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般若心経はんにゃしんぎょう
= 書き下し・口語訳・現代語訳 =

[注記]
  • 般若心経の読み方・唱え方は、宗派・流派によって若干の違いが見られます。ここでは真言宗での読み方を参考にしています。実際に唱えられる際は各宗派の経本などをご覧ください。
  • また、書き下し・口語訳・現代語訳も一つの例としてご覧ください。
  • 文中の「舎利子(しゃりし)よ」とした部分は、梵語の「シャーリプトラ」から「舎利弗(しゃりほつ)」とされることもあります。舎利子(舎利弗)は仏教の開祖釈迦仏の十大弟子の一人です。
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《般若心経 書き下し・口語訳・現代語訳》
観自在菩薩かんじざいぼさ 行深般若波羅蜜多時ぎょうじんはんにゃはらみたじ 照見五蘊皆空しょうけんごうんかいくう 度一切苦厄どいっさいくやく
[書き下し] 観自かんじ在菩薩ざいぼさつが、深般若波羅蜜多じんはんにゃはらみったぎょうずるとき五蘊ごうんみなくうなりと照見しょうけんして、一切いっさい苦厄くやくしたまう。
[口語訳] 観自在菩薩(観音菩薩)が深く智慧の完成の行を行っていた時、人間の存在を構成する五蘊、すなわち、物質的な存在、感覚、思考、意志、意識の五つの要素が、全て実体のないものであると見極め、全ての苦しみから解放されました。
[現代語訳] 観音菩薩は、深い智慧の完成を追求していた時に、人間の存在を構成する全ての要素が実体のないものであると悟り、あらゆる苦しみと災厄を乗り越えました。
舎利子しゃりし 色不異空しきふいくう 空不異色くうふいしき 色即是空しきそくぜくう 空即是色くうそくぜしき 受想行識じゅそうぎょうしき 亦復如是やくぶにょぜ
[書き下し] 舎利子しゃりしよ、しきくうことならず、くうしきことならず、しきすなわくうなり、くうすなわしきなり。じゅそうぎょうしきも、亦復またまたかくごとし。
[口語訳] 舎利子よ、物質的な存在、すなわち色(しき)は、実体のない空(くう)と異ならず、空もまた物質的な存在と異ならない。物質的な存在はすなわち空であり、空はすなわち物質的な存在である。感受、思考、行動、意識もまた同じです。
[現代語訳] 舎利子[シャーリプトラ]よ、物質的な存在と空は同じものであり、物質的な存在は空であり、空もまた物質的な存在です。この考え方は、感受や思考、行動や意識にも当てはまります。
舎利子しゃりし 是諸法空相ぜしょほうくうそう 不生不滅ふしょうふめつ 不垢不浄ふくふじょう 不増不減ふぞうふげん
[書き下し] 舎利子しゃりしよ、諸法しょほう空相くうそうなり。不生ふしょうにして不滅ふめつ不垢ふくにして不浄ふじょう不増ふぞうにして不減ふげんなり。
[口語訳] 舎利子よ、この世のあらゆる諸法、すなわち存在の本質は空であり、生じることも滅びることもなく、汚れることも清らかになることもなく、増えることも減ることもありません。
[現代語訳] 舎利子[シャーリプトラ]よ、全ての現象の本質は実体のない空であり、これらは生まれることも滅びることもなく、汚れることも清らかになることもなく、増えることも減ることもないのです。
是故空中無色ぜこくうちゅうむしき 無受想行識むじゅそうぎょうしき 無眼耳鼻舌身意むげんにびぜっしんに 無色声香味触法むしきしょうこうみそくほう 無眼界むげんかい 乃至無意識界ないしむいしきかい
[書き下し] ゆえに、くうなかにはしきく、じゅ そう ぎょうしきく、げんぜつしんく、しきしょうこうそくほうく、眼界げんかいく、乃至ないし意識界いしきかいし。
[口語訳] したがって、空の中には物質的な存在(色)もなく、感受、思考、行動、意識もなく、眼、耳、鼻、舌、身体、意識もなく、色、声、香り、味、触覚、法(心象)もなく、眼の世界から意識の世界に至るまで、何も存在しません。
[現代語訳] したがって、空の中には物質や感覚、思考、行動、意識といったものは存在せず、五感や意識、さらにはそれらに対応する世界も存在しないのです。
