|
■このサイトに登録されている四字熟語を検索します。平仮名での検索や一文字からの検索、絞り込み検索などもできます。
万古不易
ばんこふえき |
|
作家
|
作品
|
---|---|
森鴎外 |
【追儺】
Stendhal は千八百四十二年に死んでゐる。あの男の書いたものなどは、今の人がかういふものをかういふ風に書けといふ要求を、理想的に満足させてゐはしないかとさへ思はれる。凡て世の中の物は変ずるといふ側から見れば、刹那々々に変じて已まない。併し変じないといふ側から見れば、万古不易である。此頃囚はれた、放たれたといふ語が流行するが、一体小説はかういふものをかういふ風に書くべきであるといふのは、ひどく囚はれた思想ではあるまいか。僕は僕の夜の思想を以て、小説といふものは何をどんな風に書いても好いものだといふ断案を下す。
|
太宰治 |
【黄村先生言行録】
そのニッポンの大サンショウウオの骨格が、欧羅巴(ヨーロッパ)で発見せられた化石とそっくりだという事が明白になってまいりましたので、知らぬ振りをしているわけにもゆかず、ここに日本の山椒魚が世界中の学者の重要な研究課目と相なりまして、いやしくも古代の動物に関心を持つほどの者は、ぜひとも一度ニッポンの大サンショウウオにお目にかからなければ話にならぬとまで言われるようになって、なんとも実に痛快無比、御同慶のいたりに堪えません。思っても見よ(また気取りはじめた)太古の動物が太古そのままの姿で、いまもなお悠然とこの日本の谷川に棲息(せいそく)し繁殖し、また静かにものを思いつつある様は、これぞまさしく神ながら、万古不易の豊葦原(とよあしはら)瑞穂国(みずほのくに)、かの高志(こし)の八岐(やまた)の遠呂智(おろち)、または稲羽(いなば)の兎の皮を剥(は)ぎし和邇(わに)なるもの、すべてこの山椒魚ではなかったかと(脱線、脱線)私は思惟(しい)つかまつるのでありますが、反対の意見をお持ちの学者もあるかも知れません。
|
福沢諭吉 |
【中津留別の書】
ただし親子の道は、生涯も死後も変るべきにあらざれば、子は孝行をつくし、親は慈愛を失うべからず。前にいえる棄てて顧みずとは、父子の間柄(あいだがら)にても、その独立自由を妨げざるの趣意のみ。西洋書の内に、子生れてすでに成人に及ぶの後は、父母たる者は子に忠告すべくして命令すべからずとあり。万古不易(ばんこふえき)の金言、思わざるべからず。
|
|