『浮世絵・錦絵』 などを見る |
『
画像ポップアップ
画像スライド
|
『歌川広景・江戸名所道戯尽(江戸名所道外尽・江戸名所道化尽)』
= 安政6年〜文久元年・1859〜1861年 =
|
- 下の画像をクリックすると、画面サイズに合わせて拡大して見ることができます。
- マウスや画面タッチで、画像をスライドさせたり、拡大させたりすることができます。
〈歌川広景「江戸名所 道戯尽 四十一 浅草御厩川岸」は、北斎のパロディか?〉
- 歌川広景が「江戸名所道戯尽」の中で足場を組んで作業をする左官の姿を描いた絵を発表するおよそ 25 年前に、葛飾北斎が「富嶽百景 」の中でほとんど同じ構図の絵を残している。
- 北斎は「
足代 の不二」として、富士山を背景に左官職人を描き、広景は、富士山こそ描いていないが、ほとんど同じ構図で左官職人を描いている。 - 広重の職人はしっかりと仕事をしているが、広景の左官は渡された漆喰を盛り板ごと落としてしまい、下の職人に当たってひっくり返っているという落ち。
足代 は、足場のこと。
葛飾北斎
「富嶽百景」より『足代の不二』
天保5年〈1834〉
歌川広景
「江戸名所道戯尽 浅草御厩川岸」
安政6年〈1859〉〜文久元年〈1861〉頃