうとうせっして、あるいて、あるいじ、あるいさしおき、あるいなげうつ。四字しじもって、おお一切いっさいまよわし、あまつさ三国さんごく聖僧しょうぞう十方じっぽう仏弟ぶっていて、みな群賊ぐんぞくごうし、あわせて罵詈めりせしむ。ちかくは所依しょえ浄土じょうど三部経さんぶきょうの、「唯除ゆいじょ五逆ごぎゃく誹謗ひほう正法しょうぼう」の誓文せいもんそむき、とおくは一代いちだい五時ごじ肝心かんじんたる、『法華経ほけきょう』の第二だいにの「若人にゃくにん不信ふしん毀謗きほう此経しきょう乃至ないし其人ごにん命終みょうじゅう入阿鼻獄にゅうあびごく」の誡文かいもんまよものなり
 是於ここに末代まつだいおよび、ひと聖人せいじんあらず。おのおの冥衢みょうくりて、ならびに直道じきどうわする。かなしいかな瞳矇どうもうたず(「樹(う)たず」は、「拊(う)たず」、また、手偏に「樹」の旁を組み合わせた字とすることも。原典は「樹」と読み取れる。「たたく」の意で、瞳にかかった膜に刺激を与えて見えるようにすること)いたましいかないたずら邪信じゃしんもよおす。かるがゆえかみ国王こくおうよりしも土民どみんいたるまで、みなきょう浄土三部じょうどさんぶほかきょうく、ほとけ弥陀三尊みださんぞんほかほとけしとおもえり。
 よって、伝教でんぎょう義真ぎしん慈覚じかく智証等ちしょうとうあるい万里ばんり波涛はとうわたりて、わたせしところ聖教しょうぎょうあるい一朝いっちょう山川さんせんめぐりて、あがむるところ仏像ぶつぞうもし高山こうざんいただき華界けかいてて、もっ安置あんちし、もし深谷しんこくそこ蓮宮れんぐうてて、もっ崇重そうじゅうす。釈迦しゃか薬師やくしひかりならぶるや、現当げんとうほどこし、虚空こくう地蔵じぞうすや、やく生後しょうごこうむらしむ。かるがゆえ国主こくしゅ郡郷ぐんごうせて、もっ灯燭とうしょくあきらかにし、地頭じとう田園でんえんてて、もっ供養くようそなう。しかるを法然ほうねんの『選択せんちゃく』にって、すなわ教主きょうしゅわすれて、西土さいど仏駄ぶっだたっとび、付属ふぞくなげうちて、東方とうほう如来にょらいさしおき、ただ四巻しかん三部さんぶ教典きょうてんもっぱらにして、むなしく一代いちだい五時ごじ妙典みょうでんなげうつ。れをもって、弥陀みだどうあらざれば、みな供仏くぶつこころざしをめ、念仏ねんぶつものあらざれば、はや施僧せそうおもいわする。かるがゆえ仏堂ぶっどう零落れいらくして、瓦松がしょうけむりい、僧房そうぼう荒廃こうはいして、庭草ていそうつゆふかし。しかりといえども、おのおの護惜ごしゃくこころてて、ならびに建立こんりゅうおもいはいす。れをもって、住持じゅうじ聖僧せいそうきてかえらず。守護しゅご善神ぜんじんりてきたることし。ひとえ法然ほうねんの『選択せんちゃく』になり
 かなしいかな数十年すうじゅうねんあいだ百千万ひゃくせんまんひと魔縁まえんとろかされて、おお仏教ぶっきょうまよえり。ぼうこのんでせいわする。善神ぜんじんいかりさざらんえんててへんこのむ。悪鬼あくき便たよりざらんかず、万祈ばんきしゅせんより、一凶いっきょうきんぜんには。

【第五段】
 きゃくこといろしていわく、本師ほんし釈迦文しゃかもん浄土じょうど三部経さんぶきょうきたもうてより以来このかた曇鸞法師どんらんほっしは、四論しろん講説こうせつてて、一向いっこう浄土じょうどし、道綽禅師どうしゃくぜんじは、涅槃ねはん広業こうごうさしおきて、ひとえ西方さいほうぎょうひろめ、善導和尚ぜんどうわじょうは、雑行ぞうぎょうなげうちて、専修せんじゅて、恵心僧都えしんそうずは、諸経しょきょう要文ようもんあつめて、念仏ねんぶつ一行いちぎょうしゅうとす。弥陀みだ貴重きちょうすること、まこともっしかなり。また往生おうじょうひといくばくぞ
