「東西伊呂波短歌評釈」 |
幸田露伴の「東西伊呂波短歌評釈」で、
東と西の「いろはガルタ」の違いを見てみます。
東と西の「いろはガルタ」の違いを見てみます。
幸田 露伴(こうだ ろはん)
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東西伊呂波短歌評釈幸田露伴
東京と西京とは、飲食住居より言語風俗に至るまで、今猶
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*『東西伊呂波短歌評釈』の初出は、明治42年・1909年3月
です。
* 原文には「い・ろ・は」の項目分けはありませんが、便宜上編集において付加しました。
* 本文は「青空文庫」からの引用で、一行目を旧字旧仮名遣い、二行目を新字新仮名遣いとしました。
* 原文にある、それぞれの説明・解釈などは省略しました。「青空文庫」などでお読みください。
* 現代では不適切と受け取られる可能性のある表現を含む句もありますが、歴史的背景を示す意味から原形のまま掲載しています。
い
東狗 も歩けば棒にあたる西いや/\三盃
ろ
東論より證據論より証拠西論語讀みの論語知らず論語読みの論語知らず
は
東花より團子花より団子西針の孔から天
に
東にくまれ子は世にはびこる西おなじ
ほ
東ほね折り損のくたびれ儲け西ほとけの顏も三度ほとけの顔も三度
へ
東屁を放 つて尻すぼめ屁を放 って尻すぼめ西下手な長談義
と
東年寄りの冷水西豆腐に鎹 豆腐に鎹
ち
東塵積つて山塵積って山西地獄の沙汰も金
り
東律義者 の子澤山律義者 の子沢山西綸言 汗の如し
ぬ
東ぬす人の昼寐ぬす人の昼寝西ぬかに釘
る
東るりもはりも照せば光る西類を以て聚る
を
東老いては子に従ふ老いては子に従う西負ふた子に教へられ負うた子に教えられ
わ
東われ鍋に綴蓋西笑ふ門には笑う門には
か
東かつたいの痂 うらみかったいの痂 うらみ西蛙の面に水
よ
東よしのずゐから天を覗くよしのずいから天を覗く西よめとほめよめとおめ
た
東たびは道づれ西たていたに水
れ
東れうやく口に苦しりょうやく口に苦し西れんぎで腹切る
そ
東惣領の甚六西袖のふりあはせも袖のふりあわせも
つ
東月夜に釜をぬかれる西東におなじ
ね
東念には念を入れよ西猫に小判
な
東なきつらに蜂西なす時の閻魔顔
ら
江戸樂あれば苦あり楽あれば苦あり西來年の事云へば鬼が笑ふ来年の事云えば鬼が笑う
む
東無理がとほれば道理引込む無理がとおれば道理引込む西むまの耳に風*編集注:「むま」は「馬」のこと。『平安以降、「むま」と表記した例が多い(小学館・日本国語大辞典)』
う
東うそから出た眞うそから出た真西氏より育ち
ゐ
東芋の煮えたも御存知ない西鰯の頭も信心がら*編集注:「信心がら」は「信心柄」で、「から」とされることが多いが、ここでは濁音となっている。狩野亨吉『安藤昌益』に「聽くものよりすれば鰯の頭も信心柄と取られ」、夏目漱石『創作家の態度』に「ことごとく信心がらの鰯の頭と同じような利目が」、石川啄木『葬列』に「かの鰯の頭も信心柄の殊勝な連中が」などと見られる。
の
東咽頭 過ぐれば熱さ忘るゝ咽頭 過ぐれば熱さ忘るる西鑿といへば鎚鑿といえば鎚
お
東鬼に鐵棒 鬼に鉄棒 西鬼も一八
く
東くさいものには蓋西くさいものに蝿
や
東やす物買ひの錢失ひやす物買いの銭失い西やみに鐵砲やみに鉄砲
ま
東負けるは勝西まかぬ種子 は生えぬ
け
東藝は身を助ける芸は身を助ける西下駄に燒味噌下駄に焼味噌
ふ
東ふみはやりたし書く手は持たず西ふくろうの宵だくみ
こ
東子は三界の首枷西これにこりよ道西坊
え
東えてに帆を上げ西えんと月日
て
東亭主の好きな赤烏帽子西寺から里へ
あ
東あたま隠して尻かくさず西あきなひは牛の涎あきないは牛の涎
さ
東三遍囘つて煙草にしよ三遍回って煙草にしょ西猿も木から墜ちる
き
東聞いて極楽見て地獄西義理と犢鼻褌
ゆ
東ゆだん大敵西ゆうれいの濱風ゆうれいの浜風
め
東めの上のたん瘤西めくらのかきのぞき
み
東身から出た錆西身は身でとほる身は身でとおる
し
東知らぬが仏西しわんぼの柿の核子
ゑ
東綠は異なもの縁は異なもの西綠の下の舞縁の下の舞
ひ
東びん乏暇無し西瓢箪に鯰
も
東もんぜんの小僧習はぬ経を読むもんぜんの小僧習わぬ経を読む西餅屋は餅屋
せ
東せに腹はかへられぬせに腹はかえられぬ西雪隠で饅頭
す
東粹が身をくふ粋が身をくう西雀百まで躍りやまず
京
東京の夢大阪の夢西京に田舎あり