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繁文縟礼
はんぶんじょくれい |
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作家
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作品
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太宰治 |
【惜別】
大川は細流に汚されずとでもいうような自信を装って敗北を糊塗(こと)し、ひたすら老大国の表面の体裁のみを弥縫(びほう)するに急がしく、西洋文明の本質たる科学を正視し究明する勇気無く、学生には相も変らず八股文(はっこぶん)など所謂(いわゆる)繁文縟礼(はんぶんじょくれい)の学問を奨励して、列国には沐猴而冠(もっこうにしてかんす)の滑稽(こっけい)なる自尊の国とひそかに冷笑される状態に到らしめた。
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島崎藤村 |
【夜明け前 第一部上】
「とにかく、御通行はもっと簡略にしたい。」とまた半蔵は言った。「いずれこんな改革は道中奉行へ相談のあったことでしょう。街道がどういうことになって行くか、そこまではわたしにも言えませんがね。しかし上から見ても下から見ても、参覲交代のような儀式ばった御通行がそういつまで保存のできるものでもないでしょう。繁文縟礼(はんぶんじょくれい)を省こう、その費用をもっと有益な事に充(あ)てよう、なるべく人民の負担をも軽くしよう――それがこの改革の御趣意じゃありませんかね。」
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島崎藤村 |
【夜明け前 第二部上】
今さら、過ぐる長州征伐の結果をここに引き合いに出すまでもないが、あの征伐の一大失敗が徳川方を覚醒(かくせい)させ、封建諸制度の革新を促したことは争われなかった。いわゆる慶応の改革がそれで、二百年間の繁文縟礼(はんぶんじょくれい)が非常な勢いで廃止され、上下共に競って西洋簡易の風(ふう)に移ったのも皆その結果であった。
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折口信夫 |
【若水の話】
此風が何時までも残つてゐて、民間でも「おめでたう」は目下に言うたものではなかつたのである。「をゝ」と言つて、顎をしやくつて居れば済んだのだ。幾ら繁文縟礼の、生活改善のと叫んでも、口の下から崩れて来るのは、皆がやはりやめたくないからであらう。「おめでたう」の本義さへ訣らなくなるまで崩れて居ても、永いとだけでは言ひ切れぬ様な、久しい民間伝承なるが故に、容易にふり捨てる事は出来ないのである。 |
中里介山 |
【大菩薩峠 椰子林の巻】
「北条早雲という男も、なかなかの傑物であったに相違ない、赤手空拳でもって、関八州を横領し、うまく人心を収攬(しゅうらん)したのはなかなかの手腕家だ。当時、関八州は管領の所領であって、万事京都風で、小むずかしいことばかりであった、ちょうど今時はやりの繁文縟礼(はんぶんじょくれい)であったのだ、そこへ早雲が来て、この繁文縟礼の弊風を一掃してしまい、また苛税を免じて民力の休養をはかった、つまりこれで、うまく治めたのだ。徳川時代には、小田原附近から関八州へかけてが、全国中でいちばん地租の安いところであったが、これは全くの早雲の余沢(よたく)だ」
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