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般若心経はんにゃしんぎょう
= 用語集・用語解説 =

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[注記]
【般若心経 用語集】
仏説(ぶっせつ)
「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」のように、経典の冒頭に付される言葉で、主に真言宗で唱えられます。この言葉は「これは仏(釈迦)が説いたものである」という意味を持ち、経典が仏陀の教えであることを強調し、経典の信頼性と権威を示すために用いられます。また、続く「摩訶」と共に、後世に追加された修飾語であり、経典の内容を仏教徒により敬意を持って伝えるためのものと考えられています。
摩訶(まか)
サンスクリット語の「मह​ (maha)・マハー」に由来し、「偉大な」「大いなる」を意味します。般若心経では「摩訶般若波羅蜜多」として、偉大な智慧を表しています。
般若(はんにゃ)
サンスクリット語の「प्रज्ञा (prajñā)・プラジニャー」の音訳で、「智慧」を意味します。この智慧は、物事の本質を見抜く仏教の智慧を指します。
波羅蜜多(はらみった)
サンスクリット語の「पारमिता (pāramitā)・パーラミター」の音訳で、「彼岸に到る」または「完成」を意味します。仏教の修行の道において、悟りの境地に到達することを指します。特に、般若心経では、智慧によって到達する究極の悟りの境地を示しています。波羅蜜多は、仏教で言う六波羅蜜(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)のひとつであり、悟りへの道を象徴しています。
心経(しんぎょう)
「心」は核心や本質を、「経」は仏教の教えを意味します。般若心経は、仏教の智慧の核心を簡潔に説いた経典です。
観自在(かんじざい)
サンスクリット語の「अवलोकितेश्वर (Avalokiteśvara)・アヴァローキテーシュヴァラ」の訳で、「観音菩薩」の別名です。「観自在」は、自在に観察し、全ての存在を慈悲と智慧をもって救済する力を持つ菩薩を表しています。観音菩薩は、苦しみの声を聞いて救いをもたらす存在とされ、広く信仰されています。
菩薩(ぼさつ)
サンスクリット語の「बोधिसत्त्व (bodhisattva)・ボディサットヴァ」の音訳で、「菩提薩埵(ぼだいさった)」を省略した言葉です。悟りを求めて修行しながらも、衆生を救うために活動する存在を指します。
行深(ぎょうじん)
「深い修行を行うこと」を意味します。ここでは、深い智慧を持つ修行を行うことを指しています。
照見(しょうけん)
「照らして見る」ことを意味し、物事の本質を明らかに見抜くことを表しています。
五蘊(ごうん)
仏教で言う「人間の存在を構成する五つの要素」、すなわち物質的な存在(色)、感覚(受)、思考(想)、意志(行)、意識(識)を指します。蘊(うん)は「積む」「たくわえる」などの意味を持ち、ここでは「要素」と解釈しました。これら五蘊は、個々の人間の存在やその働きを成り立たせる基本的な構成要素であり、それぞれが相互に関連し合って人間の体験や意識を形成しています。仏教の教えでは、これらの五つの要素もまた空(実体がない)であるとされています。
空(くう)
サンスクリット語の「शून्यता (śūnyatā)・シューヌヤター」の訳で、全てのものは実体がないという仏教の中心的な教義を指します。
度一切苦厄(どいっさいくやく)
全ての苦しみや災厄を超えて、解脱することを意味します。智慧によって苦しみを超えた境地を表します。
舎利子(しゃりし)
サンスクリット語の「शारिपुत्र (Śāriputra)・シャーリプトラ」の音訳で、釈迦の弟子の名前です。舎利弗(しゃりほつ)とされることもあります。釈迦の十大弟子の一人で、般若心経では彼に語りかける形で教えが説かれています。
色不異空、空不異色(しきふいくう、くうふいしき)
