あたらしい憲法のはなし [ふりがな付き]
[ 1947年(昭和22年) 文部省 中学1年生用教科書 ]

《ちょっと解説》みなさん、あたらしい 憲法 けんぽう ができました
このあたらしい 憲法 けんぽう をこしらえるために、たくさんの 人々 ひとびと が、たいへん 苦心 くしん をなさいました」という、 高揚感 こうようかん にあふれた しで はじ まる 中学 ちゅうがく 1 年生用 ねんせいよう 教科書 きょうかしょ あたらしい憲法の話・表紙

昭和 しょうわ 二十二年 にじゅうにねん 五月 ごがつ 三日 みっか から、 わたし たち 日本国民 にほんこくみん は、この 憲法 けんぽう まも ってゆくことになりました」と つづ きます。

 さらに、「これからさき、この 憲法 けんぽう をかえるときに、この 前文 ぜんぶん しる された かんが かた と、ちがうようなかえかたをしてはならないということです」と つづ きます。

戦争 せんそう 放棄 ほうき 」の こう では、「いまやっと 戦争 せんそう はおわりました。 二度 にど とこんなおそろしい、かなしい おも いをしたくないと おも いませんか。こんな 戦争 せんそう をして、 日本 にほん くに はどんな 利益 りえき があったでしょうか。 なに もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。 戦争 せんそう 人間 にんげん をほろぼすことです。 なか のよいものをこわすことです」とし、「そこでこんどの 憲法 けんぽう では、 日本 にほん くに が、けっして 二度 にど 戦争 せんそう をしないように、 ふた つのことをきめました。その ひと つは、 兵隊 へいたい 軍艦 ぐんかん 飛行機 ひこうき も、およそ 戦争 せんそう をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき 日本 にほん には、 陸軍 りくぐん 海軍 かいぐん 空軍 くうぐん もないのです。これを 戦力 せんりょく 放棄 ほうき といいます。「 放棄 ほうき 」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして こころ ぼそく おも うことはありません。 日本 にほん ただ しいことを、ほかの くに よりさきに おこな ったのです。 なか に、 ただ しいことぐらい つよ いものはありません。もう ひと つは、よその くに あらそ いごとがおこったとき、けっして 戦争 せんそう によって、 相手 あいて をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです」としています。

 ここでは、この「あたらしい 憲法 けんぽう のはなし」の 全文 ぜんぶん を、 小学生 しょうがくせい でも めるようにふりがなを けて 掲載 けいさい し、1947 ねん 昭和 しょうわ 22 ねん 当時 とうじ 文部省 もんぶしょう が、 ども たち にどのように 憲法 けんぽう かんが かた 理解 りかい させようとしていたかをみてみます。


あたらしい憲法けんぽうのはなし



文部省もんぶしょう

挿絵1
一 憲法けんぽう
二 民主主義みんしゅしゅぎとは
三 国際平和主義こくさいへいわしゅぎ
四 主権在民主義しゅけんざいみんしゅぎ
五 天皇陛下てんのうへいか
六 戦争せんそう放棄ほうき
七 基本的人権きほんてきじんけん
八 国会こっかい
九 政党せいとう
十 内閣ないかく
十一 司法しほう
十二 財政ざいせい
十三 地方自治ちほうじち
十四 改正かいせい
十五 最高法規さいこうほうき



一 憲法けんぽう


 みなさん、あたらしい憲法けんぽうができました。そうして昭和しょうわ二十二年にじゅうにねん五月ごがつ三日みっかから、わたしたち日本国民にほんこくみんは、この憲法けんぽうまもってゆくことになりました。このあたらしい憲法けんぽうをこしらえるために、たくさんの人々ひとびとが、たいへん苦心くしんをなさいました。ところでみなさんは、憲法けんぽうというものはどんなものかごぞんじですか。じぶんの にかかわりのないことのようにおもっている ひとはないでしょうか。もしそうならば、それはおおきなまちがいです。
 くに仕事しごとは、一日いちにちやすむことはできません。また、くにおさめてゆく仕事しごとのやりかたは、はっきりときめておかなければなりません。そのためには、いろいろ規則きそくがいるのです。この規則きそくはたくさんありますが、そのうちで、いちばん大事だいじ規則きそく憲法けんぽうです。
 くにをどういうふうにおさめ、くに仕事しごとをどういうふうにやってゆくかということをきめた、いちばん根本こんぽんになっている規則きそく憲法けんぽうです。もしみなさんのいえはしらがなくなったとしたらどうでしょう。いえはたちまちたおれてしまうでしょう。いまくにいえにたとえると、ちょうどはしらにあたるものが憲法けんぽうです。もし憲法けんぽうがなければ、くになか におおぜいの ひとがいても、どうしてくにおさめてゆくかということがわかりません。それでどこのくにでも、憲法けんぽうをいちばん大事だいじ規則きそくとして、これをたいせつにまもってゆくのです。くにでいちばん大事だいじ規則きそくは、いいかえれば、いちばんたかくらいにある規則きそくですから、これをくにの「最高法規さいこうほうき」というのです。
 ところがこの憲法けんぽうには、いまおはなししたように、くに仕事しごとのやりかたのほかに、もうひと大事だいじなことがいてあるのです。それは国民こくみん権利けんりのことです。この権利けんり のことは、あとでくわしくおはなししますから、ここではただ、なぜそれが、 くに仕事しごとのやりかたをきめた規則きそくおなじように大事だいじであるか、ということだけをおはなししておきましょう。
 みなさんは日本国民にほんこくみんのうちのひとりです。国民こくみんのひとりひとりが、かしこくなり、つよくならなければ、国民こくみんぜんたいがかしこく、また、つよくなれません。くにちからのもとは、ひとりひとりの国民こくみんにあります。そこでくには、この国民こくみんのひとりひとりのちからをはっきりとみとめて、しっかりとまもってゆくのです。そのために、国民こくみんのひとりひとりに、いろいろ大事だいじ権利けんりがあることを、憲法けんぽうできめているのです。この国民こくみん大事だいじ権利けんりのことを「基本的人権きほんてきじんけん」というのです。これも憲法けんぽうなかいてあるのです。
 そこでもういちど、憲法けんぽうとはどういうものであるかということをもうしておきます。憲法けんぽうとは、くにでいちばん大事だいじ規則きそく、すなわち「最高法規さいこうほうき」というもので、そのなかには、だいたいふたつのことがしるされています。そのひとつは、くにおさめかた、くに仕事しごとのやりかたをきめた規則きそくです。もうひとつは、国民こくみんのいちばん大事だいじ権利けんり、すなわち「基本的人権きほんてきじんけん」をきめた規則きそくです。このほかにまた憲法けんぽうは、その必要ひつようにより、いろいろのことをきめることがあります。こんどの憲法けんぽうにも、あとでおはなしするように、これからは戦争せんそうをけっしてしないという、たいせつなことがきめられています。
 これまであった憲法けんぽうは、明治めいじ二十二年にじゅうにねんにできたもので、これは明治天皇めいじてんのうがおつくりになって、国民こくみんにあたえられたものです。しかし、こんどのあたらしい憲法けんぽうは、日本国民にほんこくみんがじぶんでつくったもので、日本国民にほんこくみんぜんたいの意見いけんで、自由じゆうにつくられたものであります。この国民こくみんぜんたいの意見いけんるために、昭和しょうわ二十一年にじゅういちねん四月しがつ十日とおか総選挙そうせんきょおこなわれ、あたらしい国民こくみん代表だいひょうがえらばれて、その人々ひとびとがこの憲法けんぽうをつくったのです。それで、あたらしい憲法けんぽうは、国民こくみんぜんたいでつくったということになるのです。
 みなさんも日本国民にほんこくみんのひとりです。そうすれば、この憲法けんぽうは、みなさんのつくったものです。みなさんは、じぶんでつくったものを、大事だいじになさるでしょう。こんどの憲法けんぽうは、みなさんをふくめた国民こくみんぜんたいのつくったものであり、くにでいちばん大事だいじ規則きそくであるとするならば、みなさんは、国民こくみんのひとりとして、しっかりとこの憲法けんぽうまもってゆかなければなりません。そのためには、まずこの憲法けんぽうに、どういうことがいてあるかを、はっきりとらなければなりません。
 みなさんが、なにかゲームのために規則きそくのようなものをきめるときに、みんないっしょにいてしまっては、わかりにくいでしょう。 くに規則きそくもそれとおなじで、ひとひと事柄ことがらにしたがってけてき、それに番号ばんごうをつけて、第何条だいなんじょう第何条だいなんじょうというように順々じゅんじゅんしるします。こんどの憲法けんぽうは、第一条だいいちじょうから第百三条だいひゃくさんじょうまであります。そうしてそのほかに、前書まえがきが、いちばんはじめにつけてあります。これを「前文ぜんぶん」といいます。
 この前文ぜんぶんには、だれがこの憲法けんぽうをつくったかということや、どんなかんがえでこの憲法けんぽう規則きそくができているかということなどがしるされています。この前文ぜんぶんというものは、ふたつのはたらきをするのです。そのひとつは、みなさんが憲法けんぽうをよんで、その意味いみろうとするときに、びきになることです。つまりこんどの憲法けんぽうは、この前文ぜんぶんしるされたようなかんがえからできたものですから、前文ぜんぶんにあるかんがえと、ちがったふうにかんがえてはならないということです。もうひとつのはたらきは、これからさき、この憲法けんぽうをかえるときに、この前文ぜんぶんしるされたかんがかたと、ちがうようなかえかたをしてはならないということです。
挿絵2
 それなら、この前文ぜんぶんかんがえというのはなんでしょう。いちばん大事だいじかんがえがみっつあります。それは、「民主主義みんしゅしゅぎ」と「国際平和主義こくさいへいわしゅぎ」と「主権在民主義しゅけんざいみんしゅぎ」です。「主義しゅぎ」という言葉ことばをつかうと、なんだかむずかしくきこえますけれども、すこしもむずかしくかんがえることはありません。主義しゅぎというのは、ただしいとおもう、もののやりかたのことです。それでみなさんは、このみっつのことをらなければなりません。まず「民主主義みんしゅしゅぎ」からおはなししましょう。

