|
■このサイトに登録されている四字熟語を検索します。平仮名での検索や一文字からの検索、絞り込み検索などもできます。
英雄豪傑
えいゆうごうけつ |
|
作家
|
作品
|
---|---|
森鴎外 |
【うたかたの記】
これにはレオニにて読みしふみも、少(すこ)し祟(たたり)をなすかとおもへど、もし然(さ)らば世に博士と呼ばるる人は、そもそもいかなる狂人ならむ。われを狂人と罵る美術家ら、おのれらが狂人ならぬを憂へこそすべきなれ。英雄豪傑、名匠大家となるには、多少の狂気なくて※(「りっしんべん+(はこがまえ<夾)」、第3水準1-84-56)(かな)はぬことは、ゼネカが論をも、シエエクスピアが言(げん)をも待(ま)たず。見玉へ、我学問の博(ひろ)きを。
|
夏目漱石 |
【教育と文芸
即ち忠臣貞女とかいうが如きものを完全なものとして孝子は親の事、忠臣は君の事、貞女は夫の事をばかり考えていた。誠にえらいものである。その原因は科学的精神が乏しかったためで、その理想を批評せず吟味(ぎんみ)せずにこれを行(おこな)って行(い)ったというのである。また昔は階級制度が厳しいために過去の英雄豪傑は非常にえらい人のように見えて、自分より上の人は非常にえらくかつ古人が世の中に存在し得るという信仰があったため、また、一(ひとつ)は所が隔(へだ)たっていて目(ま)のあたり見なれぬために遠隔の地の人のことは非常に誇大(こだい)して考えられたものである、今は交通が便利であるためにそんな事がない、私などもあまり飛び出さないと大家(たいか)と見られるであろう。
――明治四十四年六月十八日長野県会議事院において――】 |
太宰治 |
【酒の追憶】
彼がそのチャンポンをやって、「どれ、小便をして来よう。」と言って巨躯(きょく)をゆさぶって立ち上り、その小山の如きうしろ姿を横目で見て、ほとんど畏敬(いけい)に近い念さえ起り、思わず小さい溜息(ためいき)をもらしたものだが、つまりその頃、日本に於いてチャンポンを敢行する人物は、まず英雄豪傑にのみ限られていた、といっても過言では無いほどだったのである。
|
坂口安吾 |
【一家言を排す】
非論理が論理を圧倒するといふ微妙な人間関係は古来わが政治屋に珍重された処世術で、英雄豪傑の遺風であり、恰(あたか)も土佐犬がテリヤを圧倒するかの如き非理智的な動物的人関係の一つである。
|
幸田露伴 |
【運命】
予其(そ)の逃虚子集(とうきょししゅう)を読むに、道衍が英雄豪傑の蹟(あと)に感慨するもの多くして、仏灯(ぶっとう)梵鐘(ぼんしょう)の間に幽潜するの情の少(すくな)きを思わずんばあらざるなり。
|
斎藤茂吉 |
【三筋町界隈】
そのころ仲見世(なかみせ)に勧工場(かんこうば)があって、ナポレオン一世、ビスマルク、ワシントン、モルトケ、ナポレオン三世というような写真を売っていた。これらの写真は、私が未だ郷里にいたとき、小学校の校長が東京土産に買って来て児童に見せ見せしたものであるから、私は小遣銭が溜(た)まると此処に来てその英雄の写真を買いあつめた。そういう英雄豪傑の写真に交って、ぽん太の写真が三、四種類あり、洗い髪で指を頬(ほお)のところに当てたのもあれば、桃割に結ったのもあり、口紅の濃く影(うつ)っているのもあった。 |
狩野亨吉 |
【安藤昌益】
ところがさうした場合が昔から繰返されがちであるのが世相だと云ふことに氣付いて見たら、正義の士は默しては居られない筈である。安藤は此見地からして、歴史上に現れたる英雄豪傑を引摺出し、秀吉家康を其殿りとして筆誅することに勉めた。
|
水上瀧太郎 |
【貝殼追放 愚者の鼻息】
古來我國の歴史も戲曲も物語も、その中に現れる人物を、極端なる英雄豪傑聖人善人と、極端なる弱蟲卑怯者佞人惡人の二派に分ける慣習があるので、その折角の偉人豪傑、又は反對の惡人極道も、人形芝居の人形よりも更に遙に人間らしさを缺いたものになり下つてしまふ。
|
西田幾多郎 |
【愚禿親鸞】
宗教の智は智その者を知り、宗教の徳は徳その者を用いるのである。三角形の幾何学的性質を究めるには紙上の一小三角形で沢山であるように、心霊上の事実に対しては英雄豪傑も匹夫匹婦(ひっぷひっぷ)と同一である。
|
辻潤 |
【自分だけの世界】
学校へ行くことなども勿論、あまり好きではなかった。従って大方の少年の空想するように、英雄豪傑になろうとか、大政治家になろうとか、そんな希望や野心を抱いたことは一度もなかった
|
田中貢太郎 |
【虎媛】
焦生と友達は雨にびしょ濡れになって宿へ帰った。二人はその晩いつものように酒を飲みながらいろいろの話をはじめた。虎の話が出ると酒に眼元を染めていた焦生が慨然として言った。「あんな猛獣でも、ああなっては仕方がないな、英雄豪傑も運命はあんなものさ」 |
田中英光 |
【さようなら】
弱虫のぼくは醜く、恐ろしい死者に対決する勇気がなく、講談本の英雄豪傑の世界に逃げこむことで、震災という現実の恐怖を忘れたかったのだ。
|
坂口安吾 |
【出家物語】
幸吉は腹の中でゲタゲタ笑った。これで正体がわかったというものだ。彼はもうあんまり徹底的に女を軽蔑しきっているので、自分でも面喰ったほどであるが、同時に荒々しい情慾がわき起って、情念の英雄豪傑というような雄大な気持になった。
|
押川春浪 |
【本州横断 癇癪徒歩旅行】
コリャ堪らん。英雄豪傑の汗なら好んでもしゃぶるが、こんな懦弱(よわ)い奴の汗を舐(な)めるのは御免である。万一その懦弱が伝染しては堪らぬと、吾輩はペッと吐出してしまったが、それでも背に腹は替えられずと、苦い顔をしながら食った連中もあった。
|
中里介山 |
【大菩薩峠 畜生谷の巻】
そのくれえだから、おめえ、近頃は英雄なんていうやつが、この界隈から薬にしたくも出なくなったんだ。地形は昔に変らないんだよ、山川(さんせん)開けて気象頓(とみ)に雄大なるこの濃尾の天地は、信長や、秀吉のうまれた時と大して変らねえのに、人間というやつが腑抜けになって、英雄豪傑の種切れだ。たまにおめえ、大塩平八郎だの、細井平洲だのという奴が出て来れば、みんな他国者に取られてしまう。なんと情けねえじゃねえか、ひとごととは思えねえよ」
|
石橋忍月 |
【罪過論】
古昔希臘(ギリシヤ)人は以為(おもへ)らく、人智の得て思議すべからざる者是れ則(すなは)ち運命なりと。故に英雄豪傑の不幸に淪落(りんらく)するは、其人の心、之を然らしむるにはあらずして、皆な天命神意に出づるものなりと。
|
夢野久作 |
【近世快人伝】
古往今来、あらゆる英雄豪傑は皆、豪(えら)い者になろうと志を立ててから、その志に向って勇往邁進(まいしん)したに相違ない。
|
|