物質的な存在(色)と空(実体の無さ)は別のものではなく、互いに不可分であることを表しています。
色即是空、空即是色(しきそくぜくう、くうそくぜしき)
物質的な存在(色)は実体がないものであり、実体がないものが物質的な存在であるという仏教の教えを示しています。
受想行識(じゅそうぎょうしき)
「五蘊」のうち、「色」を除いた四つの要素を指し、感覚(受)、思考(想)、意志(行)、意識(識)を表します。
亦復如是(やくぶにょぜ)
「またその通りである」という意味で、前述の内容が繰り返し確認される際に使われる表現です。般若心経においては、「このように存在の全てが実体のないものであると知覚することで、すべてが空であると見極めることができる」という意味合いを強調しています。
諸法空相(しょほうくうそう)
この世のあらゆる存在や現象(諸法)は、実体がない「空相」という仏教の教義を示しています。
不生不滅(ふしょうふめつ)
物事には生じることも消えることもないという、仏教の空の概念を表しています。
不垢不浄(ふくふじょう)
汚れ(垢)も清浄(浄)もないという意味で、物事には二元的な評価がないという教えです。
不増不減(ふぞうふげん)
物事には増えることも減ることもないという、仏教の空の教えを表します。
眼耳鼻舌身意(げんにびぜっしんい)
人間の六つの感覚器官である眼(見る)、耳(聞く)、鼻(嗅ぐ)、舌(味わう)、身(触る)、意(意識する)を指します。六根(ろっこん)とも呼ばれるものです。
色声香味触法(しきしょうこうみそくほう)
人間の六つの感覚対象である色(視覚対象)、声(聴覚対象)、香(嗅覚対象)、味(味覚対象)、触(触覚対象)、法(意識の対象)を表します。六境(ろっきょう)とも呼ばれるもので、六根が認識する六つの対象のことを意味します。
無眼界乃至無意識界(むげんかいないしむいしきかい)
眼から意識までのすべての感覚の範囲(界)が存在しないことを意味します。すべてが空であると教えています。
無無明亦無無明尽(むむみょうやくむむみょうじん)
無明(無知、迷い)がないという意味で、さらには無明が尽きることもないということを示しています。
乃至無老死亦無老死尽(ないしむろうしやくむろうしじん)
老いと死が存在しないこと、さらに老いと死が終わることもないという意味です。この表現は、仏教の教えである「空」の概念を強調し、すべての現象が実体を持たないことを示しています。すなわち、老いや死という現象もまた空であり、執着や恐れから解放されるべきであると説いています。
無苦集滅道(むくしゅうめつどう)
四聖諦(ししょうたい)、すなわち苦(苦しみ)、集(苦の原因)、滅(苦の終わり)、道(苦から解放される道)のすべてが存在しないという意味です。これは、すべてのものが空であり、実体を持たないという仏教の教えを表しています。四聖諦もまた、執着や誤解から解き放たれた状態では、実体として存在しないことが理解されるべきだと示しています。
無智亦無得(むちやくむとく)
智慧も得るべきものも存在しないということを意味し、すべてが空であると説いています。智恵や知識にとらわれることなく、自由無礙(じゆうむげ)になるべきとします。
以無所得故(いむしょとくこ)
「何も得るものがないという理由によって」や、「何も得ることがないから」という意味の言葉です。般若心経においては、何ものにも執着せず、何ものも求めない状態を表し、すべてが空であり、得るものがないために煩悩から解放されるという悟りの境地を示しています。
心無罣礙(しんむけいげ)
心に何の妨げもないことを意味し、悟りの状態を表しています。
遠離一切顚倒夢想(おんりいっさいてんどうむそう)
すべての顛倒した(逆さまな)夢想や妄念から遠く離れることを意味し、心の平安を指します。
究竟涅槃(くぎょうねはん)
究極の涅槃、すなわち完全な解脱と悟りの境地を意味します。涅槃は、サンスクリット語の「निर्वाण (nirvāṇa)・ニルヴァーナ」の音訳で、「さとり」の境地を表します。
三世諸仏(さんぜしょぶつ)
過去、現在、未来のすべての仏を指し、あらゆる時間において存在する仏を意味します。