 就中なかんずく法然聖人ほうねんしょうにん幼少ようしょうにして天台山てんだいさんのぼり、十七じゅうしちにして六十巻ろくじっかんわたり、ならびに八宗はっしゅうきわめ、つぶさ大意たいいたり。ほか一切いっさい経論きょうろん七遍しちへん反覆はんぷくし、章疏伝記しょうじょでんききわざることく、日月にちがつひとしく、とく先師せんしえたり。しかりといえども、なお出離しゅつりおもむきまよい、涅槃ねはんむねわきまえず。かるがゆえあまね覿ことごとかんがみ、ふかおもい、とおおもんばかり、つい諸経しょきょうなげうちて、もっぱ念仏ねんぶつしゅす。うえ一夢いちむ霊応れいおうこうむり、四裔しえい親疎しんそひろむ。かるがゆえあるい勢至せいし化身けしんごうし、あるい善導ぜんどう再誕さいたんあおぐ。しかればすなわち、十方じっぽう貴賎きせんこうべれ、一朝いっちょう男女なんにょあゆみはこぶ。しかしよりこのかた春秋しゅんじゅううつり、星霜せいそうつもれり。
 しかるにかたじけなくも釈尊しゃくそんおしえおろそかにして、ほしいまま弥陀みだもんそしる。なん近年きんねんわざわいもって、聖代せいだいときおおせ、しい先師せんしそしり、さら聖人しょうにんののしるや。きてきずもとめ、かわりていだす。むかしよりいまいたるまで、かくごと悪言あくごんいまず、おそべくく、つつしし。罪業ざいごういたっておもし。科条かじょういかでかのがれん。対座たいざなおおそり、つえたずさえてすなわかえらんとほっす。
 主人しゅじんとどめていわく、からきを蓼葉りょうようならい、くさきを溷厠こんしわする。善言ぜんげんきて悪言あくごんおもい、謗者ぼうしゃして聖人しょうにんい、正師しょうしうたごうて悪侶あくりょす。まよまことふかく、つみあさからず。
 ことおこりをけ。くわしくおもむきだんぜん。釈尊しゃくそん説法せっぽううち、一代五時いちだいごじあいだ先後せんごてて、権実ごんじつべんず。しかるに曇鸞どんらん道綽どうしゃく善導ぜんどうすでごんいてじつわすれ、せんってつ。いま仏教ぶっきょう淵底えんていさぐらざるものなり。就中なかんずく法然ほうねんながれむといえども、みなもとらず。所以ゆえいかん。大乗経だいじょうきょう六百三十七部ろっぴゃくさんじゅうしちぶ二千八百八十三巻にせんはっぴゃくはちじゅうさんかんならびに一切いっさい諸仏しょぶつ菩薩ぼさつおよもろもろ世天せてんとうもって、捨閉閣抛しゃへいかくほういて、一切衆生いっさいしゅじょうこころおかす。ひとえ私曲しきょくことばべて、まった仏経ぶっきょうせつず。妄語もうごいたり、悪口あっくとがいてもたぐいく、めてもあまり。ひとみな妄語もうごしんじ、ことごとの『選択せんちゃく』をとうとぶ。かるがゆえに浄土じょうど三経さんきょうあがめて、衆経しゅきょうなげうち、極楽ごくらく一仏いちぶつあおぎて、諸仏しょぶつわする。まこと諸仏しょぶつ諸経しょきょう怨敵おんてき聖僧しょうそう衆人しゅにん讎敵しゅうてきなり邪教じゃきょうひろ八荒はっこうひろまり、あまね十方じっぽうへんす。
 そもそも、近年きんねんわざわいもって、往代おうだいなずずるのよしあながちにこれおそる。いささ先例せんれいいて、なんじまよいをさとすべし。
止観しかん第二だいにに。『史記しき』をいていわく、「しゅうまつに、被髪ひはつ袒身たんしんにして礼度れいどらざるものり」『弘決ぐけつ』の第二だいにもんしゃくするに、『左伝さでん』をいていわく、「はじ平王へいおう東遷とうせんするや、伊川いせんに、はつこうむものおいてまつるをる。識者しきしゃいわく、百年ひゃくねんおよばずして、れいほろびん」と。ここりぬ。しるしさきあらわれ、わざわいのちいたることを。また、「阮藉げんせき逸才いつさいにして、蓬頭ほうとう散帯さんたいす。のち公卿こうけい子孫しそんみなこれならい、奴苟どこうあいはずかしむるものまさ自然しぜんたっすとい、樽節そんせつ兢持きょうじするものんで田舎でんしゃす。れを司馬氏しばしほろぶるそうす」
