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江戸城
日本・東京都

江戸城(えどじょう)・東京都 江戸城再建図(国立公文書館所蔵) 江戸城再建図(国立公文書館所蔵)
  Wikipediaによる解説
 江戸城(えどじょう)は、武蔵国豊嶋郡江戸(現在の東京都千代田区千代田)にあった城である。江戸時代においては江城(こうじょう)という呼び名が一般的だったと言われ、また千代田城(ちよだじょう)とも呼ばれる。
江戸城
(東京都)
別名 千代田城
城郭構造 輪郭式平山城
天守構造 連立式層塔型5重5階地下1階(1606年築)
独立式層塔型5重5階地下1階(1621年再)
独立式層塔型5重5階地下1階(1635年再)
(いずれも非現存)
築城主 太田道灌
築城年 1457年(長禄元年)
主な改修者 徳川家康、秀忠、家光(江戸期)
宮内省・宮内庁(明治以降)
主な城主 太田氏、後北条氏(戦国期)
徳川将軍家(江戸期)
皇室(明治以降)
遺構 現存櫓・門、石垣・土塁・堀
指定文化財 国の重要文化財(桜田門、田安門、清水門)
特別史跡
再建造物 富士見櫓、伏見櫓・多聞櫓
桜田巽櫓、大手門
位置 北緯35度41分17.97秒/東経139度45分15.72秒
 江戸城は麹町台地の東端に、扇谷上杉氏の家臣太田道灌が築いた平山城である。近世に徳川氏によって段階的に改修された結果、総構周囲約4里と、日本最大の面積の城郭になった。
 徳川家康が江戸城に入城した後は徳川家の居城、江戸幕府の開幕後は幕府の政庁となる。明治維新後の東京奠都で宮城(きゅうじょう)となった。以後は吹上庭園が御所、旧江戸城西ノ丸が宮殿の敷地となっている。その東側にある旧江戸城の中心部である本丸・二ノ丸と三ノ丸の跡は皇居東御苑として開放されている。南東側の皇居外苑と北側の北の丸公園は常時開放され、それらの外側は一般に利用できる土地になっている。
 国の特別史跡に指定されている。
 江戸(東京)の地に最初に根拠地を置いた武家は江戸重継である。平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての江戸氏の居館が、後の本丸・二ノ丸辺りの台地上に置かれていたとされる。
 15世紀の関東の騒乱で江戸氏が没落したのち、扇谷上杉氏の上杉持朝の家臣である太田道灌が1457年(長禄元年)に江戸城を築城した。徳川幕府の公文書である『徳川実紀』ではこれが江戸城のはじめとされる。
[江戸城] - 引用した Wikipedia の情報は更新されている場合があります。
(2014年1月13日 (月) 23:12 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
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〔江戸城〕日本・東京都


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Last updated : 2024/06/29