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■ Wikipediaによる解説 ■
江戸城(えどじょう)は、武蔵国豊嶋郡江戸(現在の東京都千代田区千代田)にあった城である。江戸時代においては江城(こうじょう)という呼び名が一般的だったと言われ、また千代田城(ちよだじょう)とも呼ばれる。
江戸城は麹町台地の東端に、扇谷上杉氏の家臣太田道灌が築いた平山城である。近世に徳川氏によって段階的に改修された結果、総構周囲約4里と、日本最大の面積の城郭になった。
徳川家康が江戸城に入城した後は徳川家の居城、江戸幕府の開幕後は幕府の政庁となる。明治維新後の東京奠都で宮城(きゅうじょう)となった。以後は吹上庭園が御所、旧江戸城西ノ丸が宮殿の敷地となっている。その東側にある旧江戸城の中心部である本丸・二ノ丸と三ノ丸の跡は皇居東御苑として開放されている。南東側の皇居外苑と北側の北の丸公園は常時開放され、それらの外側は一般に利用できる土地になっている。
国の特別史跡に指定されている。
江戸(東京)の地に最初に根拠地を置いた武家は江戸重継である。平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての江戸氏の居館が、後の本丸・二ノ丸辺りの台地上に置かれていたとされる。
15世紀の関東の騒乱で江戸氏が没落したのち、扇谷上杉氏の上杉持朝の家臣である太田道灌が1457年(長禄元年)に江戸城を築城した。徳川幕府の公文書である『徳川実紀』ではこれが江戸城のはじめとされる。
江戸城
(東京都) |
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別名 | 千代田城 |
城郭構造 | 輪郭式平山城 |
天守構造 | 連立式層塔型5重5階地下1階(1606年築) 独立式層塔型5重5階地下1階(1621年再) 独立式層塔型5重5階地下1階(1635年再) (いずれも非現存) |
築城主 | 太田道灌 |
築城年 | 1457年(長禄元年) |
主な改修者 | 徳川家康、秀忠、家光(江戸期) 宮内省・宮内庁(明治以降) |
主な城主 | 太田氏、後北条氏(戦国期) 徳川将軍家(江戸期) 皇室(明治以降) |
遺構 | 現存櫓・門、石垣・土塁・堀 |
指定文化財 | 国の重要文化財(桜田門、田安門、清水門) 特別史跡 |
再建造物 | 富士見櫓、伏見櫓・多聞櫓 桜田巽櫓、大手門 |
位置 | 北緯35度41分17.97秒/東経139度45分15.72秒 |
徳川家康が江戸城に入城した後は徳川家の居城、江戸幕府の開幕後は幕府の政庁となる。明治維新後の東京奠都で宮城(きゅうじょう)となった。以後は吹上庭園が御所、旧江戸城西ノ丸が宮殿の敷地となっている。その東側にある旧江戸城の中心部である本丸・二ノ丸と三ノ丸の跡は皇居東御苑として開放されている。南東側の皇居外苑と北側の北の丸公園は常時開放され、それらの外側は一般に利用できる土地になっている。
国の特別史跡に指定されている。
江戸(東京)の地に最初に根拠地を置いた武家は江戸重継である。平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての江戸氏の居館が、後の本丸・二ノ丸辺りの台地上に置かれていたとされる。
15世紀の関東の騒乱で江戸氏が没落したのち、扇谷上杉氏の上杉持朝の家臣である太田道灌が1457年(長禄元年)に江戸城を築城した。徳川幕府の公文書である『徳川実紀』ではこれが江戸城のはじめとされる。
[江戸城] - 引用した Wikipedia の情報は更新されている場合があります。
(2014年1月13日 (月) 23:12 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
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〔江戸城〕日本・東京都
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