 また慈覚大師じかくだいしの『入唐巡礼記にっとうじゅんれいき』をあんずるに、いわく、「とう武宗皇帝ぶそうこうてい会昌かいしょう元年がんねんちょくして章教寺しょうきょうじ僧恵きょうぞう法師ほっしをして、諸寺しょじおいて、弥陀みだ念仏ねんぶつきょうつたえしむ。てらごと三日みっか巡輪じゅんりんすることえず。どう二年にねん回鶻国かいこつこく軍兵ぐんぴょうとうさかいおかす。どう三年さんねん河北かほく節度せつど使たちまらんおこす。のち大蕃国だいばんこくまためいこばみ、回鶻国かいこつこくかさねてうばう。およ兵乱へいらん秦項しんこうおなじく、災火さいか邑里ゆうりさいおこる。いかいわんや、武宗ぶそうおおい仏法ぶっぽうし、おお寺塔じとうほろぼす。らんおさむることあたわずして、ついもっことり」
 これこれおもうに、法然ほうねんは、後鳥羽院ごとばいん御宇ぎょう建仁けんにん年中ねんちゅうひとなりいん御事おんことすで眼前がんぜんり、しかればすなわち、大唐だいとうれいのこし、ちょうしょうあらわす。なんじうたがうことなかれ、なんじあやしむことかれ。ただすべからくきょうててぜんし、みなもとふさるべし。

【第六段】
 きゃくいささやわらぎていわく、いま淵底えんていきわめざれども、ほぼおもむきる。ただ華洛からくより柳営りゅうえいいたるまで、釈門しゃくもん枢楗すうけんり、仏家ぶっけ棟梁とうりょうり。しかれどもいま勘状かんじょうまいらせず。上奏じょうそうおよばず。なんじいやしきもって、たやす莠言ゆうげんはくく。あまりり。いわれし。
 主人しゅじんいわく、少量しょうりょうたりといえどもも、かたじけなくも大乗だいじょうがくす。蒼蠅そうよう驥尾きびして万里ばんりわたり、碧蘿へきら松頭しょうとうかかりて千尋せんじんぶ。弟子でし一仏いちぶつまれ、諸経しょきょうおうつかう。なん仏法ぶっぽう衰微すいびて、心情しんじょう哀惜あいせきおこさざらんや。うえ、『涅槃経ねはんぎょう』にいわく「善比丘ぜんびくありて、ほうやぶものて、いて呵責かしゃく駆遣くけん挙処こしょせずんば、まさるべし、ひと仏法ぶっぽうなかあだなり。駆遣くけん呵責かしゃく挙処こしょせば、弟子でししん声聞しょうもんなり」と。善比丘ぜんびくらずといえども、仏法中怨ぶっぽうちゅうおんせめのがれんがために、ただ大綱たいこうって、ほぼ一端いったんしめす。
 うえぬる元仁年中げんにんねんちゅうに、延暦えんりゃく興福こうふく両寺りょうじより、度度たびたび奏聞そうもんて、勅宣ちょくせん御教書みきょうしょもうくだして、法然ほうねんの『選択せんちゃく』の印板いんばん大講堂だいこうどうげ、三世さんぜ仏恩ぶつおんほうぜんがために、これ焼失しょうしつせしめ、法然ほうねん墓所ぼしょては、感神院かんじんいん犬神人いぬじにんけて、破却はきゃくせしむ。門弟もんてい隆観りゅうかん聖光しょうこう成覚じょうかく薩生さっしょうは、遠国おんごく配流はいるせられ、いま御勘気ごかんきゆるされず。あにいま勘状かんじょうまいらせずとわんや。

【第七段】
 きゃくすなわやわらぎていわく、きょうくだそうぼうずずること、一人いちにんとしてろんがたし。しかれども大乗経だいじょうきょう六百三十七部ろっぴゃくさんじゅうしちぶ二千八百八十三巻にせんはっぴゃくはちじゅうさんかんならびに一切いっさい諸仏しょぶつ菩薩ぼさつおよもろもろ世天せてんとうもって、しゃへいかくほう四字しじす。ことば勿論もちろんなり。もん顕然けんねんなり。瑕瑾かきんまもりて、誹謗ひぼうす。まようていうさとりてかた賢愚けんぐわかたず。是非ぜひさだがたし。ただ災難さいなんおこりは『選択せんちゃく』にるのよしさかんにことばし、いよいよむねだんず。所詮しょせん天下泰平てんかたいへい国土安穏こくどあんのん君臣くんしんねがところ土民どみんおもところなり。れ、くにほうってさかえ、ほうひとってたっとし。くにほろびひとめっせせば、ほとけたれあがき。ほうたれしん国家こっかいのりて、すべからく仏法ぶっぽうつべし。さいし、なんとどむるのじゅつらば、かんとほっす。