二 民主主義みんしゅしゅぎとは


 こんどの憲法けんぽう根本こんぽんとなっているかんがえの第一だいいち民主主義みんしゅしゅぎです。ところで民主主義みんしゅしゅぎとは、いったいどういうことでしょう。みなさんはこのことばを、ほうぼうできいたでしょう。これがあたらしい憲法けんぽう根本こんぽんになっているものとすれば、みなさんは、はっきりとこれをっておかなければなりません。しかもただしくっておかなければなりません。
 みなさんがおおぜいあつまって、いっしょに なにかするときのことをかんがえてごらんなさい。だれの意見いけん物事ものごとをきめますか。もしもみんなの意見いけんおなじなら、もんだいはありません。もし意見いけんかれたときは、どうしますか。ひとりの意見いけんできめますか。二人ふたり意見いけん できめますか。それともおおぜいの 意見いけんできめますか。どれがよいでしょう。ひとりの意見いけんが、ただしくすぐれていて、おおぜいの意見いけんがまちがっておとっていることもあります。しかし、そのはんたいのことがもっとおおいでしょう。そこで、まずみんなが十分じゅうぶんにじぶんのかんがえをはなしあったあとで、おおぜいの意見いけん物事ものごとをきめてゆくのが、いちばんまちがいがないということになります。そうして、あとのひとは、このおおぜいのひと意見いけんに、すなおにしたがってゆくのがよいのです。このなるべくおおぜいのひと意見いけんで、物事ものごとをきめてゆくことが、民主主義みんしゅしゅぎのやりかたです。
 くにおさめてゆくのもこれとおなじです。わずかのひと意見いけんくにおさめてゆくのは、よくないのです。国民こくみんぜんたいの意見いけんで、くにおさめてゆくのがいちばんよいのです。つまり国民こくみんぜんたいが、くにおさめてゆく――これが民主主義みんしゅしゅぎおさめかたです。
 しかしくには、みなさんの学級がっきゅうとはちがいます。国民こくみんぜんたいが、ひとところにあつまって、そうだんすることはできません。ひとりひとりの意見いけんをきいてまわることもできません。そこで、みんなのわりになって、くに仕事しごとのやりかたをきめるものがなければなりません。それが国会こっかいです。国民こくみんが、国会こっかい議員ぎいん選挙せんきょするのは、じぶんのわりになって、くにおさめてゆくものをえらぶのです。だから国会こっかいでは、なんでも、国民こくみんわりである議員ぎいんのおおぜいの意見いけん物事ものごとをきめます。そうしてほかの議員ぎいんは、これにしたがいます。これが国民こくみんぜんたいの意見いけん物事ものごとをきめたことになるのです。これが民主主義みんしゅしゅぎです。ですから、民主主義みんしゅしゅぎとは、国民こくみんぜんたいで、くにおさめてゆくことです。みんなの意見いけん物事ものごとをきめてゆくのが、いちばんまちがいがすくないのです。だから民主主義みんしゅしゅぎくにおさめてゆけば、みなさんは幸福こうふくになり、またくにもさかえてゆくでしょう。
 くにおおきいので、このようにくに仕事しごと国会こっかい議員ぎいんにまかせてきめてゆきますから、国会こっかい国民こくみんわりになるものです。この「わりになる」ということを「代表だいひょう」といいます。まえにもうしましたように、民主主義みんしゅしゅぎは、国民こくみんぜんたいでくにおさめてゆくことですが、国会こっかい国民こくみんぜんたいを代表だいひょうして、くにのことをきめてゆきますから、これを「代表制民主主義だいひょうせいみんしゅしゅぎ」のやりかたといいます。
 しかしいちばん大事だいじなことは、国会こっかいにまかせておかないで、国民こくみんが、じぶんで意見いけんをきめることがあります。こんどの憲法けんぽうでも、たとえばこの憲法けんぽうをかえるときは、国会こっかいだけできめないで、国民こくみんひとりひとりが、賛成さんせい反対はんたいかを投票とうひょうしてきめることになっています。このときは、国民こくみん直接ちょくせつくにのことをきめますから、これを「直接民主主義ちょくせつみんしゅしゅぎ」のやりかたといいます。あたらしい憲法けんぽうは、代表制民主主義だいひょうせいみんしゅしゅぎ直接民主主義ちょくせつみんしゅしゅぎと、ふたつのやりかたでくにおさめてゆくことにしていますが、代表制民主主義だいひょうせいみんしゅしゅぎのやりかたのほうが、おもになっていて、直接民主主義ちょくせつみんしゅしゅぎのやりかたは、いちばん大事だいじなことにかぎられているのです。だからこんどの憲法けんぽうは、だいたい代表制民主主義だいひょうせいみんしゅしゅぎのやりかたになっているといってもよいのです。
 みなさんは日本国民にほんこくみんのひとりです。しかしまだこどもです。くにのことは、みなさんが二十歳はたちになって、はじめてきめてゆくことができるのです。国会こっかい議員ぎいんをえらぶのも、くにのことについて投票とうひょうするのも、みなさんが二十歳はたちになってはじめてできることです。みなさんのおにいさんや、おねえさんには、二十歳以上はたちいじょうかたもおいででしょう。そのおにいさんやおねえさんが、選挙せんきょ投票とうひょうにゆかれるのをみて、みなさんはどんながしましたか。いまのうちに、よく勉強べんきょうして、くにおさめることや、憲法けんぽうのことなどを、よくっておいてください。もうすぐみなさんも、おにいさんやおねえさんといっしょに、くにのことを、じぶんできめてゆくことができるのです。みなさんのかんがえとはたらきでくにおさまってゆくのです。みんながなかよく、じぶんで、じぶんのくにのことをやってゆくくらい、たのしいことはありません。これが民主主義みんしゅしゅぎというものです。

三 国際平和主義こくさいへいわしゅぎ


 くになかで、国民こくみんぜんたいで、物事ものごとをきめてゆくことを、民主主義みんしゅしゅぎといいましたが、国民こくみん意見いけんは、ひとによってずいぶんちがっています。しかし、おおぜいのほうの意見いけんに、すなおにしたがってゆき、またそのおおぜいのほうも、すくないほうの意見いけんをよくきいてじぶんの意見いけんをきめ、みんなが、なかよくくに仕事しごとをやってゆくのでなければ、民主主義みんしゅしゅぎのやりかたは、なりたたないのです。
挿絵3
 これは、ひとつのくにについてもうしましたが、くにくにとのあいだのこともおなじことです。じぶんのくにのことばかりをかんがえ、じぶんのくにのためばかりをかんがえて、ほかのくに立場たちばかんがえないでは、世界中せかいじゅうくにが、なかよくしてゆくことはできません。世界中せかいじゅうくにが、いくさをしないで、なかよくやってゆくことを、国際平和主義こくさいへいわしゅぎといいます。だから民主主義みんしゅしゅぎということは、この国際平和主義こくさいへいわしゅぎと、たいへんふかい関係かんけいがあるのです。こんどの憲法けんぽう民主主義みんしゅしゅぎのやりかたをきめたからには、またほかのくににたいしても国際平和主義こくさいへいわしゅぎでやってゆくということになるのは、あたりまえであります。この国際平和主義こくさいへいわしゅぎをわすれて、じぶんのくにのことばかりかんがえていたので、とうとう戦争せんそうをはじめてしまったのです。そこであたらしい憲法けんぽうでは、前文ぜんぶんなかに、これからは、この国際平和主義こくさいへいわしゅぎでやってゆくということを、力強ちからづよいことばでいてあります。またこのかんがえが、あとでのべる戦争せんそう放棄ほうき、すなわち、これからは、いっさい、いくさはしないということをきめることになってゆくのであります。