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)
サンスクリット語の「अनुत्तरसम्यक्सम्बोधि (anuttarasamyaksaṃbodhi)・アヌッタラー サムヤクサンボーディ」の音訳で、「無上正等覚」、すなわち完全な悟りを得ることを意味します。
大神呪(咒)(だいじんしゅ)
ここでの「呪(しゅ)」は、サンスクリット語の「मन्त्र (mantra)・マントラ」に対応し、「真言」とも訳されます。これは偉大な真言を意味し、般若心経における智慧の力を讃える言葉です。ここでの「真言」は、単なる呪文ではなく、仏教の深い真理や悟りへの導きを象徴するものです。
偉大な呪文を意味し、般若心経の智慧の力を讃えています。
大明呪(咒)(だいみょうしゅ)
偉大な明(光、明るさ)の真言を意味し、智慧が無知や迷いの暗闇を照らし、悟りの境地へと導くことを示しています。この「真言」は、心を浄化し、悟りへと至る力を持つものとされています。
無上呪(咒)(むじょうしゅ)
最上の真言を意味し、あらゆる真言の中で最も優れたものであるとされています。この言葉は、般若心経の智慧が他に比べるもののないほど高いものであることを強調しています。
無等等呪(咒)(むとうどうしゅ)
比類なき真言を意味し、この真言が並ぶものがないほど優れていることを示しています。この「真言」は、他に比べるもののない力を持ち、究極の悟りへと導くものとされています。
能除一切苦(のうじょいっさいく)
「すべての苦しみを取り除くことができる」という意味です。般若心経では、智慧を持つことであらゆる苦しみを超越し、解放されることを示しています。これは般若波羅蜜多の力を称賛する表現であり、この言葉がその力を示しています。
真実不虚(しんじつふこ)
「真実であり、偽りがない」という意味で、悟りの境地が真実であり、決して虚偽ではないことを強調しています。これは般若心経が述べる教えが確固たるものであることを強調する表現です。
即説呪曰(そくせつしゅわつ)
「即ち呪を説いて曰く」と読み下すことができ、「その真言とは次のとおりです」といった意味です。ここでは、真言がこれから述べられることを示し、続く言葉として「掲諦掲諦」などの真言が唱えられ、その力を信じるように勧めています。
掲諦掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦(ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい)
サンスクリット語の「गते गते पारगते पारसंगते (gate gate pāragate pāraṃsagate)・ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー」の音訳です。仏教における悟りの境地へ進むことを勧める言葉であり、「行ける者よ、行ける者よ、彼岸に行け、共に彼岸に到達しよう」や、「進むがよい、進むがよい、彼方の真理へ進むがよい」、「行ぜよ、行ぜよ、究極の真理を目指して行ぜよ」などと訳すことができます。当サイトの現代語訳では「歩みを進めよ、歩みを進めよ、彼方の真理へ進みゆけ」としています。
菩提薩婆訶(ぼじそわか)
サンスクリット語の「बोधि स्वाहा (bodhi svāhā)・ボーディ スヴァーハー」の音訳で、「悟りに至れ、幸せあれ」という意味です。仏教における悟りの完成と祝福を表しています。
【般若心経 用語集】
仏説(ぶっせつ)
「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」のように、経典の冒頭に付される言葉で、主に真言宗で唱えられます。この言葉は「これは仏(釈迦)が説いたものである」という意味を持ち、経典が仏陀の教えであることを強調し、経典の信頼性と権威を示すために用いられます。また、続く「摩訶」と共に、後世に追加された修飾語であり、経典の内容を仏教徒により敬意を持って伝えるためのものと考えられています。