無無明むむみょう 亦無無明尽やくむむみょうじん 乃至無老死ないしむろうし 亦無老死尽やくむろうしじん 無苦集滅道むくしゅうめつどう 無智亦無得むちやくむとく 以無所得故いむしょとくこ
[書き下し] 無明むみょうく、また無明むみょうくることもく、乃至ないし老死ろうしく、また老死ろうしくることもし。しゅうめつどうし。く、またとくし、無所得むしょとくもってのゆえに。
[口語訳] 無明(無知、迷い)は存在せず、それが尽きることもなく、老いや死もなければ、それが尽きることもありません。苦しみの原因やそれを滅する道もなく、智慧もなく、得るものもありません。
[現代語訳] 無知や迷いは存在せず、それが消えることもなく、老いや死も存在せず、それが終わることもありません。苦しみの原因やその解決の道もなく、智慧もなく、得るものもないのです。
菩提薩埵ぼだいさった 依般若波羅蜜多故えはんにゃはらみたこ 心無罣礙しんむけげ 無罣礙故むけげこ 無有恐怖むうくふ 遠離一切顚倒夢想おんりいっさいてんどうむそう 究竟涅槃くぎょうねはん
[書き下し] 菩提薩埵ぼだいさったは、般若波羅蜜多はんにゃはらみったるがゆえに、こころ罣礙けいげし。罣礙けいげきがゆえに、恐怖くふることし。一切いっさい顚倒夢想てんどうむそう遠離おんりして、究竟くぎょう涅槃ねはんす。
[口語訳] 得るものがないがゆえに、菩薩は智慧を依り所とし、心に一切の妨げがなくなり、恐れもありません。全ての迷いと夢想から遠ざかり、最終的な涅槃に至るのです。
[現代語訳] 何も得るものがないために、菩薩は智慧に支えられ、心に妨げがなくなり、恐怖がなくなります。そして、あらゆる迷いや幻想から離れ、最終的に悟りの境地に達します。
三世諸仏さんぜしょぶつ 依般若波羅蜜多故えはんにゃはらみたこ 得阿耨多羅三藐三菩提とくあのくたらさんみゃくさんぽだい
[書き下し] 三世さんぜ諸仏しょぶつも、般若波羅蜜多はんにゃはらみったるがゆえに、阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぽだいたまう。
[口語訳] 過去、現在、未来の全ての仏たちは、般若波羅蜜多によって最高の悟りである阿耨多羅三藐三菩提を得ました。
[現代語訳] 過去、現在、未来の全ての仏たちは、この智慧によって究極の悟りを得たのです。
故知般若波羅蜜多こちはんにゃはらみた 是大神呪ぜだいじんしゅ 是大明呪ぜだいみようしゅ 是無上呪ぜむじようしゅ 是無等等呪ぜむとうどうしゅ 能除一切苦のうじょいっさいく 真実不虚しんじつふこ
[書き下し] ゆえ る、般若波羅蜜多はんにゃはらみったは、大神呪だいじんしゅなり。大明呪だいみようしゅなり。無上呪むじようしゅなり。無等等呪むとうどうしゅなり。一切いっさいのぞく。真実しんじつにしてむなしからず。
[口語訳] だからこそ、般若波羅蜜多は偉大な真言(しんごん)であり、最高の真言であり、無上の真言であり、比類なき真言であり、あらゆる苦しみを取り除く真実のものであり、虚偽ではありません。
[現代語訳] この智慧は、仏教における深い真理を象徴する偉大で最高の「真言(しんごん)」であり、無上の比類なき真実の言葉であり、あらゆる苦しみを取り除くことができるのです。
故説般若波羅蜜多呪こせつはんにゃはらみたしゅ 即説呪曰そくせつしゅわつ 掲諦ぎゃて掲諦ぎゃて 波羅掲諦はらぎゃて 波羅僧掲諦はらそうぎゃて 菩提薩婆訶ぼじそわか
[書き下し] ゆえ若波羅蜜多はんにゃはらみったじゅく。すなわじゅいていわく、掲諦ぎゃてい掲諦ぎゃてい波羅掲諦はらぎゃてい波羅僧掲諦はらそうぎゃてい菩提薩婆訶ぼじそわか
[口語訳] だからこそ、般若波羅蜜多の真言を説きます。その真言とは次のとおりです。「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」。