四 主権在民主義しゅけんざいみんしゅぎ


 みなさんがあつまって、だれがいちばんえらいかをきめてごらんなさい。いったい「いちばんえらい」というのは、どういうことでしょう。勉強べんきょうのよくできることでしょうか。それともちからつよいことでしょうか。いろいろきめかたがあってむずかしいことです。
 くにでは、だれが「いちばんえらい」といえるでしょう。もしくに仕事しごとが、ひとりのかんがえできまるならば、そのひとりが、いちばんえらいといわなければなりません。もしおおぜいのかんがえできまるなら、そのおおぜいが、みないちばんえらいことになります。もし国民こくみんぜんたいのかんがえできまるならば、国民こくみんぜんたいが、いちばんえらいのです。こんどの憲法けんぽうは、民主主義みんしゅしゅぎ憲法けんぽうですから、国民こくみんぜんたいのかんがえでくにおさめてゆきます。そうすると、国民こくみんぜんたいがいちばん、えらいといわなければなりません。
挿絵4
 くにおさめてゆくちからのことを「主権しゅけん」といいますが、このちから国民こくみんぜんたいにあれば、これを「主権しゅけん国民こくみんにある」といいます。こんどの憲法けんぽうは、いまもうしましたように、民主主義みんしゅしゅぎ根本こんぽんかんがえとしていますから、主権しゅけんは、とうぜん日本国民にほんこくみんにあるわけです。そこで前文ぜんぶんなかにも、また憲法けんぽう第一条だいいちじょうにも、「主権しゅけん国民こくみんそんする」とはっきりかいてあるのです。主権しゅけん国民こくみんにあることを、「主権在民しゅけんざいみん」といいます。あたらしい憲法けんぽうは、主権在民しゅけんざいみんというかんがえでできていますから、主権在民主義しゅけんざいみんしゅぎ憲法けんぽうであるということになるのです。
 みなさんは、日本国民にほんこくみんのひとりです。主権しゅけんをもっている日本国民にほんこくみんのひとりです。しかし、主権しゅけん日本国民にほんこくみんぜんたいにあるのです。ひとりひとりが、べつべつにもっているのではありません。ひとりひとりが、みなじぶんがいちばんえらいとおもって、勝手かってなことをしてもよいということでは、けっしてありません。それは民主主義みんしゅしゅぎにあわないことになります。みなさんは、主権しゅけんをもっている日本国民にほんこくみんのひとりであるということに、ほこりをもつとともに、責任せきにんかんじなければなりません。よいこどもであるとともに、よい国民こくみんでなければなりません。

五 天皇陛下てんのうへいか


 こんどの戦争せんそうで、天皇陛下てんのうへいかは、たいへんごくろうをなさいました。なぜならば、ふる憲法けんぽうでは、天皇てんのうをおたすけしてくに仕事しごとをした人々ひとびとは、国民こくみんぜんたいがえらんだものでなかったので、国民こくみんかんがえとはなれて、とうとう戦争せんそうになったからです。そこで、これからさきくにおさめてゆくについて、二度にどとこのようなことのないように、あたらしい憲法けんぽうをこしらえるとき、たいへん苦心くしんをいたしました。ですから、天皇てんのうは、憲法けんぽうさだめたお仕事しごとだけをされ、政治せいじには関係かんけいされないことになりました。
 憲法けんぽうは、天皇陛下てんのうへいかを「象徴しょうちょう」としてゆくことにきめました。みなさんは、この象徴しょうちょうということを、はっきりらなければなりません。まる国旗こっきれば、日本にほんくにをおもいだすでしょう。国旗こっきくにわりになって、くにをあらわすからです。みなさんの学校がっこう記章きしょうれば、どこの学校がっこう生徒せいとかがわかるでしょう。記章きしょう学校がっこうわりになって、学校がっこうをあらわすからです。いまここになにえるものがあって、ほかのえないもののわりになって、それをあらわすときに、これを「象徴しょうちょう」ということばでいいあらわすのです。こんどの憲法けんぽう第一条だいいちじょうは、天皇陛下てんのうへいかを「日本国にほんこく象徴しょうちょう」としているのです。つまり天皇陛下てんのうへいかは、日本にほんくにをあらわされるおかたということであります。
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 また憲法けんぽう第一条だいいちじょうは、天皇陛下てんのうへいかを「日本国民にほんこくみん統合とうごう象徴しょうちょう」であるともいてあるのです。「統合とうごう」というのは「ひとつにまとまっている」ということです。つまり天皇陛下てんのうへいかは、ひとつにまとまった日本国民にほんこくみん象徴しょうちょうでいらっしゃいます。これは、わたしたち日本国民にほんこくみんぜんたいの中心ちゅうしんとしておいでになるおかたということなのです。それで天皇陛下てんのうへいかは、日本国民にほんこくみんぜんたいをあらわされるのです。
 このような地位ちい天皇陛下てんのうへいかをおもうしたのは、日本国民にほんこくみんぜんたいのかんがえにあるのです。これからさき、くにおさめてゆく仕事しごとは、みな国民こくみんがじぶんでやってゆかなければなりません。天皇陛下てんのうへいかは、けっして神様かみさまではありません。国民こくみんおなじような人間にんげんでいらっしゃいます。ラジオのほうそうもなさいました。ちいさなまちのすみにもおいでになりました。ですからわたしたちは、天皇陛下てんのうへいかわたしたちのまんなかにしっかりとおきして、くにおさめてゆくについてごくろうのないようにしなければなりません。これで憲法けんぽう天皇陛下てんのうへいか象徴しょうちょうとした意味いみがおわかりでしょう。

六 戦争せんそう放棄ほうき


 みなさんのなかには、こんどの戦争せんそうに、おとうさんやにいさんをおくりだされたひとおおいでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、いえやうちのひとを、なくされたひとおおいでしょう。いまやっと戦争せんそうはおわりました。二度にどとこんなおそろしい、かなしいおもいをしたくないとおもいませんか。こんな戦争せんそうをして、日本にほんくにはどんな利益りえきがあったでしょうか。なにもありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争せんそう人間にんげんをほろぼすことです。なかのよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争せんそうをしかけたくにには、おおきな責任せきにんがあるといわなければなりません。このまえの世界せかい戦争せんそうのあとでも、もう戦争せんそう二度にどとやるまいと、おおくのくに々ではいろいろかんがえましたが、またこんなだい戦争せんそうをおこしてしまったのは、まことに残念ざんねんなことではありませんか。
挿絵6
 そこでこんどの憲法けんぽうでは、日本にほんくにが、けっして二度にど戦争せんそうをしないように、ふたつのことをきめました。そのひとつは、兵隊へいたい軍艦ぐんかん飛行機ひこうきも、およそ戦争せんそうをするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本にほんには、陸軍りくぐん海軍かいぐん空軍くうぐんもないのです。これを戦力せんりょく放棄ほうきといいます。「放棄ほうき」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっしてこころぼそくおもうことはありません。日本にほんただしいことを、ほかのくによりさきにったのです。なかに、ただしいことぐらいつよいものはありません。
 もうひとつは、よそのくにあらそいごとがおこったとき、けっして戦争せんそうによって、相手あいてをまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんのくにをほろぼすようなはめになるからです。また、戦争せんそうとまでゆかずとも、くにちからで、相手あいてをおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争せんそう放棄ほうきというのです。そうしてよそのくにとなかよくして、世界中せかいじゅうくにが、よいともだちになってくれるようにすれば、日本にほんくには、さかえてゆけるのです。
 みなさん、あのおそろしい戦争せんそうが、二度にどとおこらないように、また戦争せんそう二度にどとおこさないようにいたしましょう。