摩訶(まか)
サンスクリット語の「मह​ (maha)・マハー」に由来し、「偉大な」「大いなる」を意味します。般若心経では「摩訶般若波羅蜜多」として、偉大な智慧を表しています。
般若(はんにゃ)
サンスクリット語の「प्रज्ञा (prajñā)・プラジニャー」の音訳で、「智慧」を意味します。この智慧は、物事の本質を見抜く仏教の智慧を指します。
波羅蜜多(はらみった)
サンスクリット語の「पारमिता (pāramitā)・パーラミター」の音訳で、「彼岸に到る」または「完成」を意味します。仏教の修行の道において、悟りの境地に到達することを指します。特に、般若心経では、智慧によって到達する究極の悟りの境地を示しています。波羅蜜多は、仏教で言う六波羅蜜(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)のひとつであり、悟りへの道を象徴しています。
心経(しんぎょう)
「心」は核心や本質を、「経」は仏教の教えを意味します。般若心経は、仏教の智慧の核心を簡潔に説いた経典です。
観自在(かんじざい)
サンスクリット語の「अवलोकितेश्वर (Avalokiteśvara)・アヴァローキテーシュヴァラ」の訳で、「観音菩薩」の別名です。「観自在」は、自在に観察し、全ての存在を慈悲と智慧をもって救済する力を持つ菩薩を表しています。観音菩薩は、苦しみの声を聞いて救いをもたらす存在とされ、広く信仰されています。
菩薩(ぼさつ)
サンスクリット語の「बोधिसत्त्व (bodhisattva)・ボディサットヴァ」の音訳で、「菩提薩埵(ぼだいさった)」を省略した言葉です。悟りを求めて修行しながらも、衆生を救うために活動する存在を指します。
行深(ぎょうじん)
「深い修行を行うこと」を意味します。ここでは、深い智慧を持つ修行を行うことを指しています。
照見(しょうけん)
「照らして見る」ことを意味し、物事の本質を明らかに見抜くことを表しています。
五蘊(ごうん)
仏教で言う「人間の存在を構成する五つの要素」、すなわち物質的な存在(色)、感覚(受)、思考(想)、意志(行)、意識(識)を指します。蘊(うん)は「積む」「たくわえる」などの意味を持ち、ここでは「要素」と解釈しました。これら五蘊は、個々の人間の存在やその働きを成り立たせる基本的な構成要素であり、それぞれが相互に関連し合って人間の体験や意識を形成しています。仏教の教えでは、これらの五つの要素もまた空(実体がない)であるとされています。
空(くう)
サンスクリット語の「शून्यता (śūnyatā)・シューヌヤター」の訳で、全てのものは実体がないという仏教の中心的な教義を指します。
度一切苦厄(どいっさいくやく)
全ての苦しみや災厄を超えて、解脱することを意味します。智慧によって苦しみを超えた境地を表します。
舎利子(しゃりし)
サンスクリット語の「शारिपुत्र (Śāriputra)・シャーリプトラ」の音訳で、釈迦の弟子の名前です。舎利弗(しゃりほつ)とされることもあります。釈迦の十大弟子の一人で、般若心経では彼に語りかける形で教えが説かれています。
色不異空、空不異色(しきふいくう、くうふいしき)
物質的な存在(色)と空(実体の無さ)は別のものではなく、互いに不可分であることを表しています。
色即是空、空即是色(しきそくぜくう、くうそくぜしき)
物質的な存在(色)は実体がないものであり、実体がないものが物質的な存在であるという仏教の教えを示しています。
受想行識(じゅそうぎょうしき)
「五蘊」のうち、「色」を除いた四つの要素を指し、感覚(受)、思考(想)、意志(行)、意識(識)を表します。
亦復如是(やくぶにょぜ)
「またその通りである」という意味で、前述の内容が繰り返し確認される際に使われる表現です。般若心経においては、「このように存在の全てが実体のないものであると知覚することで、すべてが空であると見極めることができる」という意味合いを強調しています。
諸法空相(しょほうくうそう)
この世のあらゆる存在や現象(諸法)は、実体がない「空相」という仏教の教義を示しています。