 主人しゅじんいわく、頑愚がんぐにして、あえけんそんせず。ただ経文きょうもんいていささ所存しょぞんべん。そもそも治術ちじゅつむね内外ないげあいだもん幾多いくばくぞや。つぶさきことかたし。ただ仏道ぶつどうって、しばしば愚案ぐあんめぐらすに、謗法ほうぼうひときんじて、正道せいどうりょおもんぜば。国中こくちゅう安穏あんのんにして、天下てんか泰平たいへいならん。
 すなわち『涅槃経ねはんぎょう』にいわく、「ほとけのたまわく、ただ一人いちにんのぞきて一切いっさいほどこさば、みな讃歎さんたんし。純陀じゅんだうていわく、云何いかなるをか、づけて唯除ゆいじょ一人いちにんす。ほとけのたまわく、きょうなかところごときは破戒はかいなり。純陀じゅんだまたいわく、われいまいませず。ただねがくはこれきたまえ。ほとけ純陀じゅんだかたりてのたまわく、破戒はかいとはいわく、一闡提いっせんだいなり。在所あらゆる一切いっさい布施ふせするは、みな讃歎さんたんし。大果報だいかほうん。純陀じゅんだまたといいたてまつる、一闡提いっせんだいとは如何いかんほとけのたまわく、純陀じゅんだ比丘びくおよ比丘尼びくに優婆塞うばそく優婆夷うばいって、麁悪そあくことばはっし、正法しょうぼう誹謗ひぼうし、重業じゅうごうつくりてなが改悔かいげせず、こころ懺悔さんげからん。かくごとひとを、づけて一闡提いっせんだいどう趣向しゅこうすとす。四重しじゅうおかし、五逆罪ごぎゃくざいつくり、さだめてかくごと重事じゅうじおかすとれども、しかこころはじめより怖畏ふい懺悔さんげく、あえ発露はつろせず。みずか正法しょうぼうおいて、なが護惜建立ごしゃくこんりゅうこころく、毀呰軽賎きしきょうせんして、ことば過咎かぐおおからん。かくごとまた一闡提いっせんだいどう趣向しゅこうすとづく。ただかくごと一闡提いっせんだいともがらのぞきて、ほどこさば一切いっさい讃歎さんたんすべし」
 またいわく、「われ往昔むかしおもうに、閻浮提えんぶだいおいて、大国王たいこくおうれり。仙予せんよいき。大乗経典だいじょうきょうてん愛念あいねん敬重きょうじゅうし、こころ純善じゅんぜんにして、麁悪そあく嫉悋しつりんることし。善男子ぜんなんしわれときおいて、こころ大乗だいじょうおもんず。婆羅門ばらもん方等ほうどう誹謗ひぼうするをき、おわって、即時そくじ命根みょうこんつ。善男子ぜんなんし因縁いんねんもって、れより已来このかた地獄じごくせず」
 またいわく、「如来にょらいむかし国王こくおうりて、菩薩道ぼさつどうぎょうぜしとき爾所そこばく婆羅門ばらもんいのち断絶だんぜつす」
 またいわく、「せつさんり、いわちゅうじょうなり、とは蟻子ぎし乃至ないし一切いっさい畜生ちくしょうなり。ただ菩薩ぼさつ現生げんしょうもののぞく。下殺げせつ因縁いんねんもって、地獄じごく畜生ちくしょう餓鬼がきして、つぶさく。なにもってのゆえに。このもろもろ畜生ちくしょう善根ぜんこんり。このゆえころさば、つぶさ罪報ざいほうく。中殺ちゅうせつとは、凡夫人ぼんぷにんより阿那含あなごんいたるまで、れをづけてちゅうす。この業因ごういんもって、地獄じごく畜生ちくしょう餓鬼がきして、つぶさちゅうく。上殺じょうせつとは、父母ふぼ乃至ないし阿羅漢あらかん辟支仏ひゃくしぶつ畢定ひつじょう菩薩ぼさつなり。阿鼻あび大地獄だいじごくなかす。善男子ぜんなんしよく一闡提いっせんだいころすことらんものは、すなわ三種さんしゅせつなかせず。善男子ぜんなんしもろもろ婆羅門等ばらもんとうは、一切いっさいみな一闡提いっせんだいなり」
仁王経にんのうきょう』にいわく、「ほとけ波斯匿王はしのくおうつげたまわく、ゆえに、もろもろ国王こくおう付属ふぞくして、比丘びく比丘尼びくに付属ふぞくせず、なにもってのゆえに、おう威力いりきければなり」