七 基本的人権きほんてきじんけん


 くうしゅうでやけたところへってごらんなさい。やけただれたつちから、もうくさ青々あおあおとはえています。みんなきとしげっています。くさでさえも、力強ちからづよきてゆくのです。ましてやみなさんは人間にんげんです。きてゆくちからがあるはずです。てんからさずかったしぜんのちからがあるのです。このちからによって、人間にんげんなかきてゆくことを、だれもさまたげてはなりません。しかし人間にんげんは、草木くさきとちがって、ただきてゆくというだけではなく、人間にんげんらしい生活せいかつをしてゆかなければなりません。この人間にんげんらしい生活せいかつには、必要ひつようなものがふたつあります。それは「自由じゆう」ということと、「平等びょうどう」ということです。
 人間にんげんがこのきてゆくからには、じぶんのすきなところみ、じぶんのすきなところき、じぶんのおもうことをいい、じぶんのすきなおしえにしたがってゆけることなどが必要ひつようです。これらのことが人間にんげん自由じゆうであって、この自由じゆうは、けっしてうばわれてはなりません。また、くにちからでこの自由じゆうりあげ、やたらに刑罰けいばつくわえたりしてはなりません。そこで憲法けんぽうは、この自由じゆうは、けっしておかすことのできないものであることをきめているのです。
挿絵7
 またわれわれは、人間にんげんである以上いじょうはみなおなじです。人間にんげんうえに、もっとえらい人間にんげんがあるはずはなく、人間にんげんしたに、もっといやしい人間にんげんがあるわけはありません。おとこおんなよりもすぐれ、おんなおとこよりもおとっているということもありません。みなおな人間にんげんであるならば、このきてゆくのに、差別さべつける理由りゆうはないのです。差別さべつのないことを「平等びょうどう」といいます。そこで憲法けんぽうは、自由じゆうといっしょに、この平等びょうどうということをきめているのです。
 くに規則きそくうえで、なにかはっきりとできることがみとめられていることを、「権利けんり」といいます。自由じゆう平等びょうどうとがはっきりみとめられ、これをおかされないとするならば、この自由じゆう平等びょうどうとは、みなさんの権利けんりです。これを「自由権じゆうけん」というのです。しかもこれは人間にんげんのいちばん大事だいじ権利けんりです。このいちばん大事だいじ人間にんげん権利けんりのことを「基本的人権きほんてきじんけん」といいます。あたらしい憲法けんぽうは、この基本的人権きほんてきじんけんを、おかすことのできない永久えいきゅうあたえられた権利けんりとしてしるしているのです。これを基本的人権きほんてきじんけんを「保障ほしょうする」というのです。
 しかし基本的人権きほんてきじんけんは、ここにいった自由権じゆうけんだけではありません。まだほかにふたつあります。自由権じゆうけんだけで、人間にんげんくになかでの生活せいかつがすむものではありません。たとえばみなさんは、勉強べんきょうをしてよい国民こくみんにならなければなりません。くにはみなさんに勉強べんきょうをさせるようにしなければなりません。そこでみなさんは、教育きょういくける権利けんり憲法けんぽうあたえられているのです。この場合ばあいはみなさんのほうから、くににたいして、教育きょういくをしてもらうことを請求せいきゅうできるのです。これも大事だいじ基本的人権きほんてきじんけんですが、これを「請求権せいきゅうけん」というのです。あらそいごとのおこったとき、くに裁判所さいばんしょで、公平こうへいにさばいてもらうのも、裁判さいばん請求せいきゅうする権利けんりといって、基本的人権きほんてきじんけんですが、これも請求権せいきゅうけんであります。
 それからまた、国民こくみんが、くにおさめることにいろいろ関係かんけいできるのも、大事だいじ基本的人権きほんてきじんけんですが、これを「参政権さんせいけん」といいます。国会こっかい議員ぎいん知事ちじ市町村長しちょうそんちょうなどを選挙せんきょしたり、じぶんがそういうものになったり、くに地方ちほう大事だいじなことについて投票とうひょうしたりすることは、みな参政権さんせいけんです
 みなさん、いままでもうしました基本的人権きほんてきじんけん大事だいじなことですから、もういちど復習ふくしゅういたしましょう。みなさんは、憲法けんぽう基本的人権きほんてきじんけんというりっぱなつよ権利けんりあたえられました。この権利けんりは、みっつにかれます。だい一は自由権じゆうけんです。第二だいに請求権せいきゅうけんです。第三だいさん参政権さんせいけんです。
 こんなりっぱな権利けんりあたえられましたからには、みなさんは、じぶんでしっかりとこれをまもって、うしなわないようにしてゆかなければなりません。しかしまた、むやみにこれをふりまわして、ほかのひと迷惑めいわくをかけてはいけません。ほかのひとも、みなさんとおな権利けんりをもっていることを、わすれてはなりません。くにぜんたいの幸福こうふくになるよう、この大事だいじ基本的人権きほんてきじんけんまもってゆく責任せきにんがあると、憲法けんぽういてあります。

