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馬鹿正直
ばかしょうじき
作家
作品

森鴎外

【妄想】

 そこで学んで来た自然科学はどうしたか。帰つた当座一年か二年は Laboratorium(ラボラトリウム) に這人つてゐて、ごつごつと馬鹿正直に働いて、本(もと)の杢阿弥説(もくあみせつ)に根拠を与へてゐた。正直に試験して見れば、何千年といふ間満足に発展して来た日本人が、そんなに反理性的生活をしてゐよう筈はない。初から知れ切つた事である。

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芥川龍之介

【日本の女】

 このチユウヤは、勿論、丸橋忠弥(まるばしちゆうや)であり、ジオシツは由井正雪(ゆゐしやうせつ)である。これもマツクフアレエンに従へば、やはり、ランドオルの追憶記に出てゐる話らしい。
「ジヤパン」の著者マツクフアレエンの伝へた日本の女は、殆(ほと)んどユウトピアの女である。如何(いか)に一八六〇年代の日本の女でも、処女や妻の貞操がそれほど立派(りつぱ)に保たれたといふことは、信用出来ないのに違ひない。これも、マツクフアレエンの馬鹿正直を笑つてしまへばそれだけであるが、外国の風俗人情を伝へる場合には、今日(こんにち)でも多少かういふ喜劇の行はれやすいのは事実である。

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夏目漱石

【道草】

 姉は細かい所に気の付く女であった。従って細かい事にまでよく好奇心を働らかせたがった。一面において馬鹿正直な彼女は、一面においてまた変な廻(まわ)り気(ぎ)を出す癖を有(も)っていた。

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夏目漱石

【行人】

 二人は突然として邂逅(かいこう)し、突然として別れた。男は別れた後(のち)もしばしば女の事を思い出した。ことに彼女の盲目が気にかかった。それでどうかして女のいる所を突きとめようとした。
馬鹿正直なだけに熱心な男だもんだから、とうとう成功した。その筋道も聞くには聞いたが、くだくだしくって忘れちまったよ。何でも彼がその次に有楽座へ行った時、案内者を捕(つら)まえて、何とかかんとかした上に、だいぶ込み入った手数(てかず)をかけたんだそうだ」

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太宰治

【惜別】

世は滔々(とうとう)として礼を名目にして、自己に反対する者には出鱈目(でたらめ)に不孝などの汚名を着せ、これを倒し、もっぱら自己の地位と富の安全を計り、馬鹿正直に礼の本来の姿を信奉している者は、この偽善者どもの礼の悪用を見て、大いに不平だが、しかし無力なので、どうにも仕様がなくて、よろしい、そんならばもう乃公(おれ)は以後、礼のレの字もいうまい、という愚直の片意地が出て来て、やけくそに、逆に礼の悪口をいい出したり、まっぱだかで大酒などという乱暴な事をはじめるようになったのではないかと思うのです。

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太宰治

【お伽草紙】

 浦島は船酔ひに似た胸苦しさを覚えた。
「吐いてもいいか。」と眼をつぶつたまま亀に尋ねる。
「なんだ、へどを吐くのか。」と亀は以前の剽軽な口調にかへつて、「きたねえ船客だな。おや、馬鹿正直に、まだ眼をつぶつてゐやがる。これだから私は、太郎さんが好きさ。もう眼をあいてもよござんすよ。眼をあいて、よもの景色をごらんになつたら、胸の悪いのなんかすぐになほつてしまひます。」

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有島武郎

【かんかん虫】

ヤコフ・イリイッチの前では、彼に関した事でない限り、何もかも打明ける方が得策だと云う心持を起させられたからだ。彼は始めの中こそ一寸熱心に聴いて居たが、忽ちうるさ相な顔で、私の口の開いたり閉じたりするのを眺めて、仕舞には我慢がしきれな相に、私の言葉を奪ってこう云った。
  探偵でせえ無けりゃそれで好いんだ、馬鹿正直
而して暫くしてから、
  だが虫かも知れ無え。こう見ねえ、斯うやって這いずって居る蠅を見て居ると、己れっちよりゃ些度計り甘めえ汁を嘗めているらしいや。暑さにもめげずにぴんぴんしたものだ。黒茶にレモン一片入れて飲め無えじゃ、人間って名は附けられ無えかも知れ無えや。

