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熊本城
日本・熊本県

熊本城(くまもとじょう)・熊本県
  Wikipediaによる解説
 熊本城(くまもとじょう)は、現在の熊本県熊本市中央区にあった城である。別名、銀杏城(ぎんなんじょう)。
熊本城
(熊本県)
別名 千葉城(出田氏)、隈本城(鹿子木氏、菊池氏、城氏、佐々氏、加藤氏半国期)、銀杏城
城郭構造 梯郭式平山城
天守構造 連結式望楼型3重6階地下1階(非現存・1600年築)
外観復元(RC造 1960年再)
築城主 出田秀信(千葉城)、鹿子木親員(隈本城)
築城年 1469年–1487年頃
主な改修者 加藤清正
主な城主 加藤氏、細川氏
廃城年 1874年
遺構 櫓・門・塀、石垣、堀
指定文化財 国の重要文化財:櫓11棟、門1棟、塀1棟
国の特別史跡:熊本城跡
再建造物 外観復元:大小天守・平櫓・馬具櫓
木造復元:西大手門・数奇屋丸二階広間・南大手門・西出丸戌亥櫓・未申櫓・元太鼓櫓・飯田丸五階櫓・本丸御殿大広間
位置 北緯32度48分21.7秒/東経130度42分21.23秒
 熊本市北区植木町の中心から南に伸びる舌状台地(京町台地)の尖端、茶臼山丘陵一帯に築かれた平山城。現在の地名では中央区の本丸、二の丸、宮内、古城、古京町、千葉城町に当たる。
 中世に千葉城、隈本城が築かれ、安土桃山時代末期から江戸時代初期にかけて加藤清正がこれを取り込み、現在のような姿の熊本城を築いた。日本三名城の一つとされ、「清正流(せいしょうりゅう)」と呼ばれる石垣の上に御殿、大小天守、五階櫓などが詰め込んだように建てられ、一大名の城としては「日本一」であるとの評価がある。
 細川氏の居城となった後も盛んに改築が行われ、明治時代の初めまでは大半の建物が撤去されずに現存していたが、熊本鎮台が置かれた後に建物や石垣、曲輪の撤去や改変が行われ、西南戦争で一部の建物を残して天守を含む御殿や櫓など主要な建物を焼失した。現在は、宇土櫓や東竹之丸の櫓群が残る(建物が失われる経緯は、同項の歴史(明治時代以降)を参照のこと。)。石垣普請の名手とされる清正が築いた石垣は、1889年(明治22年)の熊本地震で石垣の一部が崩落し、改修された部分があるものの、ほぼ江戸期の改築による変遷の痕跡をとどめ、城跡は特別史跡に指定されている。昭和時代中期には大小天守と一部の櫓が外観復元され、近年では、櫓や御殿などの主要な建物を木構造で復元する事業が行われている。
 サクラの名所としても知られており、日本さくら名所100選に選定されている。
[熊本城] - 引用した Wikipedia の情報は更新されている場合があります。
(2014年2月17日 (月) 00:21 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
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Last updated : 2024/06/29