八 国会こっかい


 民主主義みんしゅしゅぎは、国民こくみんが、みんなでみんなのためにくにおさめてゆくことです。しかし、国民こくみんかずはたいへんおおいのですから、だれかが、国民こくみんぜんたいにわってくに仕事しごとをするよりほかはありません。この国民こくみんわるものが「国会こっかい」です。まえにももうしましたように、国民こくみんくにおさめてゆくちから、すなわち主権しゅけんをもっているのです。この主権しゅけんをもっている国民こくみんわるものが国会こっかいですから、国会こっかいくにでいちばんたかくらいにあるもので、これを「最高機関さいこうきかん」といいます。「機関きかん」というのは、ちょうど人間にんげん手足てあしがあるように、くに仕事しごとをいろいろけてする役目やくめのあるものという意味いみです。くにには、いろいろなはたらきをする機関きかんがあります。あとでのべる内閣ないかくも、裁判所さいばんしょも、みなくに機関きかんです。しかし国会こっかいは、そのなかでいちばんたかくらいにあるのです。それは国民こくみんぜんたいを代表だいひょうしているからです。
 くに仕事しごとはたいへんおおいのですが、これをけてみると、だいたいみっつにかれるのです。そのだい一は、くにのいろいろの規則きそくをこしらえる仕事しごとで、これを「立法りっぽう」というのです。第二だいには、あらそいごとをさばいたり、つみがあるかないかをきめる仕事しごとで、これを「司法しほう」というのです。ふつうに裁判さいばんといっているのはこれです。第三だいさんは、この「立法りっぽう」と「司法しほう」とをのぞいたいろいろの仕事しごとで、これをひとまとめにして「行政ぎょうせい」といいます。国会こっかいは、このみっつのうち、どれをするかといえば、立法りっぽうをうけもっている機関きかんであります。司法しほうは、裁判所さいばんしょがうけもっています。行政ぎょうせいは、内閣ないかくと、そのしたにある、たくさんの役所やくしょがうけもっています。
 国会こっかいは、立法りっぽうという仕事しごとをうけもっていますから、くに規則きそくはみな国会こっかいがこしらえるのです。国会こっかいのこしらえるくに規則きそくを「法律ほうりつ」といいます。みなさんは、法律ほうりつということばをよくきくことがあるでしょう。しかし、国会こっかい法律ほうりつをこしらえるのには、いろいろつづきがいりますから、あまりこまごました規則きそくまでこしらえることはできません。そこで憲法けんぽうは、ある場合ばあいには、国会こっかいでないほかの機関きかん、たとえば内閣ないかくが、くに規則きそくをこしらえることをゆるしています。これを「命令めいれい」といいます。
 しかし、くに規則きそくは、なるべく国会こっかいでこしらえるのがよいのです。なぜならば、国会こっかいは、国民こくみんがえらんだ議員ぎいんのあつまりで、国民こくみん意見いけんがいちばんよくわかっているからです。そこで、あたらしい憲法けんぽうは、くに規則きそくは、ただ国会こっかいだけがこしらえるということにしました。これを、国会こっかいは「唯一ゆいいつ立法りっぽう機関きかんである」というのです。「唯一ゆいいつ」とは、ただひとつで、ほかにはないということです。立法りっぽう機関きかんとは、くに規則きそくをこしらえる役目やくめのある機関きかんということです。そうして、国会こっかい以外いがいのほかの機関きかんが、くに規則きそくをこしらえてもよい場合ばあいは、憲法けんぽうで、ひとひとつきめているのです。また、国会こっかいのこしらえたくに規則きそく、すなわち法律ほうりつなかで、これこれのことは命令めいれいできめてもよろしいとゆるすこともあります。国民こくみんのえらんだ代表者だいひょうしゃが、国会こっかい国民こくみんおさめる規則きそくをこしらえる、これが民主主義みんしゅしゅぎのたてまえであります。
 しかし国会こっかいには、くに規則きそくをこしらえることのほかに、もうひと大事だいじ役目やくめがあります。それは、内閣ないかくや、そのしたにある、くにのいろいろな役所やくしょ仕事しごとのやりかたを、監督かんとくすることです。これらの役所やくしょ仕事しごとは、まえにもうしました「行政ぎょうせい」というはたらきですから、国会こっかいは、行政ぎょうせい監督かんとくして、まちがいのないようにする役目やくめをしているのです。これで、国民こくみん代表者だいひょうしゃくに仕事しごとはっていることになるのです。これも民主主義みんしゅしゅぎくにおさめかたであります。
 日本にほん国会こっかいは「衆議院しゅうぎいん」と「参議院さんぎいん」とのふたつからできています。そのひとひとつを「議院ぎいん」といいます。このように、国会こっかいふたつの議院ぎいんからできているものを「二院制度にいんせいど」というのです。くにによっては、ひとつの議院ぎいんしかないものもあり、これを「一院制度いちいんせいど」というのです。しかし、おおくのくに国会こっかいは、ふたつの議院ぎいんからできています。くに仕事しごとはこのふたつの議院ぎいんがいっしょにきめるのです。
 なぜふたつの議院ぎいんがいるのでしょう。みなさんは、野球やきゅうや、そのほかのスポーツでいう「バック・アップ」ということをごぞんじですか。一人ひとり選手せんしゅたまりあつかっているとき、もう一人ひとり選手せんしゅが、うしろにまわって、まちがいのないようにまもることを「バック・アップ」といいます。国会こっかいは、くに大事だいじ仕事しごとをするのですから、衆議院しゅうぎいんだけでは、まちがいがおこるといけないから、参議院さんぎいんが「バック・アップ」するはたらきをするのです。ただし、スポーツのほうでは、選手せんしゅがおたがいに「バック・アップ」しますけれども、国会こっかいでは、おもなはたらきをするのは衆議院しゅうぎいんであって、参議院さんぎいんは、ただ衆議院しゅうぎいんを「バック・アップ」するだけのはたらきをするのです。したがって、衆議院しゅうぎいんのほうが、参議院さんぎいんよりも、つよちからあたえられているのです。このつよちからをもった衆議院しゅうぎいんを「第一院だいいちいん」といい、参議院さんぎいんを「第二院だいにいん」といいます。なぜ衆議院しゅうぎいんのほうにつよちからがあるのでしょう。そのわけはつぎのとおりです。
 衆議院しゅうぎいん選挙せんきょは、四年よねんごとにおこなわれます。衆議院しゅうぎいん議員ぎいんは、四年よねんかんつとめるわけです。しかし、衆議院しゅうぎいんかんがえが国民こくみんかんがえをただしくあらわしていないと内閣ないかくかんがえたときなどには、内閣ないかくは、国民こくみん意見いけんるために、いつでも天皇陛下てんのうへいかもうしあげて、衆議院しゅうぎいん選挙せんきょのやりなおしをしていただくことができます。これを衆議院しゅうぎいんの「解散かいさん」というのです。そうして、この解散かいさんのあとの選挙せんきょで、国民こくみんがどういうひとをじぶんの代表だいひょうにえらぶかということによって、国民こくみんのあたらしい意見いけんが、あたらしい衆議院しゅうぎいんにあらわれてくるのです。
 参議院さんぎいんのほうは、議員ぎいん六年ろくねんかんつとめることになっており、三年さんねんごとに半分はんぶんずつ選挙せんきょをして交代こうたいしますけれども、衆議院しゅうぎいんのように解散かいさんということがありません。そうしてみると、衆議院しゅうぎいんのほうが、参議院さんぎいんよりも、そのとき、そのとき国民こくみん意見いけんを、よくうつしているといわなければなりません。そこで衆議院しゅうぎいんのほうに、参議院さんぎいんよりもつよちからあたえられているのです。どういうふうに衆議院しゅうぎいんほうつよちからをもっているかということは、憲法けんぽうできめられていますが、ひとくちでいうと、衆議院しゅうぎいん参議院さんぎいんとの意見いけんがちがったときには、衆議院しゅうぎいんのほうの意見いけんがとおるようになっているということです。
 しかし衆議院しゅうぎいん参議院さんぎいんも、ともに国民こくみんぜんたいの代表者だいひょうしゃですから、その議員ぎいんは、みな国民こくみん国民こくみんなかからえらぶのです。衆議院しゅうぎいんのほうは、議員ぎいん四百六十六人よんひゃくろくじゅうろくにん参議院さんぎいんのほうは二百五十人にひゃくごじゅうにんあります。この議員ぎいんをえらぶために、くにを「選挙区せんきょく」というものにけて、この選挙区せんきょく人口じんこうにしたがって議員ぎいんかずをわりあてます。したがって選挙せんきょは、この選挙区せんきょくごとに、わりあてられたかずだけの議員ぎいんをえらんですことになります。
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 議員ぎいん選挙せんきょするには、選挙せんきょ投票所とうひょうじょき、投票用紙とうひょうようしり、じぶんのよいとおもひと名前なまえきます。それから、そのかみり、かぎのかかった投票箱とうひょうばこれるのです。この投票とうひょうは、ひじょうに大事だいじ権利けんりです。選挙せんきょするひとは、みなじぶんのかんがえでだれに投票とうひょうするかをきめなければなりません。けっして、品物しなもの利益りえきになる約束やくそくせられてはなりません。この投票とうひょうは、秘密投票ひみつとうひょうといって、だれをえらんだかをいう義務ぎむもなく、あるひとをえらんだ理由りゆうわれてもこたえる必要ひつようはありません。
 さて日本国民にほんこくみんは、二十歳以上はたちいじょうひとは、だれでも国会議員くこっかいぎいん知事ちじ市長しちょうなどを選挙せんきょすることができます。これを「選挙権せんきょけん」というのです。わがくにでは、ながいあいだ、おとこだけがこの選挙権せんきょけんをもっていました。また、財産ざいさんをもっていて税金ぜいきんをおさめるひとだけが、選挙権せんきょけんをもっていたこともありました。いまは、民主主義みんしゅしゅぎのやりかたでくにおさめてゆくのですから、二十歳以上はたちいじょうひとは、おとこおんなもみんな選挙権せんきょけんをもっています。このように、国民こくみんがみな選挙権せんきょけんをもつことを、「普通選挙ふつうせんきょ」といいます。こんどの憲法けんぽうは、この普通選挙ふつうせんきょを、国民こくみん大事だいじ基本的人権きほんてきじんけんとしてみとめているのです。しかし、いくら普通選挙ふつうせんきょといっても、こどもまで選挙権せんきょけんをもつというわけではありませんが、とにかく男女だんじょ人種じんしゅ区別くべつもなく、宗教しゅうきょう財産ざいさんうえ区別くべつもなく、みんながひとしく選挙権せんきょけんをもっているのです。
 また日本国民にほんこくみんは、だれでも国会こっかい議員ぎいんなどになることができます。おとこおんなもみな議員ぎいんになれるのです。これを「被選挙権ひせんきょけん」といいます。しかし、年齢ねんれいが、選挙権せんきょけんのときとすこしちがいます。衆議院議員しゅうぎいんぎいんになるには、二十五歳以上にじゅうごさいいじょう参議院議員さんぎいんぎいんになるには、三十歳以上さんじっさいいじょうでなければなりません。この被選挙権ひせんきょけん場合ばあいも、選挙権せんきょけんおなじように、だれがかんがえてもいけないとおもわれるものには、被選挙権ひせんきょけんがありません。国会議員こっかいぎいんになろうとするひとは、じぶんでとどけでて、「候補者こうほしゃ」というものになるのです。また、じぶんがよいとおもうほかのひとを、「候補者こうほしゃ 」としてとどけでることもあります。これを 候補者こうほしゃを「推薦すいせんする」といいます。
 この候補者こうほしゃ をとどけでるのは、 選挙せんきょのまえにしめきってしまいます。投票とうひょうをするひとは、この候補者こうほしゃなかから、じぶんのよいとおもひとをえらばなければなりません。ほかのひと名前なまえいてはいけません。そうして、投票とうひょうかずおお候補者こうほしゃから、議員ぎいんになれるのです。それを「当選とうせんする」といいます。
 みなさん、民主主義みんしゅしゅぎは、国民こくみんぜんたいでくにおさめてゆくことです。そうして国会こっかいは、国民こくみんぜんたいの代表者だいひょうしゃです。それで、国会議員こっかいぎいん選挙せんきょすることは、国民こくみん大事だいじ権利けんりで、また大事だいじなつとめです。国民こくみんはぜひ選挙せんきょにでてゆかなければなりません。選挙せんきょにゆかないのは、この大事だいじ権利けんりをすててしまうことであり、また大事だいじなつとめをおこたることです。選挙せんきょにゆかないことを、ふつう「棄権きけん」といいます。これは、権利けんりをすてるという意味いみです。国民こくみん棄権きけんしてはなりません。みなさんも、いまにこの権利けんりをもつことになりますから、選挙せんきょのことは、とくにくわしくいておいたのです。
 国会こっかいは、このようにして、国民こくみんがえらんだ議員ぎいんがあつまって、くにのことをきめるところですが、ほかの役所やくしょとちがって、国会こっかいで、議員ぎいんが、くに仕事しごとをしているありさまを、国民こくみんることができるのです。国民こくみんはいつでも、国会こっかいって、これをたりきいたりすることができるのです。また、新聞しんぶんやラジオにも国会こっかいのことがでます。
 つまり、国会こっかいでの仕事しごとは、国民こくみんまえおこなわれるのです。憲法けんぽうは、国会こっかいはいつでも、国民こくみんれるようにして、仕事しごとをしなければならないときめているのです。これはたいへん大事だいじなことです。もし、まれな場合ばあいですが秘密ひみつ会議かいぎひらこうとするときは、むずかしいつづきがいります。
 これで、どういうふうにくにおさめられてゆくのか、どんなことがくにでおこっているのか、国民こくみんのえらんだ議員ぎいんが、どんな意見いけん国会こっかいでのべているかというようなことが、みんな国民こくみんにわかるのです。
 くに仕事しごとただしいかるいやりかたは、ここからうまれてくるのです。国会こっかいがなくなれば、くになかがくらくなるのです。民主主義みんしゅしゅぎかるいやりかたです。国会こっかいは、民主主義みんしゅしゅぎにはなくてはならないものです。
 日本にほん国会こっかいは、年中ねんじゅうひらかれているものではありません。しかし、毎年まいとし一回いっかいはかならずひらくことになっています。これを「常会じょうかい」といいます。常会じょうかい百五十日間 ひゃくごじゅうにちかん ときまっています。これを国会こっかいの「会期かいき」といいます。このほかに、必要ひつようのあるときは、臨時りんじ国会こっかいひらきます。これを「臨時会りんじかい」といいます。また、衆議院しゅうぎいん解散かいさんされたときは、解散かいさんから四十日よんじゅうにち以内いないに、選挙せんきょおこない、その選挙せんきょから三十日さんじゅうにち以内いないに、あたらしい国会こっかいひらかれます。これを「特別会とくべつかい」といいます。臨時会りんじかい特別会とくべつかい会期かいきは、国会こっかいがじぶんできめます。また国会こっかい会期かいきは、必要ひつようのあるときは、ばすことができます。それも国会こっかいがじぶんできめるのです。国会こっかいひらくには、国会議員こっかいぎいんをよびあつめなければなりません。これを、国会こっかいを「召集しょうしゅうする」といって、天皇陛下てんのうへいかがなさるのです。召集しょうしゅうされた国会こっかいは、じぶんでひらいて仕事しごとをはじめ、会期かいきがおわれば、じぶんで国会こっかいじて、国会こっかいは一やすむことになります。
 みなさん、国会こっかい議事堂ぎじどうをごぞんじですか。あのしろいうつくしい建物たてものに、ひかりがさしているのをごらんなさい。あれは日本国民にほんこくみんちからをあらわすところです。主権しゅけんをもっている日本国民にほんこくみんくにおさめてゆくところです。