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寺田寅彦

【アインシュタイン】

八、九歳頃の彼はむしろ控え目で、あまり人好きのしない、独りぼっちの仲間外れの観があった。ただその頃から真と正義に対する極端な偏執が目に立った。それで人々は「馬鹿正直(ビーダーマイアー)」という渾名(あだな)を彼に与えた。この「馬鹿正直」を徹底させたものが今日の彼の仕事になろうとは、誰も夢にも考えなかった事であろう。

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水上瀧太郎

【貝殼追放 愚者の鼻息】

 吉村忠雄氏又は次郎生の愚にもつかない質問に長々と答へながら、自分は自分の正直過ぎるのが馬鹿々々しくなつたが、考へて見ると吉村忠雄氏又は次郎生の如き「卑賤民」は數に於て恐るべき勢力を持つてゐるのであるから、自分が本氣で努力してゐる藝術の爲にも、勞をいとはず返答しなければならないやうにも思はれる。讀者恐らくは、馬鹿々々しい詰問に取合つてゐる自分の愚を救ひ難しとするであらうが、その自分の馬鹿正直をさして即ち「愚者の鼻息」と題したのである。

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豊島与志雄

【田園の幻】

 もし不在中に花子が荷物を取りに来たら、困ることになるかも知れないと、私はちらと考えた。お祭りの晩あたりに……と彼女は言った。然し漠然としたことなので、馬鹿正直に待ってるにも及ぶまい。

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新美南吉

【童話における物語性の喪失】

これらのすぐれた文士たちは、こうして、文体の簡潔、明快、生新さ、内容の面白さを失わぬように努めた。これは昔風な馬鹿正直なやり方のように見える。しかし、今日、童話が物語性を再び身につけるには、少しでも話の内容なり文章なりが退屈になればすぐ聴手がごそごそしはじめるので全然作家のひとりよがりを許さない。この厳しい方法が最もよいと思う。

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宮本百合子

【働く婦人の新しい年】

この社会に一人の人が生きてゆくに、どれだけのものが入用か、それをわが手で得てゆくことが女としてどんな努力を求められることか、それらのことがらをまじめに発見してゆく機会を与えられないと同時に、これっぽっちのサラリーなんだもの、そんなに馬鹿正直に働いていられない、という仕事に対する妙な要領のよさを身につける危険がある。

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伊丹万作

【戦争責任者の問題】

 もちろん、私は本質的には熱心なる平和主義者である。しかし、そんなことがいまさら何の弁明になろう。戦争が始まつてからのちの私は、ただ自国の勝つこと以外は何も望まなかつた。そのためには何事でもしたいと思つた。国が敗れることは同時に自分も自分の家族も死に絶えることだとかたく思いこんでいた。親友たちも、親戚も、隣人も、そして多くの貧しい同胞たちもすべて一緒に死ぬることだと信じていた。この馬鹿正直をわらう人はわらうがいい。
  このような私が、ただ偶然のなりゆきから一本の戦争映画も作らなかつたというだけの理由で、どうして人を裁く側にまわる権利があろう。

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岡本綺堂

【半七捕物帳 津の国屋】

今日のようにボロ会社を押っ立てて新聞へ大きな広告をして、ぬれ手で何十万円を掻き込むなんていう、そんな器用な芸当をむかしの人間は知りませんからね。十万円の金を儲けるにも、これほど手数がかかった芝居をしたんです。それを思うと、むかしの悪党は今の善人よりも馬鹿正直だったかも知れませんね。あははははは」
  これもやはりほんとうの怪談ではなかった。わたしは何だか一杯食わされたような心持で、老人の笑い顔をうっかりと眺めていた。

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黒島傳治

【浮動する地価】

「うむ、そうだ、そうだ。黙って泣寝入りは出来やせん!」
  K市へ出かけて行った連中は埒(らち)があかなかった。
「やっぱし、人間のずるい、金の融通のきく奴が、うまいことをしくさるんだ。」僕は、それを見ながら、この感じを深くした。裏でこそ/\やる人間が、なんでもうまいことをしているんだ。馬鹿正直な奴が、いつでも結局、一番の大馬鹿なんだ。