涅槃経ねはんぎょう』にいわく、「いま無上むじょう正法しょうぼうもって、諸王しょおう大臣だいじん宰相さいしょうおよ四部しぶしゅう付属ふぞくす。正法しょうぼうそしものをば、大臣だいじん四部しぶしゅうまさ苦治くじすべし」
 またいわく、「ほとけのたまわく、迦葉かしょう正法しょうぼう護持ごじする因縁いんねんもってのゆえに、金剛身こんごうしん成就じょうじゅすることをたり。善男子ぜんなんし正法しょうぼう護持ごじせんものは、五戒ごかいけず、威儀いぎしゅせずして、まさ刀剣とうけん弓箭きゅうせん鉾槊むさくすべし」
 またいわく、「五戒ごかい受持じゅじせんものらば、づけて大乗だいじょうひとことざるなり。五戒ごかいけざれども、正法しょうぼうまもるをって、すなわ大乗だいじょうづく。正法しょうぼうまもものは、まさ刀剣とうけん器仗きじょう執持しゅうじすべし。刀杖とうじょうつといえども、われ是等これらきて、づけて持戒じかいわん」
 またいわく、「善男子ぜんなんし過去かこに、拘尸くし那城なじょうおいて、ほとけでたもうことりき。歓喜増益如来かんぎぞうやくにょらいごうしたてまつる。ほとけ涅槃ねはんのち正法しょうぼうじゅうすること無量億歳むりょうおくさいなり。四十余年しじゅうよねん仏法ぶっぽうすえときひとり持戒じかい比丘びくり、覚徳かくとくう。ときおお破戒はかい比丘びくり。せつすをき、みな悪心あくしんしょうじ、刀杖とうじょう執持しゅうじして、法師ほっしむ。とき国王こくおう有徳うとくう。ことおわって、護法ごほうためゆえに、即便すなわち説法者せっぽうしゃところ往至おうしして、破戒はかいもろもろ悪比丘あくびくきわめてとも戦闘せんとうす。とき説法者せっぽうしゃ厄害やくがいまぬかるることをたり。おうときおいて、刀剣とうけん鉾槊むさくきずこうむり、たいまったところ芥子けしごとばかりもし。とき覚徳かくとくいでおうめていわく、善哉ぜんざい善哉ぜんざいおういましん正法しょうぼうまもものなり。当来とうらいに、まさ無量むりょう法器ほうきるべし。おうこのときおいて、ほうくことをおわって、こころおおいに歓喜かんぎし、いですなわ命終みょうじゅうして、阿閦仏あしゅくぶつくにしょうず。しかほとけため第一だいいち弟子でしる。おう将従しょうじゅう人民じんみん眷属けんぞく戦闘せんとうすることりしもの歓喜かんぎすることりしもの一切いっさい菩提ぼだいこころ退たいせず。命終みょうじゅうしてことごと阿閦仏あしゅくぶつくにしょうず。覚徳比丘かくとくびくかえってのち寿いのちおわりてまた阿閦仏あしゅくぶつくに往生おうじょうすることをしかほとけため声聞衆しょうもんしゅなか第二だいに弟子でしる。正法しょうぼうきんとほっすることらんときまさかくごと受持じゅじ擁護おうごすべし。迦葉かしょうときおうとはすなわこれなり。説法せっぽう比丘びく迦葉仏かしょうぶつこれなり。迦葉かしょう正法しょうぼうまもものは、かくごと無量むりょう果報かほうん。因縁いんねんもって、今日こんにちおいて、種種しゅじゅそうて、もっみずか荘厳しょうごんし、法身ほっしん不可壊ふかえじょうず。ほとけ迦葉菩薩かしょうぼさつげたまわく、ゆえほうまもらん優婆塞うばそくまさ刀杖とうじょう執持しゅうじして、擁護おうごすることかくごとくなるべし。善男子ぜんなんし涅槃ねはんのち濁悪じょくあくに、国土こくど荒乱こうらんし、たがいあい抄掠しょうりゃくし、人民じんみん飢餓きがせん。ときに、おお飢餓きがためゆえに、発心ほっしん出家しゅっけするものらん。かくきのひとづけて禿人とくにんす。禿人とくにんともがら正法しょうぼう護持ごじするをて、駈逐くちくしていださしめ、しはころし、しはがいせん。ゆえに、いま持戒じかいひともろもろ白衣びゃくえ刀杖とうじょうたもものって、もっ伴侶はんりょすことをゆるす。刀杖とうじょうたもつといえどもも、れは是等これらきて、づけて持戒じかいわん。刀杖とうじょうたもつといえども、いのちだんからず」