九 政党せいとう


政党せいとう」というのは、くにおさめてゆくことについて、おな意見いけんをもっているひとがあつまってこしらえた団体だんたいのことです。みなさんは、社会党しゃかいとう民主党みんしゅとう自由党じゆうとう国民協同党こくみんきょうどうとう共産党きょうさんとうなどという名前なまえを、きいているでしょう。これらはみな政党せいとうです。政党せいとうは、国会こっかい議員ぎいんだけでこしらえているものではありません。政党せいとうからでている議員ぎいんは、政党せいとうをこしらえているひと一部いちぶだけです。ですから、ひとつの政党せいとうがあるということは、くになかに、それとおな意見いけんをもったひとが、そうとうおおぜいいるということになるのです。
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 政党せいとうには、くにおさめてゆくについてのきまった意見いけんがあって、これを国民こくみんらせています。国民こくみん意見いけんは、ひとによってずいぶんちがいますが、おおきくけてみると、この政党せいとう意見いけんのどれかになるのです。つまり政党せいとうは、国民こくみんぜんたいが、くにおさめてゆくについてもっている意見いけんを、おおきく色分いろわけにしたものといってもよいのです。民主主義みんしゅしゅぎくにおさめてゆくには、国民こくみんぜんたいが、みんな意見いけんをはなしあって、きめてゆかなければなりません。政党せいとうがおたがいにくにのことを議論ぎろんしあうのはこのためです。
 日本にほんには、この政党せいとうというものについて、まちがったかんがえがありました。それは、政党せいとうというものは、なんだか、くになかで、じぶんの意見いけんをいいはっているいけないものだというような見方みかたです。これはたいへんなまちがいです。民主主義みんしゅしゅぎのやりかたは、くに仕事しごとについて、国民こくみん が、おおいに 意見いけんをはなしあってきめなければならないのですから、政党せいとうあらそうのは、けっしてけんかではありません。民主主義みんしゅしゅぎでやれば、かならず政党せいとうというものができるのです。また、政党せいとうがいるのです。政党せいとうはいくつあってもよいのです。政党せいとうかずだけ、国民こくみん意見いけんが、おおきくかれているとおもえばよいのです。ドイツやイタリアでは政党せいとうをむりにひとつにまとめてしまい、また日本にほんでも、政党せいとうをやめてしまったことがありました。その結果けっかはどうなりましたか。国民こくみん意見いけん自由じゆうにきかれなくなって、個人こじん権利けんりがふみにじられ、とうとうおそろしい戦争せんそうをはじめるようになったではありませんか。
 国会こっかい選挙せんきょのあるごとに、政党せいとうは、じぶんの団体だんたいから議員ぎいん候補者こうほしゃし、またじぶんの意見いけん国民こくみんらせて、国会こっかいでなるべくたくさんの議員ぎいんをえようとします。衆議院しゅうぎいんは、参議院さんぎいんよりもおおきなちからをもっていますから、衆議院しゅうぎいんでいちばんおお議員ぎいんを、じぶんの政党せいとうからすことが必要ひつようです。それで衆議院しゅうぎいん選挙せんきょは、政党せいとうにとっていちばん大事だいじなことです。国民こくみんは、この政党せいとう意見いけんをよくしらべて、じぶんのよいとおも政党せいとう候補者こうほしゃ投票とうひょうすれば、じぶんの意見いけんが、政党せいとうをとおして国会こっかいにとどくことになります。
 どの政党せいとうにもはいっていないひとが、候補者こうほしゃになっていることもあります。国民こくみんは、このような候補者こうほしゃ投票とうひょうすることも、もちろん自由じゆうです。しかし政党せいとうには、きまった意見いけんがあり、それは国民こくみんらせてありますから、政党せいとう候補者こうほしゃ投票とうひょうをしておけば、そのひと国会こっかいたときに、どういう意見いけんをのべ、どういうふうにはたらくかということが、はっきりきまっています。もし政党せいとう候補者こうほしゃでないひと投票とうひょうしたときは、そのひと国会こっかいたとき、どういうようにはたらいてくれるかが、はっきりわからないふべんがあるのです。このようにして、選挙せんきょごとに、衆議院しゅうぎいんおおくの議員ぎいんをとった政党せいとう意見いけんで、くに仕事しごとをやってゆくことになります。これは、いいかえれば、国民こくみんぜんたいのなかで、おおいほうの意見いけんで、くにおさめてゆくことでもあります。
 みなさん、国民こくみんは、政党せいとうのことをよくらなければなりません。じぶんのすきな政党せいとうにはいり、またじぶんたちですきな政党せいとうをつくるのは、国民こくみん自由じゆうで、憲法けんぽうは、これを「基本的人権きほんてきじんけん」としてみとめています。だれもこれをさまたげることはできません。

