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この、般若心経を絵で表した「絵心経」は、正徳2年(1712年)頃に、盛岡藩田山地方(現在の岩手県八幡平市田山地区)で成立したとされ、「田山系」と呼ばれる。
創案したのは、書、画、天文などに明るい善八という人で、善八は平泉から田山に移り住み、そこで暮らしながら「絵心経」や『絵暦」(絵暦は善八暦などとも呼ばれる)などを創案、田山は当時、しばしば冷害、飢饉、はやり病などに見舞われ、不安に陥った文字が読めない人たちのための心の安寧に役立てようとしたとされる。
この「田山系絵心経」は、天明4年(1786年)に橘 南谿
(1753 - 1805)が表した『諸国奇談東遊記』によって紹介され、広く知られるところとなった。
「田山系絵心経」の絵文字は、象形文字に近く原始的で、直感的に読みとれるよう心遣いがなされている。この、田山系の創案からおよそ百年後に、写実的な絵の『盛岡系』と呼ばれる絵心経が作られることになる。
創案したのは、書、画、天文などに明るい善八という人で、善八は平泉から田山に移り住み、そこで暮らしながら「絵心経」や『絵暦」(絵暦は善八暦などとも呼ばれる)などを創案、田山は当時、しばしば冷害、飢饉、はやり病などに見舞われ、不安に陥った文字が読めない人たちのための心の安寧に役立てようとしたとされる。
この「田山系絵心経」は、天明4年(1786年)に
「田山系絵心経」の絵文字は、象形文字に近く原始的で、直感的に読みとれるよう心遣いがなされている。この、田山系の創案からおよそ百年後に、写実的な絵の『盛岡系』と呼ばれる絵心経が作られることになる。
[参考:監修 佐藤勝郎 トリョー・コム 1973年刊] など
- この図では、標題が「盲心経」となっているが、「盲」は読み書きが達者でない人という意味で差別的な意味合いは有しない。このページでの標題は、現代に即した形で「絵心経」とした。
- 文字全体の解読は後日に譲ることとして、最初の「摩訶般若波羅蜜多心経」を見てみる。
摩
ま 的(まと) 訶
か 糸巻側 般若
はんにゃ 般若面 波羅蜜
はらみ 孕む 多
た 田 心
しん 木の芯 経
ぎょう 行堂
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《田山系絵心経 原図》
『諸国奇談東遊記』橘南谿(1753 - 1805)より[天明4年(1786年)]
《田山系絵心経 色調補正》
般若心経
[仏説]摩訶般若波羅蜜多心経観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顚倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜多呪即説呪曰 掲諦掲諦波羅掲諦波羅僧掲諦菩提薩婆訶 般若心経 |
最初の[仏説]は、神道では省略される。また、仏教でも宗派などによって省略して唱えられる。