法華経ほけきょう』にいわく、「ひとしんぜずして、きょう毀謗きほうせば、すなわち一切いっさい世間せけん仏種ぶっしゅだんぜん。乃至ないしひと命終みょうじゅうして、阿鼻獄あびごくらん」
 経文きょうもん顕然けんねんなり。わたくしことばなんくわえん。およそ『法華経ほけきょう』のごとくんば、大乗だいじょう経典きょうてんぼうずるものは、無量むりょう五逆ごぎゃくすぐれたり。ゆえ阿鼻あび大城だいじょうして、ながづるけん。『涅槃経ねはんぎょう』のごとくんば、たと五逆ごぎゃくゆるすとも、謗法ほうぼうゆるさず。蟻子ぎしころものは、かなら三悪道さんあくどうつ。謗法ほうぼうとどむるものは、 さだめて不退ふたいくらいのぼる。所謂いわゆる覚徳かくとくとは迦葉仏かしょうぶつなり。有徳うとくとはすなわ釈迦文しゃかもんなり。
法華ほっけ』・『涅槃ねはん』の経教きょうぎょうは、一代五時いちだいごじ肝心かんじんなり。いましめじつおもし。たれ帰仰きごうせざらんや。しかるに謗法ほうぼうやから正道しょうどうひとわすれ、あまつさ法然ほうねんの『選択せんちゃく』にって、いよいよ愚痴ぐち盲瞽もうこす。これもって、あるい遺体いたいしのびて、木画もくがぞうあらわし、あるい妄説もうせつしんじて、莠言ゆうげんかたぎり、これ海内かいだいひろめ、これ槨外かくがいもてあそぶ。あおところすなわ家風かふうほどこところすなわ門弟もんていなり。しかあいだあるい釈迦しゃか手指しゅしりて、弥陀みだ印相いんそうむすび、あるい東方如来とうほうにょらい鴈宇がんうあらためて、西土教主さいどきょうしゅ鵝王がおうえ、あるい四百余回しひゃくよかい如法経にょほうきょうとどめて、西方浄土さいほうじょうど三部経ぶきょうし、あるい天台大師てんだいだいしこうとどめて、善導ぜんどうこうす。かくごと群類ぐんるいまことつくくしがたし。破仏はぶつあらずや、破法はほうあらずや、破僧はそうあらずや。邪義じゃぎは則すなわち『選択せんちゃく』にるなり。嗟呼ああかなしいかな、如来誠諦にょらいじょうたい禁言きんげんそむくこと。あわれなり。愚侶ぐりょ迷惑めいわく麁語そごしたがうこと。はや天下てんか静謐せいひつおもわば、すべからく国中こくちゅう謗法ほうぼうたつつべし。

【第八段】
 きゃくいわく、謗法ほうぼうともがらだんじ、仏禁ぶっきんぜっせんには、経文きょうもんごとく、斬罪ざんざいおこなべきか。しからば、殺害せつがいあいくわえ、罪業ざいごういかんがんや。
 すなわち『大集経だいじつきょう』にいわく、「こうべ袈裟けさちゃくせば、持戒じかいおよ毀戒きかい天人てんにんかれ供養くようべしし。すなわこれわれ供養くようするなり。なり。かれ撾打かちょうすることれば、すなわり。かれ罵辱めにくせば、すなわこれわれ毀辱きにくすることなり」
 はかんぬ、善悪ぜんあくろんぜず、是非ぜひえらぶことく、僧侶そうりょたらんにおいては、供養くようし。なん打辱ちょうにくして、かたじけなくもちち悲哀ひあいせしめん。竹杖ちくじょう目連尊者もくれんそんじゃがいせしや、なが無間むけんそこしずみ、提婆達多だいばだった蓮華比丘尼れんげびくにころせしや、ひさしく阿鼻あびほのおむせぶ。先証せんしょうあきらかなり。後昆こうこんもっとおそれあり。謗法ほうぼういましむるにて、すで禁言きんげんす。ことしんがたし、如何いかんこころん。
 主人しゅじんいわく、きゃくあきらかに経文きょうもんて、なおことばす。こころおよばざるか。つうぜざるか。まった仏子ぶっしいましむるにあらず、ただひとえ謗法ぼうほうにくむなり。
 それれ、釈迦しゃか以前いぜん仏教ぶっきょうは、つみるといえども、能忍のうにん以後いご経説きょうせつは、すなわとどむ。しかればすなわ四海しかい万邦ばんぽう一切いっさい四衆ししゅあくほどこさず、みなぜんせば。いかなるなんならおこり、いかなるわざわいきそきたらん。

【第九段】
