作 家
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作 品
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作者不詳 国民文庫 (明治43年) |
【源平盛衰記】 廬山僧慧は鶴を詞けるに、僧慧死して後、彼鶴年々の忌日に来て、羽を垂て終日に啼居たりき。晉代に師曠と云人は、秘蔵して一挺琴を持てんげり。 |
作者不詳 国民文庫 (明治44年) |
【義経記】
巻第七 総じて勢〔は〕十六人、笈十挺あり。一挺の笈には鈴・独鈷・花瓶・火舎・閼伽坏・金剛童子の本尊〔を〕入れたりける。一挺の笈には折らぬ烏帽子十頭、直垂・大口などをぞ入れたりける。残り八挺の笈には、皆鎧腹巻をぞ入れたりける。 |
森鷗外 |
【堺事件】 これを見て端艇に待っていた水兵が、突然短銃で一斉射撃をした。 両隊長が咄嗟(とっさ)の間に決心して「撃て」と号令した。待ち兼ねていた兵卒は七十余挺(ちょう)の銃口を並べ、上陸兵を収容している端艇を目当に発射した。 |
森鷗外 |
【堺事件】 一同が藩邸の玄関から高足駄(たかあしだ)を踏み鳴らして出ると、細川、浅野両家で用意させた駕籠(かご)二十挺を舁(か)き据えた。一礼してそれに乗り移る。行列係が行列を組み立てる。先手(さきて)は両藩の下役人数人で、次に兵卒数人が続く。次は細川藩の留守居馬場彦右衛門、同藩の隊長山川亀太郎、浅野藩の重役渡辺競(きそう)の三人である。陣笠小袴(こばかま)で馬に跨(またが)り、持鑓(もちやり)を竪(た)てさせている。次に兵卒数人が行く。次に大砲二門を挽(ひ)かせて行く。次が二十挺の駕籠である。駕籠一挺毎に、装剣の銃を持った六人の兵が附く。 |
岡本綺堂 |
【半七捕物帳狐(きつね)と僧(そう)】 「駕籠は一挺か」と、半七は少し考えた。 |
佐々木味津三 |
【旗本退屈男 第一話旗本退屈男】 七八人の黒い影が早駕籠らしいものを一挺取り囲みまして、逃げるように立去ったそのあとに、ほら--ごらん下さりませ。この脇差とこんな手紙が落ちていたのでござります。 |
佐々木味津三 |
【旗本退屈男 第十話幽霊を買った退屈男】 駈けつけて見すかすと、なるほど八九名の影がある。しかも大きな長持を一挺(ちょう)担(にな)わせて、その黒い影の塊りが左右四方から厳重に守りつつ現れたのです。 |
中里介山 |
【大菩薩峠三輪の神杉の巻】 には髷(まげ)の刷毛先(はけさき)の曲ったのまでが問題になる。 金蔵は猟師の惣太の手から、旧式の種子(たね)ケ島(しま)を一挺(ちょう)、手に入れて、その弾薬は滅多(めった)な家へは置けないから、ここへ隠しに来たものです。 |
中里介山 |
【大菩薩峠三輪の神杉の巻】 金蔵は横飛びに飛んで自分の家へ馳(は)せ帰りましたが、その晩のうちに親爺(おやじ)の金を一風呂敷と、自分が秘蔵の鉄砲を一挺持って、どことも知れず逃げ出してしまいました。 |
中里介山 |
【大菩薩峠三輪の神杉の巻】 丹後守は戸棚の中から桐の箱を取り出して、打懸(うちか)けた紐(ひも)をとくと、手に取り上げたのは一挺の拳銃(ピストル)であります。 |
芥川龍之介 |
【アグニの神】 上衣の隠しに手を入れると、一挺のピストルを引き出しました。 |
芥川龍之介 |
【アグニの神】 婆さんはどこからとり出したか、眼をつぶつた妙子の顔の先へ、一挺のナイフを突きつけました。 |
芥川龍之介 |
【奇怪な再会】 お蓮は派手な長襦袢(ながじゅばん)の袖に、一挺の剃刀を蔽(おお)ったなり、鏡台の前に立ち上った。 |
若山牧水 |
【島三題】 納戸(なんど)の隅に折から一挺の大鎌ありなんぢが意志をまぐるなといふが如くに |
中里介山 |
【大菩薩峠 間の山の巻】 お玉の母はその後、やはりこの部落の中で味気ない一生を早く終って、間の山の正調と、手慣れた一挺(いっちょう)の三味線と、忠義なる一頭のムク犬とを娘のために遺品(かたみ)として、今は世にない人でありました。 |
泉鏡花 |
【竜潭譚(りゆうたんだん)】 その半腹(はんぷく)にかかりある厳角(いわかど)の苔(こけ)のなめらかなるに、一挺(いつちよう)はだか蝋(ろう)に灯(ひ)ともしたる灯影(ほかげ)すずしく、筧(かけい)の水むくむくと湧(わ)きて玉(たま)ちるあたりに盥(たらい)を据ゑて、うつくしく髪(かみ)結(ゆ)うたる女(ひと)の、身に一糸もかけで、むかうざまにひたりてゐたり。 |
泉鏡花 |
【竜潭譚(りゆうたんだん)】 をぢは一挺(いつちよう)の斧(おの)を腰にしたり。 |
泉鏡花 |
【栃の実】 ふと、軒に乾した煙草の葉と、蕃椒(とうがらし)の間に、山駕籠(やまかご)の煤(すす)けたのが一挺掛(かか)った藁家を見て、 |