十 内閣ないかく


内閣ないかく」は、くに行政ぎょうせいをうけもっている機関きかんであります。行政ぎょうせいということは、まえにもうしましたように、「立法りっぽう」すなわちくに規則きそくをこしらえることと、「司法しほう」すなわち裁判さいばんをすることをのぞいたあとの、くに仕事しごとをまとめていうのです。国会こっかいは、国民こくみん代表だいひょうになって、くにおさめてゆく機関きかんですが、たくさんの議員ぎいんでできているし、また一年中いちねんじゅうひらいているわけにもゆきませんから、日常にちじょう仕事しごとやこまごました仕事しごとは、べつ役所やくしょをこしらえて、ここでとりあつかってゆきます。その役所やくしょのいちばんうえにあるのが内閣ないかくです。
 内閣ないかくは、内閣総理大臣ないかくそうりだいじん国務大臣こくむだいじんとからできています。「内閣総理大臣ないかくそうりだいじん」は内閣ないかくちょうで、内閣ないかくぜんたいをまとめてゆく、大事だいじ役目やくめをするのです。それで、内閣総理大臣ないかくそうりだいじんにだれがなるかということは、たいへん大事だいじなことですが、こんどの憲法けんぽうは、内閣総理大臣ないかくそうりだいじんは、国会こっかい議員ぎいんなかから、国会こっかいがきめて、天皇陛下てんのうへいかもうしあげ、天皇陛下てんのうへいかがこれをおめいじになることになっています。国会こっかいできめるとき、衆議院しゅうぎいん参議院さんぎいん意見いけんかれたときは、けっきょく衆議院しゅうぎいん意見いけんどおりにきめることになります。内閣総理大臣ないかくそうりだいじん国会こっかいできめるということは、衆議院しゅうぎいんでたくさんの議員ぎいんをもっている政党せいとう意見いけんで、きまることになりますから、内閣総理大臣ないかくそうりだいじんは、政党せいとうからでることになります。
 また、ほかの国務大臣こくむだいじんは、内閣総理大臣ないかくそうりだいじんが、自分じぶんでえらんで国務大臣こくむだいじんにします。しかし、国務大臣こくむだいじんかず半分以上はんぶんいじょうは、国会こっかい議員ぎいんからえらばなければなりません。国務大臣こくむだいじんくに行政ぎょうせいをうけもつ役目やくめがありますが、この国務大臣こくむだいじんなかから、大蔵省おおくらしょう文部省もんぶしょう厚生省こうせいしょう商工省しょうこうしょうなどのくに役所やくしょちょうになって、その役所やくしょ仕事しごとけてうけもつひとがきまります。これを「各省大臣かくしょうだいじん」といいます。つまり国務大臣こくむだいじんなかには、この各省大臣かくしょうだいじんになるひとと、ただくに仕事しごとぜんたいをみてゆく国務大臣こくむだいじんとがあるわけです。内閣総理大臣ないかくそうりだいじん政党せいとうからでる以上いじょう国務大臣こくむだいじんもじぶんとおな政党せいとうひとからとることが、くに仕事しごとをやってゆくうえにべんりでありますから、国務大臣こくむだいじん大部分だいぶぶんが、おな政党せいとうからでることになります。
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 また、ひとつの政党せいとうだけでは、国会こっかい自分じぶん意見いけんをとおすことができないとおもったときは、意見いけんのちがうほかの政党せいとうんで内閣ないかくをつくります。このときは、それらの政党せいとうから、みな国務大臣こくむだいじんがでて、いっしょに、くに仕事しごとをすることになります。また政党せいとうひとでなくとも、くに仕事しごとかるいひとを、国務大臣こくむだいじんれることもあります。しかし、民主主義みんしゅしゅぎのやりかたでは、けっきょく政党せいとう内閣ないかくをつくることになり、政党せいとうから内閣総理大臣ないかくそうりだいじん国務大臣こくむだいじんのおおぜいがでることになるので、これを「政党内閣せいとうないかく」というのです。
 内閣ないかくは、くに行政ぎょうせいをうけもち、また、天皇陛下てんのうへいかくに仕事しごとをなさるときには、これに意見いけんもうしあげ、また、御同意ごどういもうします。そうしてじぶんのやったことについて、国民こくみん代表だいひょうする国会こっかいにたいして、責任せきにんうのです。これは、内閣総理大臣ないかくそうりだいじんも、ほかの国務大臣こくむだいじんも、みないっしょになって、責任せきにんうのです。ひとりひとりべつべつに責任せきにんうのではありません。これを「連帯れんたいして責任せきにんう」といいます。
 また国会こっかいのほうでも、内閣ないかくがわるいとおもえば、いつでも「もう内閣ないかく信用しんようしない」ときめることができます。ただこれは、衆議院しゅうぎいんだけができることで、参議院さんぎいんはできません。なぜならば、国民こくみんのその時々ときどき意見いけんがうつっているのは、衆議院しゅうぎいんであり、また、選挙せんきょのやりなおしをして、内閣ないかくが、国民こくみんに、どっちがよいかをきめてもらうことができるのは、衆議院しゅうぎいんだけだからです。衆議院しゅうぎいん内閣ないかくにたいして、「もう内閣ないかく信用しんようしない」ときめることを、「不信任決議ふしんにんけつぎ」といいます。この不信任決議ふしんにんけつぎがきまったときは、内閣ないかく天皇陛下てんのうへいかもうしあげ、十日とおか以内いない衆議院しゅうぎいん解散かいさんしていただき、選挙せんきょのやりなおしをして、国民こくみんにうったえてきめてもらうか、または辞職じしょくするかどちらかになります。また「内閣ないかく信用しんようする」ということ(これを「信任決議しんにんけつぎ」といいます)が、衆議院しゅうぎいん反対はんたいされて、だめになったときもおなじことです。
 このようにこんどの憲法けんぽうでは、内閣ないかく国会こっかいとむすびついて、国会こっかい直接ちょくせつちからうごかされることになっており、国会こっかい政党せいとう勢力せいりょく変化へんかで、かわってゆくのです。つまり内閣ないかくは、国会こっかい支配しはいもとにあることになりますから、これを「議院内閣制度ぎいんないかくせいど」とよんでいます。民主主義みんしゅしゅぎと、政党内閣せいとうないかくと、議院内閣ぎいんないかくとは、ふかい関係かんけいがあるのです。

十一 司法しほう


司法しほう」とは、あらそいごとをさばいたり、つみがあるかないかをきめることです。「裁判さいばん」というのもおなじはたらきをさすのです。だれでも、じぶんの生命せいめい自由じゆう財産ざいさんなどをまもるために、公平こうへい裁判さいばんをしてもらうことができます。この司法しほうというくに仕事しごとは、国民こくみんにとってはたいへん大事だいじなことで、なによりもまず、公平こうへいにさばいたり、きめたりすることがたいせつであります。そこでくにには、「裁判所さいばんしょ」というものがあって、この司法しほうという仕事しごとをうけもっているのです。
 裁判所さいばんしょは、その仕事しごとをやってゆくについて、ただ憲法けんぽう国会こっかいのつくった法律ほうりつとにしたがって、公平こうへい裁判さいばんをしてゆくものであることを、憲法けんぽうできめております。ほかからは、いっさい口出くちだしをすることはできないのです。また、裁判さいばんをする役目やくめをもっているひと、すなわち「裁判官さいばんかん」は、みだりに役目やくめりあげられないことになっているのです。これを「司法権しほうけん独立どくりつ」といいます。また、裁判さいばん公平こうへいにさせるために、裁判さいばんは、だれでもたりきいたりすることができるのです。これは、国会こっかいおなじように、裁判所さいばんしょ仕事しごと国民こくみんまえおこなわれるということです。これも憲法けんぽうではっきりときめてあります。
 こんどの憲法けんぽうで、ひじょうにかわったことを、ひともうしておきます。それは、裁判所さいばんしょは、国会こっかいでつくった法律ほうりつが、憲法けんぽうっているかどうかをしらべることができるようになったことです。もし法律ほうりつが、憲法けんぽうにきめてあることにちがっているとかんがえたときは、その法律ほうりつにしたがわないことができるのです。だから裁判所さいばんしょは、たいへんおもい役目やくめをすることになりました。
 みなさん、わたしたち国民こくみんは、国会こっかいを、じぶんのわりをするものとおもって、しんらいするとともに、裁判所さいばんしょを、じぶんたちの権利けんり自由じゆうまもってくれるみかたとおもって、そんけいしなければなりません。

十二 財政ざいせい


 みなさんのいえに、それぞれくらしのてかたがあるように、くににもくらしのてかたがあります。これがくにの「財政ざいせい」です。くにおさめてゆくのに、どれほど費用ひようがかかるか、その費用ひようをどうしてととのえるか、ととのえた費用ひようをどういうふうにつかってゆくかというようなことは、みなくに財政ざいせいです。くに費用ひようは、国民こくみんさなければなりませんし、また、くに財政ざいせいがうまくゆくかゆかないかは、たいへん大事だいじなことですから、国民こくみんは、はっきりこれをり、またよく監督かんとくしてゆかなければなりません。
 そこで憲法けんぽうでは、国会こっかいが、国民こくみんわって、この監督かんとく役目やくめをすることにしています。この監督かんとく方法ほうほうはいろいろありますが、そのおもなものをいいますと、内閣ないかくは、毎年まいとしいくらおかねがはいって、それをどういうふうにつかうかというつもりを、国会こっかいして、きめてもらわなければなりません。それを「予算よさん」といいます。また、つかった費用ひようは、あとで計算けいさんして、また国会こっかいして、しらべてもらわなければなりません。これを「決算けっさん」といいます。国民こくみんから税金ぜいきんをとるには、国会こっかいして、きめてもらわなければなりません。内閣ないかくは、国会こっかい国民こくみんにたいして、すくなくとも毎年まいとし一回いっかいくに財政ざいせいが、どうなっているかを、らさなければなりません。このような方法ほうほうで、くに財政ざいせいが、国民こくみん国会こっかいとで監督かんとくされてゆくのです。
 また「会計検査院かいけいけんさいん」という役所やくしょがあって、くに決算けっさん検査けんさしています。