[現代語訳] だからこそ、般若波羅蜜多の真言を説くのです。真言とは、仏教における深い真理を表す言葉です。すなわち、「歩みを進めよ、歩みを進めよ、彼方の真理へ進みゆけ、悟りに至れ、幸せあれ」(掲諦ぎゃてい掲諦ぎゃてい波羅掲諦はらぎゃてい波羅僧掲諦はらそうぎゃてい菩提薩婆訶ぼじそわか[ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー])と。
般若心経はんにゃしんぎょう
[書き下し・口語訳・現代語訳] 般若心経はんにゃしんぎょう
【追補】
 後半の「三世諸仏」以降の部分について、仏教学者・渡辺照宏氏(1907 - 1977)の一文を引く。
 “過去、現在、未来の三時期に出現する仏陀たちはすべて"英知の完成"をよりどころとして、最高の、真実の、完全な悟りを得て、仏陀となられる。
 それ故に知るがよい、"英知の完成"は偉大な呪文〔大神呪〕である。偉大な知の呪文〔大明呪〕である。最高の呪文〔無上呪〕である。比べもののない呪文〔無等等呪〕である。あらゆる苦悩を滅却するものである。真理である。誤りがないからである。
 "英知の完成"において次のような呪文が説かれている。すなわち、
 ガテー(至れり)、ガテー(至れり)、パーラガテー(彼岸に至れり)、パーラサンガテー(彼岸に到着せり)、ボーディー(悟りに)、スヴァーハー(めでたし)。”
参考:『世界の大思想 2‐2(仏典)』河出書房新社 1969
   『渡辺照宏著作集 第6巻』筑摩書房 1982
   『般若心経講話』成田山選書16 2017
般若心経はんにゃしんぎょう
書き下し・口語訳・現代語訳
  • 般若心経の読み方・唱え方は、宗派・流派によって若干の違いが見られます。ここでは真言宗での読み方を参考にしています。実際に唱えられる際は各宗派の経本などをご覧ください。
  • また、書き下し・口語訳・現代語訳も一つの例としてご覧ください。
  • 文中の「舎利子(しゃりし)よ」とした部分は、梵語の「シャーリプトラ」から「舎利弗(しゃりほつ)」とされることもあります。舎利子(舎利弗)は仏教の開祖釈迦仏の十大弟子の一人です。
観自在菩薩かんじざいぼさ 行深般若波羅蜜多時ぎょうじんはんにゃはらみたじ 照見五蘊皆空しょうけんごうんかいくう 度一切苦厄どいっさいくやく
[書き下し] 観自かんじ在菩薩ざいぼさつが、深般若波羅蜜多じんはんにゃはらみったぎょうずるとき五蘊ごうんみなくうなりと照見しょうけんして、一切いっさい苦厄くやくしたまう。
[口語訳] 観自在菩薩(観音菩薩)が深く智慧の完成の行を行っていた時、人間の存在を構成する五蘊、すなわち、物質的な存在、感覚、思考、意志、意識の五つの要素が、全て実体のないものであると見極め、全ての苦しみから解放されました。
[現代語訳] 観音菩薩は、深い智慧の完成を追求していた時に、人間の存在を構成する全ての要素が実体のないものであると悟り、あらゆる苦しみと災厄を乗り越えました。
舎利子しゃりし 色不異空しきふいくう 空不異色くうふいしき 色即是空しきそくぜくう 空即是色くうそくぜしき 受想行識じゅそうぎょうしき 亦復如是やくぶにょぜ
[書き下し] 舎利子しゃりしよ、しきくうことならず、くうしきことならず、しきすなわくうなり、くうすなわしきなり。じゅそうぎょうしきも、亦復またまたかくごとし。
[口語訳] 舎利子よ、物質的な存在、すなわち色(しき)は、実体のない空(くう)と異ならず、空もまた物質的な存在と異ならない。物質的な存在はすなわち空であり、空はすなわち物質的な存在である。感受、思考、行動、意識もまた同じです。
[現代語訳] 舎利子[シャーリプトラ]よ、物質的な存在と空は同じものであり、物質的な存在は空であり、空もまた物質的な存在です。この考え方は、感受や思考、行動や意識にも当てはまります。
舎利子しゃりし 是諸法空相ぜしょほうくうそう 不生不滅ふしょうふめつ 不垢不浄ふくふじょう 不増不減ふぞうふげん
[書き下し] 舎利子しゃりしよ、諸法しょほう空相くうそうなり。不生ふしょうにして不滅ふめつ不垢ふくにして不浄ふじょう不増ふぞうにして不減ふげんなり。