 きゃくすなわせきけ、えりつくろいていわく、仏教ぶっきょうまちまちにして、旨趣ししゅきわがたく、不審ふしん多端たたんにして、あきらかならず。ただし、法然聖人ほうねんしょうにんの『選択せんちゃく』は現在げんざいなり。諸仏しょぶつ諸経しょきょう諸菩薩しょぼさつ諸天等しょてんとうもって、捨閉閣抛しゃへいかくほうす。もん顕然けんねんなり。ここって、聖人せいじんくにり、善神ぜんじんところすてて、天下てんか飢渇きかつし、世上せじょう疫病えきびょうすと。いま主人しゅじんひろ経文きょうもんいて、あきらかに理非りひしめす。かるがゆえに妄執もうしゅうすでひるがえり、もくほぼあきらかなり。所詮しょせん国土泰平こくどたいへい天下安穏てんかあんのんは、一人いちにんより万民ばんみんいたるるまで、このところなり、ねがところなり。はやく一闡提いっせんだいとどめ、ながしゅそういたし、仏海ぶっかい白浪はくろうおさめ、法山ほうざん緑林りょくりんらば、羲農ぎのうり、くに唐虞とうぐくにらん。しかしてのち法水ほっすい浅深せんじん斟酌しんしゃくし、仏家ぶっか棟梁とうりょう崇重そうじゅうせん。
 主人しゅじんよろこんでいわく、はとしてたかり、すずめへんじてはまぐりる。よろこばしいかな、なんじ蘭室らんしつともまじわり、麻畝まほせいる。まことなんかえりみて、もっぱことばしんぜば、かぜやわらなみしずかにして、不日ふじつ豊年ほうねんならんのみただし、ひとこころは、ときしたがってうつり、ものせいは、きょうってあらたまる。たとえば、なお水中すいちゅうつきなみうごき、陳前じんぜんいくさつるぎなびくがごとし。なんじ当座とうざしんずといえども、のちさだめてながわすれん。し、国土こくどやすんじて、現当げんとういのらんとほっせば、すみやかに情慮じょうりょめぐらし、いそぎ対治たいじくわえよ。
 所以ゆえいかん。『薬師経やくしきょう』の七難しちなんうち五難ごなんたちまちおこり、二難になんなおのこれり。所以いわゆる他国たこく侵逼しんぴつなん自界叛逆じかいほんぎゃくなんなり。『大集経だいじつきょう』の三災さんさいうち二災にさいはやあらわれ、一災いっさいいまおこらず。所以いわゆる兵革へいかくさいなり。『金光明経こんこうみょうきょう』のうち種種しゅじゅ災過さいか一一いちいちおこるといえども、他方たほう怨賊おんぞく国内こくない侵掠しんりゃくする、さいいまあらわれず、なんいまきたらず。『仁王経にんのうきょう』の七難しちなんうち六難ろくなんいまさかんにして、一難いちなんいまげんぜず。所以いわゆる四方しほうぞくきたりてくにおかすのなんなり。加之しかのみならず国土こくどみだれんときは、鬼神きじんみだる。鬼神きじんみだるるがゆえ万民ばんみんみだると。いまもんいて、つぶさことこころあんずるに、百鬼ひゃっきはやみだれ、万民ばんみんおおほろぶ。先難せんなんあきらかなり、後災こうさいなんうたがわん。のこところなん悪法あくほうとがって、ならおこきそきたらば、ときいかんがんや。帝王ていおう国家こっかもととして天下てんかおさめ、人臣じんしん田園でんえんりょうして世上せじょうたもつ。しかるに他方たほうぞくきたりて、くに侵逼しんぴつし、自界叛逆じかいほんぎゃくして、掠領りゃくりょうせば、あにおどろかざらんや、あにさわがざらんや。くにうしないえほろぼせば、いずれのところにかのがれん。なんじすべからく、一身いっしん安堵あんどおもわば、四表しひょう静謐せいひついのるべきものか。
 就中なかんずくひとるや、おのおの後生ごしょうおそる。ここもっあるい邪教じゃきょうしんじ、あるい謗法ほうぼうたっとぶ。おのおの是非ぜひまようことをにくむといえども、しかなお仏法ぶっぽうすることをあわれむ。なんおなじく信心しんじんちからもって、みだり邪義じゃぎことばとうとめんや。執心しゅうしんひるがえらず、また曲意きょくいなおそんせば、はや有為ういきょうして、かなら無間むけんひとやちなん。