十三 地方自治ちほうじち


 戦争中せんそうちゅうは、なんでも「くにのため」といって、国民こくみんのひとりひとりのことが、かるくかんがえられていました。しかし、くに国民こくみんのあつまりで、国民こくみんのひとりひとりがよくならなければ、くにはよくなりません。それとおなじように、日本にほんくには、たくさんの地方ちほうかれていますが、その地方ちほうが、それぞれさかえてゆかなければ、くにはさかえてゆきません。そのためには、地方ちほうが、それぞれじぶんでじぶんのことをおさめてゆくのが、いちばんよいのです。なぜならば、地方ちほうには、その地方ちほうのいろいろな事情じじょうがあり、その地方ちほうんでいるひとが、いちばんよくこれをっているからです。じぶんでじぶんのことを自由じゆうにやってゆくことを「自治じち」といいます。それでくに地方ちほうごとに、自治じちでやらせてゆくことを、「地方自治ちほうじち」というのです。
 こんどの憲法けんぽうでは、この地方自治ちほうじちということをおもくみて、これをはっきりきめています。地方ちほうごとにひとつの団体だんたいになって、じぶんでじぶんの仕事しごとをやってゆくのです。東京都とうきょうと北海道ほっかいどう府県ふけん市町村しちょうそんなど、みなこの団体だんたいです。これを「地方公共団体ちほうこうきょうだんたい」といいます。
挿絵11
 もしくに仕事しごとのやりかたが、民主主義みんしゅしゅぎなら、地方公共団体ちほうこうきょうだんたい仕事しごとのやりかたも、民主主義みんしゅしゅぎでなければなりません。地方公共団体ちほうこうきょうだんたいは、くにのひながたといってもよいでしょう。くに国会こっかいがあるように、地方公共団体ちほうこうきょうだんたいにも、その地方ちほうひと代表だいひょうする「議会ぎかい」がなければなりません。また、地方公共団体ちほうこうきょうだんたい仕事しごとをする知事ちじや、そのほかのおもな役目やくめひとも、地方公共団体ちほうこうきょうだんたい議会ぎかい議員ぎいんも、みなその地方ちほうひとが、じぶんで選挙せんきょすることになりました。
 このように地方自治ちほうじちが、はっきり憲法けんぽうでみとめられましたので、あるひとつの地方公共団体ちほうこうきょうだんたいだけのことをきめた法律ほうりつを、くに国会こっかいでつくるには、その地方ちほうひと意見いけんをきくために、投票とうひょうをして、その投票とうひょう半分以上はんぶんいじょう賛成さんせいがなければできないことになりました。
 みなさん、くにあいくににつくすように、じぶんのんでいる地方ちほうあいし、じぶんの地方ちほうのためにつくしましょう。地方ちほうのさかえは、くにのさかえとおもってください。

十四 改正かいせい


改正かいせい」とは、憲法けんぽうをかえることです。憲法けんぽうは、まえにももうしましたように、くに規則きそくなかでいちばん大事だいじなものですから、これをかえるつづきは、げんじゅうにしておかなければなりません。
挿絵12
 そこでこんどの憲法けんぽうでは、憲法けんぽう改正かいせいするときは、国会こっかいだけできめずに、国民こくみんが、賛成さんせい反対はんたいかを投票とうひょうしてきめることにしました。
 まず、国会こっかいひとつの議院ぎいんで、ぜんたいの議員ぎいん三分さんぶん以上いじょう賛成さんせいで、憲法けんぽうをかえることにきめます。これを、憲法改正けんぽうかいせいの「発議はつぎ」というのです。それからこれを国民こくみんしめして、賛成さんせい反対はんたいかを投票とうひょうしてもらいます。そうしてぜんぶの投票とうひょう半分以上はんぶんいじょう賛成さんせいしたとき、はじめて憲法けんぽう改正かいせいを、国民こくみん承知しょうちしたことになります。これを国民こくみんの「承認しょうにん」といいます。国民こくみん承認しょうにんした改正かいせいは、天皇陛下てんのうへいか国民こくみんで、これをくに発表はっぴょうされます。これを改正かいせいの「公布こうふ」といいます。あたらしい憲法けんぽうは、国民こくみんがつくったもので、国民こくみんのものですから、これをかえたときも、国民こくみん名義めいぎ発表はっぴょうするのです。

十五 最高法規さいこうほうき


 このおはなしのいちばんはじめにもうしましたように、「最高法規さいこうほうき」とは、くにでいちばんたかくらいにある規則きそくで、つまり憲法けんぽうのことです。この最高法規さいこうほうきとしての憲法けんぽうには、くに仕事しごとのやりかたをきめた規則きそくと、国民こくみん基本的人権きほんてきじんけんをきめた規則きそくと、ふたつあることもおはなししました。このなかで、国民こくみん基本的人権きほんてきじんけんは、これまでかるくかんがえられていましたので、憲法けんぽう第九十七条だいきゅうじゅうしちじょうは、おごそかなことばで、この基本的人権きほんてきじんけんは、人間にんげんがながいあいだちからをつくしてえたものであり、これまでいろいろのことにであってきたえあげられたものであるから、これからもけっしておかすことのできない永久えいきゅう権利けんりであるとしるしております。
 憲法けんぽうは、くに最高法規さいこうほうきですから、この憲法けんぽうできめられてあることにあわないものは、法律ほうりつでも、命令めいれいでも、なんでも、いっさい規則きそくとしてのちからがありません。これも憲法けんぽうがはっきりきめています。
 このように大事だいじ憲法けんぽうは、天皇陛下てんのうへいかもこれをおまもりになりますし、国務大臣こくむだいじんも、国会こっかい議員ぎいんも、裁判官さいばんかんも、みなこれをまもってゆく義務ぎむがあるのです。また、日本にほんくにがほかのくにととりきめた約束やくそく(これを「条約じょうやく」といいます)も、くにくにとが交際こうさいしてゆくについてできた規則きそく(これを「国際法規こくさいほうき」といいます)も、日本にほんくには、まごころからまもってゆくということを、憲法けんぽうできめました。
 みなさん、あたらしい憲法けんぽうは、日本国民にほんこくみんがつくった、日本国民にほんこくみん憲法けんぽうです。これからさき、この憲法けんぽうまもって、日本にほんくにがさかえるようにしてゆこうではありませんか。
おわり
  • 全ての漢字にふりがな・読み仮名を付けました。
  • 旧字体を新字体にしました。
    • 例:國 → 国、戰 → 戦、爭 → 争、團体 → 団体、條 → 条、檢査 → 検査、與 → 与
  • 繰り返し符号の「一の字点」は、符号を使わない書き方にしました。
    • 例:おゝぜい → おおぜい、ただ → ただ、こゝに → ここに、とゞけでる → とどけでる、かゝった → かかった、手つゞき → 手つづき
  • 繰り返し符号の「くの字点」は、符号を使わない書き方にしました。
    • 例:いろ/\ → いろいろ、 ひとり/\ → ひとりひとり、一つ/\ → 一つひとつ、ほう/″\ → ほうぼう、べつ/\ → べつべつ、とう/\ → とうとう、生き/\ → 生き生き、こま/″\ → こまごま、これ/\ → これこれ、それ/″\ → それぞれ、べつ/″\ → べつべつ
  • この文章の原文には、特定の障害を持った方への配慮が欠けていると思われる表現が含まれています。
  • このサイトに掲載するに当たっては、その部分は全体の構成に大きく関わるものでは無いとの判断から非表示にしてあります。歴史的な考察などから、原文をお読みになりたい場合は国立国会図書館デジタル化資料などでご覧ください。
  底本: あたらしい憲法のはなし
      青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)
      2010年11月1日

  底本親本: あたらしい憲法のはなし
  出版社: 日本平和委員会
  初版発行日: 1972年11月3日
  入力に使用: 2004年1月27日第38版
  底本の親本: あたらしい憲法のはなし
  出版社: 実業教科書株式会社
  初版発行日: 1947(昭和22)年8月2日
  参考: 国立国会図書館デジタルコレクション - あたらしい憲法のはなし

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Last updated : 2023/02/25