不生不滅(ふしょうふめつ)
物事には生じることも消えることもないという、仏教の空の概念を表しています。
不垢不浄(ふくふじょう)
汚れ(垢)も清浄(浄)もないという意味で、物事には二元的な評価がないという教えです。
不増不減(ふぞうふげん)
物事には増えることも減ることもないという、仏教の空の教えを表します。
眼耳鼻舌身意(げんにびぜっしんい)
人間の六つの感覚器官である眼(見る)、耳(聞く)、鼻(嗅ぐ)、舌(味わう)、身(触る)、意(意識する)を指します。六根(ろっこん)とも呼ばれるものです。
色声香味触法(しきしょうこうみそくほう)
人間の六つの感覚対象である色(視覚対象)、声(聴覚対象)、香(嗅覚対象)、味(味覚対象)、触(触覚対象)、法(意識の対象)を表します。六境(ろっきょう)とも呼ばれるもので、六根が認識する六つの対象のことを意味します。
無眼界乃至無意識界(むげんかいないしむいしきかい)
眼から意識までのすべての感覚の範囲(界)が存在しないことを意味します。すべてが空であると教えています。
無無明亦無無明尽(むむみょうやくむむみょうじん)
無明(無知、迷い)がないという意味で、さらには無明が尽きることもないということを示しています。
乃至無老死亦無老死尽(ないしむろうしやくむろうしじん)
老いと死が存在しないこと、さらに老いと死が終わることもないという意味です。この表現は、仏教の教えである「空」の概念を強調し、すべての現象が実体を持たないことを示しています。すなわち、老いや死という現象もまた空であり、執着や恐れから解放されるべきであると説いています。
無苦集滅道(むくしゅうめつどう)
四聖諦(ししょうたい)、すなわち苦(苦しみ)、集(苦の原因)、滅(苦の終わり)、道(苦から解放される道)のすべてが存在しないという意味です。これは、すべてのものが空であり、実体を持たないという仏教の教えを表しています。四聖諦もまた、執着や誤解から解き放たれた状態では、実体として存在しないことが理解されるべきだと示しています。
無智亦無得(むちやくむとく)
智慧も得るべきものも存在しないということを意味し、すべてが空であると説いています。智恵や知識にとらわれることなく、自由無礙(じゆうむげ)になるべきとします。
以無所得故(いむしょとくこ)
「何も得るものがないという理由によって」や、「何も得ることがないから」という意味の言葉です。般若心経においては、何ものにも執着せず、何ものも求めない状態を表し、すべてが空であり、得るものがないために煩悩から解放されるという悟りの境地を示しています。
心無罣礙(しんむけいげ)
心に何の妨げもないことを意味し、悟りの状態を表しています。
遠離一切顚倒夢想(おんりいっさいてんどうむそう)
すべての顛倒した(逆さまな)夢想や妄念から遠く離れることを意味し、心の平安を指します。
究竟涅槃(くぎょうねはん)
究極の涅槃、すなわち完全な解脱と悟りの境地を意味します。涅槃は、サンスクリット語の「निर्वाण (nirvāṇa)・ニルヴァーナ」の音訳で、「さとり」の境地を表します。
三世諸仏(さんぜしょぶつ)
過去、現在、未来のすべての仏を指し、あらゆる時間において存在する仏を意味します。
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)
サンスクリット語の「अनुत्तरसम्यक्सम्बोधि (anuttarasamyaksaṃbodhi)・アヌッタラー サムヤクサンボーディ」の音訳で、「無上正等覚」、すなわち完全な悟りを得ることを意味します。
大神呪(咒)(だいじんしゅ)
ここでの「呪(しゅ)」は、サンスクリット語の「मन्त्र (mantra)・マントラ」に対応し、「真言」とも訳されます。これは偉大な真言を意味し、般若心経における智慧の力を讃える言葉です。ここでの「真言」は、単なる呪文ではなく、仏教の深い真理や悟りへの導きを象徴するものです。
偉大な呪文を意味し、般若心経の智慧の力を讃えています。
大明呪(咒)(だいみょうしゅ)