[口語訳] 舎利子よ、この世のあらゆる諸法、すなわち存在の本質は空であり、生じることも滅びることもなく、汚れることも清らかになることもなく、増えることも減ることもありません。
[現代語訳] 舎利子[シャーリプトラ]よ、全ての現象の本質は実体のない空であり、これらは生まれることも滅びることもなく、汚れることも清らかになることもなく、増えることも減ることもないのです。
是故空中無色ぜこくうちゅうむしき 無受想行識むじゅそうぎょうしき 無眼耳鼻舌身意むげんにびぜっしんに 無色声香味触法むしきしょうこうみそくほう 無眼界むげんかい 乃至無意識界ないしむいしきかい
[書き下し] ゆえに、くうなかにはしきく、じゅ そう ぎょうしきく、げんぜつしんく、しきしょうこうそくほうく、眼界げんかいく、乃至ないし意識界いしきかいし。
[口語訳] したがって、空の中には物質的な存在(色)もなく、感受、思考、行動、意識もなく、眼、耳、鼻、舌、身体、意識もなく、色、声、香り、味、触覚、法(心象)もなく、眼の世界から意識の世界に至るまで、何も存在しません。
[現代語訳] したがって、空の中には物質や感覚、思考、行動、意識といったものは存在せず、五感や意識、さらにはそれらに対応する世界も存在しないのです。
無無明むむみょう 亦無無明尽やくむむみょうじん 乃至無老死ないしむろうし 亦無老死尽やくむろうしじん 無苦集滅道むくしゅうめつどう 無智亦無得むちやくむとく 以無所得故いむしょとくこ
[書き下し] 無明むみょうく、また無明むみょうくることもく、乃至ないし老死ろうしく、また老死ろうしくることもし。しゅうめつどうし。く、またとくし、無所得むしょとくもってのゆえに。
[口語訳] 無明(無知、迷い)は存在せず、それが尽きることもなく、老いや死もなければ、それが尽きることもありません。苦しみの原因やそれを滅する道もなく、智慧もなく、得るものもありません。
[現代語訳] 無知や迷いは存在せず、それが消えることもなく、老いや死も存在せず、それが終わることもありません。苦しみの原因やその解決の道もなく、智慧もなく、得るものもないのです。
菩提薩埵ぼだいさった 依般若波羅蜜多故えはんにゃはらみたこ 心無罣礙しんむけげ 無罣礙故むけげこ 無有恐怖むうくふ 遠離一切顚倒夢想おんりいっさいてんどうむそう 究竟涅槃くぎょうねはん
[書き下し] 菩提薩埵ぼだいさったは、般若波羅蜜多はんにゃはらみったるがゆえに、こころ罣礙けいげし。罣礙けいげきがゆえに、恐怖くふることし。一切いっさい顚倒夢想てんどうむそう遠離おんりして、究竟くぎょう涅槃ねはんす。
[口語訳] 得るものがないがゆえに、菩薩は智慧を依り所とし、心に一切の妨げがなくなり、恐れもありません。全ての迷いと夢想から遠ざかり、最終的な涅槃に至るのです。
[現代語訳] 何も得るものがないために、菩薩は智慧に支えられ、心に妨げがなくなり、恐怖がなくなります。そして、あらゆる迷いや幻想から離れ、最終的に悟りの境地に達します。
三世諸仏さんぜしょぶつ 依般若波羅蜜多故えはんにゃはらみたこ 得阿耨多羅三藐三菩提とくあのくたらさんみゃくさんぽだい
[書き下し] 三世さんぜ諸仏しょぶつも、般若波羅蜜多はんにゃはらみったるがゆえに、阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぽだいたまう。
[口語訳] 過去、現在、未来の全ての仏たちは、般若波羅蜜多によって最高の悟りである阿耨多羅三藐三菩提を得ました。
[現代語訳] 過去、現在、未来の全ての仏たちは、この智慧によって究極の悟りを得たのです。
故知般若波羅蜜多こちはんにゃはらみた 是大神呪ぜだいじんしゅ 是大明呪ぜだいみようしゅ 是無上呪ぜむじようしゅ 是無等等呪ぜむとうどうしゅ 能除一切苦のうじょいっさいく 真実不虚しんじつふこ
[書き下し] ゆえ る、般若波羅蜜多はんにゃはらみったは、大神呪だいじんしゅなり。大明呪だいみようしゅなり。無上呪むじようしゅなり。無等等呪むとうどうしゅなり。一切いっさいのぞく。真実しんじつにしてむなしからず。