 所以ゆえいかん。『大集経だいじつきょう』にいわく、「国王こくおうって、無量世むりょうせおいて、かいしゅすとも、ほうめっせんをて、てて擁護おうごせずんば、かくごとうるところ無量むりょう善根ぜんこんことごとみな滅失めっしつし、乃至ないしおうひさしからずして、まさ重病じゅうびょうい、寿終じゅじゅうのち大地獄だいじごくしょうずべし。おうごとく、夫人ぶにん太子たいし大臣だいじん城主じょうしゅ柱師ちゅうし郡主ぐんしゅ宰官さいかんまたまたかくごとくならん」
仁王経にんのうきょう』にいわく、「ひと仏教ぶっきょうやぶらば、また孝子こうしく、六親ろくしん不和ふわにして、天神てんじんたすけず、疾疫しつえき悪鬼あくききたって侵害しんがいし、災怪さいけ首尾しゅびし、連禍れんか縦横じゅうおうし、して地獄じごく餓鬼がき畜生ちくしょうらん。でてひとらば、兵奴ひょうぬ果報かほうならん。ひびきごとかげごとく、ひとよるしょするに、めっすれどもそんするがごとく、三界さんがい果報かほうも、またまたかくごとし」
法華経ほけきょう第二だいにいわく、「ひとしんせずして、きょう毀謗きほうせば、乃至ないしひと命終みょうじゅうして、阿鼻獄あびごくらん」
 またどう第七巻だいしちかん不軽品ふきょうほんいわく、「千劫せんこう阿鼻地獄あびじごくおいて、大苦悩だいくのうく」
涅槃経ねはんぎょう』にいわく、「善友ぜんゆう遠離おんりし、正法しょうぼうかず、悪法あくほうじゅうせば、因縁いんねんゆえに、沈没ちんもつして阿鼻地獄あびじごくって、くるところ身形しんぎょう縦横じゅうおう八万四千はちまんしせん由延ゆえんならん」
 ひろ衆経しゅきょうひらきたるに、もっぱ謗法ほうぼうおもんず。かなししいかなみな正法しょうぼうもんでて、ふか邪法じゃほうひとやる。おろかなり、おのおの悪教あっきょうつなかかりて、とこしえ謗教ほうきょうあみまとわる。朦霧もうむまよい、盛焔じょうえんそこしずむ。あにうれえざらんや、あにくるしからざらんや。
 なんじはや信仰しんこう寸心すんしんあらためて、すみやか実乗じつじょう一善いちぜんせよ。しかればすなわ三界さんがいみな仏国ぶっこくなり。仏国ぶっこくおとろえんや。十方じっぽうことごと宝土ほうどなり。宝土ほうどなんやぶれんや。くに衰微すいびく、破壊はえくんば、安全あんぜんにして、こころ禅定ぜんじょうならん。ことばことしんあがし。

【第十段】
 きゃくいわく、今生こんじょう後生ごしょうたれつつしまざらん、たれおそれざらん。経文きょうもんひらきて、つぶさ仏語ぶつごうけたまわるに、誹謗ひぼうとがいたっておもく、毀法きひうつみまことふかし。われ一仏いちぶつしんじて諸仏しょぶつなげうち、三部経さんぶきょうあおぎて諸経しょきょうさしおきしは、私曲しきょくおもいあらず、すなわ先達せんだつことばしたがいしなり。十方じっぽう諸人しょにんまたまたかくごとくなるべし。今世こんぜには性心しょうしんろうし、来生らいしょうには阿鼻あびせんこと、もんあきらかにつまびらかなり、うたがからず。いよいよ貴公きこう慈誨じかいあおぎ、すます愚客ぐきゃく痴心ちしんひらき、すみやかに対治たいじめぐらして、はや泰平たいへいいたし、生前しょうぜんやすんじ、さら没後もつごたすけん。ただわれしんずるのみにあらず、またあやまりいましめんのみ
【参考文献】
  • 渡辺宝陽 小松邦彰『日蓮』筑摩書房(1988年)
  • 兜木正亨 新間進一『親鸞集 日蓮集』岩波書店(1964年)
  • 鈴木一成『日蓮聖人御遺文講義』立正大学宗学研究所分室(1951年)
  • 小林一郎『立正安国論通釈』慈念会(1942年)
  • 山川智應『日蓮聖人遺文研究』天業民報社(1925年)
  • 『立正安国論』(嘉永7年・1854年) 他
《立正安国論 PDF版》

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Last updated : 2024/06/27