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般若心経を絵で表したこの「絵心経」は、天保年間(1830年代)に、盛岡藩の城下、盛岡(現在の岩手県盛岡市)で創案された「盛岡系舞田屋版」とされるもの。(画像提供:岩手県立博物館)
当時は義務教育などはなく文字の読めない人もいたため、誰でも般若心経に触れられるようにして民衆の心の安寧を図る目的のほか、明るくユーモラスな庶民の読み物としても流布したと考えられる。
印刀で描き出された写実的な絵文字は、この時代に流行した“判じ絵” の趣も感じられる。
当時は義務教育などはなく文字の読めない人もいたため、誰でも般若心経に触れられるようにして民衆の心の安寧を図る目的のほか、明るくユーモラスな庶民の読み物としても流布したと考えられる。
印刀で描き出された写実的な絵文字は、この時代に流行した“判じ絵” の趣も感じられる。
[参考:監修 佐藤勝郎 トリョー・コム 1973年刊]
- ここに掲載した図は昭和期に印刷されたのものと考えられる(岩手県立博物館)。
- サイズ:16 cm × 120 cm 折り本
- この図では、最初に十二支の守護仏が、最後に回向文が記されている。
- この回向[ 標題の絵文字は「絵」と「お香」]は、禅宗の臨済宗、曹洞宗などで唱えられることがある次の内容。
- 絵心経は、ここに掲載した「盛岡系」の他に、これを百年ほど遡る正徳2年(1712年)頃に、現在の岩手県八幡平市田山地区で創案された『田山系』がある。
回向(えこう)
願以此功徳(げんにすくんて)
普及於一切(ふぎゅうおいしい)
我等与衆生(ごてんにしゅんさん)
皆共成仏道(かいきゅうしんぶどう)
十方三世一切仏 (じほさんしいしふ)
諸尊菩薩摩訶薩 (しそんぶさもこさ)
摩訶般若波羅蜜 (もこほじゃほろみ)
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《盛岡系舞田屋版 原図》
《盛岡系舞田屋版 色調補正》
般若心経
[仏説]摩訶般若波羅蜜多心経観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顚倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜多呪即説呪曰 掲諦掲諦波羅掲諦波羅僧掲諦菩提薩婆訶 般若心経 |
最初の[仏説]は、神道では省略される。また、仏教でも宗派などによって省略して唱えられる。