[口語訳] だからこそ、般若波羅蜜多は偉大な真言(しんごん)であり、最高の真言であり、無上の真言であり、比類なき真言であり、あらゆる苦しみを取り除く真実のものであり、虚偽ではありません。
[現代語訳] この智慧は、仏教における深い真理を象徴する偉大で最高の「真言(しんごん)」であり、無上の比類なき真実の言葉であり、あらゆる苦しみを取り除くことができるのです。
故説般若波羅蜜多呪こせつはんにゃはらみたしゅ 即説呪曰そくせつしゅわつ 掲諦ぎゃて掲諦ぎゃて 波羅掲諦はらぎゃて 波羅僧掲諦はらそうぎゃて 菩提薩婆訶ぼじそわか
[書き下し] ゆえ若波羅蜜多はんにゃはらみったじゅく。すなわじゅいていわく、掲諦ぎゃてい掲諦ぎゃてい波羅掲諦はらぎゃてい波羅僧掲諦はらそうぎゃてい菩提薩婆訶ぼじそわか
[口語訳] だからこそ、般若波羅蜜多の真言を説きます。その真言とは次のとおりです。「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」。
[現代語訳] だからこそ、般若波羅蜜多の真言を説くのです。真言とは、仏教における深い真理を表す言葉です。すなわち、「歩みを進めよ、歩みを進めよ、彼方の真理へ進みゆけ、悟りに至れ、幸せあれ」(掲諦ぎゃてい掲諦ぎゃてい波羅掲諦はらぎゃてい波羅僧掲諦はらそうぎゃてい菩提薩婆訶ぼじそわか[ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー])と。
般若心経はんにゃしんぎょう
[書き下し・口語訳・現代語訳] 般若心経はんにゃしんぎょう
【追補】
 後半の「三世諸仏」以降の部分について、仏教学者・渡辺照宏氏(1907 - 1977)の一文を引く。
 “過去、現在、未来の三時期に出現する仏陀たちはすべて"英知の完成"をよりどころとして、最高の、真実の、完全な悟りを得て、仏陀となられる。
 それ故に知るがよい、"英知の完成"は偉大な呪文〔大神呪〕である。偉大な知の呪文〔大明呪〕である。最高の呪文〔無上呪〕である。比べもののない呪文〔無等等呪〕である。あらゆる苦悩を滅却するものである。真理である。誤りがないからである。
 "英知の完成"において次のような呪文が説かれている。すなわち、
 ガテー(至れり)、ガテー(至れり)、パーラガテー(彼岸に至れり)、パーラサンガテー(彼岸に到着せり)、ボーディー(悟りに)、スヴァーハー(めでたし)。”
参考:『世界の大思想 2‐2(仏典)』河出書房新社 1969
   『渡辺照宏著作集 第6巻』筑摩書房 1982
   『般若心経講話』成田山選書16 2017
《般若心経 書き下し・口語訳・現代語訳 PDF版》
《参考文献》 『般若心経・金剛般若経』(中村元/紀野一義 1960年 岩波書店)
『世界の大思想 2‐2(仏典)』(河出書房新社 1969年)
『般若心経講話』(橋本凝胤 1970年 誠信書房)
『渡辺照宏著作集 第6巻』(筑摩書房 1982年)
『般若心経の真実』(佐保田鶴治 1982年 人文書院)
『般若心経を解く』(今村誠治 1982年 大陸書房)
『般若心経の研究』(松浦秀光 1983年 国書刊行会)
『般若心経入門』(松原泰道 1984年 祥伝社)
『般若心経講話』(鎌田茂雄 1986年 講談社)
『般若心経の研究』(長谷川洋三 1989年 恒文社)
『般若心経』(中村元 1992年 岩波書店)
『般若心経講義』(高神覚昇 1999年 角川書店)
『広説仏教語大辞典』(中村元 2001年 東京書籍)
「般若心経の新しい読み方」(立川武蔵 2001年 春秋社)
『般若心経を解く』(大法輪閣編集部 2005年 大法輪閣)
『ホンモノにふれる真説般若心経』(村田佳次郎 2010年 青萠堂)
『般若心経講話』(成田山選書16 2017年)
『日本仏教の基本経典』(大角修 2020年 KADOKAWA)
『仏教辞典』(中村元 2023年 岩波書店)

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Last updated:2024/08/31