偉大な明(光、明るさ)の真言を意味し、智慧が無知や迷いの暗闇を照らし、悟りの境地へと導くことを示しています。この「真言」は、心を浄化し、悟りへと至る力を持つものとされています。
無上呪(咒)(むじょうしゅ)
最上の真言を意味し、あらゆる真言の中で最も優れたものであるとされています。この言葉は、般若心経の智慧が他に比べるもののないほど高いものであることを強調しています。
無等等呪(咒)(むとうどうしゅ)
比類なき真言を意味し、この真言が並ぶものがないほど優れていることを示しています。この「真言」は、他に比べるもののない力を持ち、究極の悟りへと導くものとされています。
能除一切苦(のうじょいっさいく)
「すべての苦しみを取り除くことができる」という意味です。般若心経では、智慧を持つことであらゆる苦しみを超越し、解放されることを示しています。これは般若波羅蜜多の力を称賛する表現であり、この言葉がその力を示しています。
真実不虚(しんじつふこ)
「真実であり、偽りがない」という意味で、悟りの境地が真実であり、決して虚偽ではないことを強調しています。これは般若心経が述べる教えが確固たるものであることを強調する表現です。
即説呪曰(そくせつしゅわつ)
「即ち呪を説いて曰く」と読み下すことができ、「その真言とは次のとおりです」といった意味です。ここでは、真言がこれから述べられることを示し、続く言葉として「掲諦掲諦」などの真言が唱えられ、その力を信じるように勧めています。
掲諦掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦(ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい)
サンスクリット語の「गते गते पारगते पारसंगते (gate gate pāragate pāraṃsagate)・ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー」の音訳です。仏教における悟りの境地へ進むことを勧める言葉であり、「行ける者よ、行ける者よ、彼岸に行け、共に彼岸に到達しよう」や、「進むがよい、進むがよい、彼方の真理へ進むがよい」、「行ぜよ、行ぜよ、究極の真理を目指して行ぜよ」などと訳すことができます。当サイトの現代語訳では「歩みを進めよ、歩みを進めよ、彼方の真理へ進みゆけ」としています。
菩提薩婆訶(ぼじそわか)
サンスクリット語の「बोधि स्वाहा (bodhi svāhā)・ボーディ スヴァーハー」の音訳で、「悟りに至れ、幸せあれ」という意味です。仏教における悟りの完成と祝福を表しています。
《般若心経 用語集 PDF版》
《参考文献》 『般若心経・金剛般若経』(中村元/紀野一義 1960年 岩波書店)
『世界の大思想 2‐2(仏典)』(河出書房新社 1969年)
『般若心経講話』(橋本凝胤 1970年 誠信書房)
『渡辺照宏著作集 第6巻』(筑摩書房 1982年)
『般若心経の真実』(佐保田鶴治 1982年 人文書院)
『般若心経を解く』(今村誠治 1982年 大陸書房)
『般若心経の研究』(松浦秀光 1983年 国書刊行会)
『般若心経入門』(松原泰道 1984年 祥伝社)
『般若心経講話』(鎌田茂雄 1986年 講談社)
『般若心経の研究』(長谷川洋三 1989年 恒文社)
『般若心経』(中村元 1992年 岩波書店)
『般若心経講義』(高神覚昇 1999年 角川書店)
『広説仏教語大辞典』(中村元 2001年 東京書籍)
「般若心経の新しい読み方」(立川武蔵 2001年 春秋社)
『般若心経を解く』(大法輪閣編集部 2005年 大法輪閣)
『ホンモノにふれる真説般若心経』(村田佳次郎 2010年 青萠堂)
『般若心経講話』(成田山選書16 2017年)
『日本仏教の基本経典』(大角修 2020年 KADOKAWA)
『仏教辞典』(中村元 2023年 岩波書店)

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Last updated:2024/08/31