泉鏡花 |
【薬草取】 温泉宿を忍んで裏口から朝月夜(あさづきよ)に、田圃道(たんぼみち)へ出た時は、中形(ちゅうがた)の浴衣(ゆかた)に襦子(しゅす)の帯をしめて、鎌を一挺、手拭(てぬぐい)にくるんでいたです。 |
泉鏡花 |
【歌行燈】 「名古屋の大須の観音の裏町で、これも浮世に別れたらしい、三味線一挺(ちょう)、古道具屋の店にあったを工面(くめん)したのがはじまりで、一銭二銭、三銭じゃ木賃で泊めぬ夜(よ)も多し、日数をつもると野宿も半分、京大阪と経(へ)めぐって、西は博多まで行ったっけ。 |
泉鏡花 |
【継三味線】 同じ事でも、これが小鼓の方だと、近頃は貴婦人令嬢、稽古に有頂天と言ふ処だから、羽が生えて飛ぶんです。が、それも蒔絵の有る方が装飾(かざり)に成るから望まれる。それこそ、一挺で千両三千両と云ふ勢だけれどもね、大鼓(おほかは)の方は余り望み手がないのです、習ふものが少いから。 |
泉鏡花 |
【紅玉】 やがて、初の烏、一挺(ちょう)の蝋燭(ろうそく)を取って、これに火を点ず。 舞台明(あかる)くなる。 |
岡本綺堂 |
【青蛙堂鬼談 蛇精(じゃせい)】 |
幸田露伴 |
【些細なやうで重大な事】 一挺のナイフでも、林檎を剥(む)いた儘、之を拭はずに捨てゝ置けば直に錆び腐つて、用ひられなくなる。 |
直木三十五 |
【鍵屋の辻】 いつでも対手になってやるという覚悟で、勿論鎖帷子、白昼堂々と槍を立てて又五郎は行く。三人に槍三本、鉄砲一挺、半弓一張とちゃんと格式を守って大手を振っているのである。 |
平出修 |
【逆徒】 牛込の富久町から日比谷にかけての道筋、裁判所の構内には沢山の警官が配置され、赤い帽子の憲兵の姿も交つてゐた。入場者は一一誰何され、携帯品(もちもの)の取調をも受けた。一挺の鉛筆削でも容赦なく留置された。法廷内は殊に厳重であつた。被告一人に一人宛の看守が附いて被告と被告との間には一人宛必ず挾(はさま)つて腰を掛けて居た。 |
岡本かの子 |
【母子叙情】 むす子の顔をみると、むす子は歯牙(しが)にかけず、晴々と笑っていて、「いいものを見せましょうか」と、台所から一挺(いっちょう)日本の木鋏(きばさみ)を持ち出した。 |
夢野久作 |
【爆弾太平記】 一挺の櫓と一枚か二枚の継(つ)ぎ矧(は)ぎ帆(ほ)で、自由自在に三十六灘(なだ)を突破しながら、「絶海遥かにめぐる赤間関」と来る。そこで眼ざす鯖の群れが青海原に見えて来ると、一人は艫(とも)にまわって潮銹(しおさび)の付いた一挺櫓を押す。 |
夢野久作 |
【あやかしの鼓】 「ウム。よしよし」 とおっしゃって茶托に干菓子を山盛りにして下さった。それをポツポツ喰べている私の顔を老先生はニコニコして見ておられたが、やがて床の間の横の袋戸から古ぼけた鼓を一挺出して打ち初められた。 |
杉山萠圓 (夢野久作) |
【白髪小僧】 そしてその右には赤膨(ぶく)れに肥った真裸体(まっぱだか)の赤ん坊が座って、糸も何も張って無い古月琴(げっきん)を一挺抱えて弾いていた。 |
菊池寛 |
【俊寛】 彼は、その日から、泉に近い山林へ入って、木を伐った。彼が持っている道具は、一挺の小さい鉞(まさかり)と二本の小太刀であった。周囲が一尺もある木は、伐り倒すのに四半刻(はんどき)近くかかった。 |
夏目漱石 |
【倫敦塔】 歌の主(ぬし)は腕を高くまくって、大きな斧(おの)を轆轤(ろくろ)の砥石(といし)にかけて一生懸命に磨(と)いでいる。その傍(そば)には一挺(ちょう)の斧が抛(な)げ出してあるが、風の具合でその白い刃(は)がぴかりぴかりと光る事がある。 |
樋口一葉 |
【うつせみ】 私もお跡から參りまするとて日のうちには看護の暇をうかゞひて驅け出すこと二度三度もあり、井戸には蓋を置き、きれ物とては鋏刀一挺目にかゝらぬやうとの心配りも、危きは病ひのさする業かも、此纎弱き娘一人とり止むる事かなはで、勢ひに乘りて驅け出す時には大の男二人がゝりにても六つかしき時の有ける。 |
石川啄木 |
【天鵞絨】 此間から見えなかつた斬髮機(バリカン)が一挺、此職人が何處かに隱し込んで置いたのを見附かつたとかで、お定は二階の風呂敷包が氣になつた。 |
長塚節 |
【菜の花】 春さんが去る時河井さんは合乘を一挺とつてくれといつた。 |
夢野久作 |
【白菊】 秘蔵のマキリ(アイヌが熊狩りに用いる鋭利な短刀)一挺(ちょう)と、数本の干魚(ほしうお)を奪い去った。 |
海野十三 |
【敗戦日記】 さてこそ日用品というものは大切であり、重宝なわけ。万年筆一本、ナイフ一挺、メモ一冊なくなっても不便この上ないわけ。われわれの生活様式も一段と工夫を積まねばならぬ。 |