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河上肇

【御萩と七種粥】

殊に「私は今も尚その時の恩に感じ、これから先き永久にその恩をきようと思っている」などと云うことを、再三述懐して居られるので、最初私はひどく意外に感じたのであるが、後になると、馬鹿正直の私は、一挙手一投足の労に過ぎなかったあんな些事(さじ)を、それほどまで恩に感じていられるのかと、頗(すこぶ)る青楓氏の人柄に感心するようになっていた。

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紫式部
與謝野晶子訳

【源氏物語 夕霧一】

「せめて朝までおいでにならずにお帰りなさい」
  と大将をお促しになるよりほかのことはおできにならないのである。
「悲しいことですね。恋の成り立った人のように分けて出なければならない草葉の露に対してすら私は恥ずかしいではありませんか。ではお言葉どおりにいたしますから、私の誠意だけはおくみとりください。馬鹿正直に仰せどおりにして帰ります私に、若し、上手(じょうず)に追いやってしまったのだというふうを今後お見せになることがありましたなら、その時にはもう自制の力をなくして情熱のなすがままに自分をまかせなければならなくなることと思いますよ」

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岡本かの子

【雛妓】

 で、その方は気がたいへん軽くなった。それ故にこそ百ヶ日が済むと、嘗(かつ)て父の通夜過ぎの晩に不忍池(しのばずのいけ)の中之島の蓮中庵で、お雛妓かの子に番(つが)えた言葉を思い出し、わたくしの方から逸作を誘い出すようにして、かの女を聘(あ)げてやりに行った。「そんな約束にまで、お前の馬鹿正直を出すもんじゃない」と逸作は一応はわたくしをとめてみたが、わたくしが「そればかりでもなさそうなのよ」と言うと、怪訝(けげん)な顔をして「そうか」と言ったきり、一しょについて行って呉れた。

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幸田露伴

【連環記】

檀弓は六国(りくこく)の人、檀弓一篇は礼記(らいき)に在りと雖(いえど)も、もと伝聞に出ずるもので、多く信ず可からず、というような論は、云えば云えぬでは無いが、そんな迂(う)なことを馬鹿正直に云うよりも、相手の推しを其儘(そのまま)にいなせて、「如何にも」と云ったまま少時(しばらく)考えたが、忽(たちま)ち思い得たところがあったか薄笑いして、成程、聖人も性の合わぬ妻を去られたということは有ったでもござろう、

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夢野久作

【爆弾太平記】

……実は吾輩もこの問題に就(つ)いては千秋の遺恨を含んでいるんだからね。今云った朝野の巨頭連は、馬鹿正直な吾輩一人を蹴落して、自分等の不正事実を蔽い隠そうと試みているのだ。

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中里介山

【大菩薩峠 甲源一刀流の巻】

与八はその老人が死んだ時はたしか十二三で、そのあとを嗣(つ)いで水車番になったのです。
  与八の取柄(とりえ)といっては馬鹿正直と馬鹿力です。与八の力は十二三からようやく現われてきて、十五になった時は大人の三人前の力をやすやすと出します。十八になった今日では与八の力は底が知れないといわれている。荷車が道路へメリ込んだ時、筏(いかだ)が岩と岩との間へはさまった時、そういう時が与八の天下で、すぐさま人が飛んで来ます。

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黒岩涙香

【幽霊塔】

夫に反対して居ると見える、何と感心な言葉ではないか、正直過ぎて失敗するなら失敗が本望だとは全く聖人の心掛けだ、余は一段も二段も怪美人を見上げたよ、次には虎井夫人の声で「場合が場合ですもの少し位は嘘を吐かねば、其の様な馬鹿正直な事ばっかり言って何うします」怪美人「イエ何の様な場合でも同じ事です、若し私の馬鹿正直が悪ければ是で貴女と分れましょう、貴女は貴女で御自分の思う様にし、私は独りで自分の思う通りにします、

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佐左木俊郎

【恐怖城】

「それも今日、買手が見に来るっていうんだぞ。怪我をしている馬に、だれが買手がつくもんか。千円、二千円となりゃあてめえなんか、一生かかったってできるかできねえか分かりゃしめえ。それを……」
馬鹿正直に働いていたんじゃとても……」
「なにを? 馬鹿正直に働いていたんじゃ? ちぇっ! 利巧に立ち回ればできるっていうのか?」
「利巧に立ち回って悪いことでもしねえかぎり、おれだけじゃなく、だれにだって!」

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Last updated : 2024/06/28