『浮世絵・錦絵』などを見る
|
- これは、ボストン美術館が所蔵する『文久三春の都路(“The Road to the Capital, Spring 1863” (Bunkyû san haru no miyako michi))』と表題が付けられた画帳からの引用で、55枚の錦絵がまとめられている。
- ボストン美術館による表題は「文久三春の都路」であるが、ここでは「文久三年 春の都路」とした。
- 13人の絵師の名前(芳艶、芳虎、芳盛、貞秀、芳形、周麿(河鍋暁斎)、芳勝、国周、芳宗、広重、国綱、芳豊、艶長)が認められ、文久三年(1863年)の江戸幕府第14代将軍・徳川
家茂 の上洛 (京都に入ること)を描いた錦絵を画帖としてまとめたものと思われる。ただし、目録が見当たらないことや、中には上洛とは直接関係がないのではないかと思われる絵も含まれることから、「文久三春の都路」として出版されたものではなく、蒐集した人物が付けた表題かとも思われる。(このページの制作時点では、日本国内の資料には「文久三春の都路」とするものが見当たらない。ただし、この中の何枚かは、国立国会図書館デジタルコレクションの中の「慶応頃錦絵帖 」や、「あづまにしき絵集 」とする資料に見られ、また、福田和彦氏著の「東海道五十三次 将軍家茂公御上洛図」によれば、イタリアの「E・キヨソーネ東洋美術館」所蔵の「御上洛帖」とする画帖に三枚続きの錦絵が24枚認められるとして、同氏の著書にその中の13枚が掲載されている。この13枚は全て「文久三年 春の都路」に含まれている) - 徳川家茂の上洛は、文久3年2月13日(1863年3月31日) に江戸を出立、同年3月4日(1863年4月21日) 京都・二条城に入った。
- 家茂の上洛は、寛永11年(1634)7月の第3代将軍徳川家光以来229年振りで、この時の様子を描いた錦絵に、三代豊国や、二代広重、河鍋暁斎ら16人の絵師による162枚からなる「東海道名所風景(御上洛東海道、行列東海道などとも呼ばれる) 」がある。前出の福田和彦氏著「東海道五十三次 将軍家茂公御上洛図」では、この中の多くも紹介されている。
- また、慶応元年・1865年に刊行された、8人の絵師による55枚からなる『末広五十三次 』もある。
- 当時、徳川将軍家を直接描くことは出来なかったため [注:1]、これらの絵では源頼朝などに仮託され描かれている。
注1:浮世絵に関する出版統制令の例(『江戸町触集成』第11巻より):「一枚絵草双紙類、天正之頃以来之武者等、名前を顕し画候義ハ勿論、紋所合印名前等紛敷認候義も決て致間識候」(文化元年五月十七日)(文化元年は1804年 )