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平平凡凡/平々凡々
へいへいぼんぼん |
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作家
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作品
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正岡子規 |
【墨汁一滴】
いちご売る
とありしは「美女も」の誤につき正し置く、一字といへどもおろそかにはなしがたき故わざわざ申し送る云々とあり。これ碧梧桐調を摸する者と覚えたり。碧梧桐調は専売特許の如き者いち早くこれを摸して世に誇らんとするは不徳義といはんか不見識といはんか |
夏目漱石 |
【作物の批評】
劇の一段(シーン)がたった五六行で、始まるかと思うとすぐしまわねばならぬと思うのに、作者は大胆にも平気でいくらでも、こんな連鎖を設けている。無論マクベスの発端のように行数は短かくても、興味の上において全篇を貫く重みのあるものは論外であるが、平々凡々たるしかも十行内外の一段を設けるのは、話しの続きをあらわすためやむをえず挿入(そうにゅう)したのだと見え透(す)くように思われる。
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芥川龍之介 |
【馬の脚】
わたしは半三郎の家庭生活は平々凡々を極めていると言った。実際その通りに違いない。彼はただ常子と一しょに飯を食ったり、蓄音機(ちくおんき)をかけたり、活動写真を見に行ったり、――あらゆる北京中(ペキンじゅう)の会社員と変りのない生活を営(いとな)んでいる。しかし彼等の生活も運命の支配に漏(も)れる訣(わけ)には行(ゆ)かない。運命はある真昼の午後、この平々凡々たる家庭生活の単調を一撃のもとにうち砕(くだ)いた。三菱(みつびし)会社員忍野半三郎は脳溢血(のういっけつ)のために頓死(とんし)したのである。
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幸田露伴 |
【蒲生氏郷】
大きい者や強い者ばかりが必ずしも人の注意に値する訳では無い。小さい弱い平々凡々の者も中々の仕事をする。蚊の嘴(くちばし)といえば云うにも足らぬものだが、淀川両岸に多いアノフェレスという蚊の嘴は、其昔其川の傍の山崎村に棲(す)んで居た一夜庵(いちやあん)の宗鑑の膚(はだえ)を螫(さ)して、そして宗鑑に瘧(おこり)をわずらわせ、それより近衛(このえ)公をして、宗鑑が姿を見れば餓鬼つばた、の佳謔(かぎゃく)を発せしめ、随(しがた)って宗鑑に、飲まんとすれど夏の沢水、の妙句を附けさせ、俳諧(はいかい)連歌(れんが)の歴史の巻首を飾らせるに及んだ。
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林芙美子 |
【多摩川】
周次は、くみ子も落ちつく處へ落ちついたのかと吻つとする氣持ちだつた。一度は結婚のところまで寄り添つてゆきながら、どんな早瀬のかげんか、ふつと思ひもよらない遠くへはなればなれになつてしまつた二人である。――周次は、くみ子と別れ別れになつて、女も一人二人は知つたが、それは通りすがりの風のやうなもので、今に至るまで、平々凡々の生活だつたのだ。母と女中と自分の生活が、さう不自由なものでもなかつたし、新しい女中は、周次の生活にとつて、近景に花を添へたやうな感じをもたらせてくれた。
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寺田寅彦 |
【天文と俳句】
ところが正岡子規は句解大成といふ書に此句に對して引用された「須磨は暮れ明石の方はあかあかと日はつれなくも秋風ぞ吹く」といふ古歌があるからと云つて、芭蕉の句を剽竊であるに過ぎずと評し、一文の價値もなしと云ひ、又假りに剽竊でなく創意であつても猶平々凡々であり、「つれなくも」の一語は無用で此句のたるみであると云ひ、むしろ「あか/\と日の入る山の秋の風」とする方が或は可ならんかと云つて居る。
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宮本百合子 |
【心の河】
さよにとって悲しいことは、これ等の気持を、洗いざらい良人に打ち明けられないことであった。黙って、独りで何か解答を見出さなければならない。それも、二人でではなく、自分だけが何とか変化しなければならない――さよは、保夫が彼自身の平々凡々にはまるで気がつかないのを知っていた。また、彼女が何とか云ったところで、決して素直に十七八の青年のように自らを顧みて涙を落すような質でもないのを知っていた。
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坂口安吾 |
【二流の人】
小田原の北条氏は全関東の統領、東国随一の豪族だが、すでに早雲の遺風なく、君臣共にドングリの背くらべ、家門を知つて天下を知らぬ平々凡々たる旧家であつた。時代に就て見識が欠けてゐたから、秀吉から上洛をうながされても、成上り者の関白などは、と相手にしない。秀吉は又辛抱した。
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尾崎放哉 |
【入庵雑記】
「旧ぶし」と云ふのは、ウンと年とつたお婆さん連中が申す調子であります。「新ぶし」は中年増と云つたやうな処から、十六や十七位な別嬪さんが交つて申すふしであります。そのふし廻しを聞いて居りますと、旧ぶしは平々凡々、水の流るゝが如く、新ぶしの方は、丁度唱歌でもきいて居るやうで、抑揚あり、頓挫あり、中々に面白いものであります。
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知里幸恵 |
【日記】
アイヌなるが故に世に見下げられる。それでもよい。自分のウタリが見下げられるのに私ひとりぽつりと見あげられたって、それが何になる。多くのウタリと共に見さげられた方が嬉しいことなのだ。それに私は見上げらるべき何物をも持たぬ。平々凡々、あるひはそれ以下の人間ではないか。アイヌなるが故に見さげられる、それはちっともいとふべきことではない。 |
林芙美子 |
【濡れた葦】
廣太郎はふじ子と結婚して八年になる。子供が二人出來て、月給はやつと百貳拾圓になつた。八年の間、何の變哲もない、平々凡々な生活であつた。廣太郎へのひなんと云へば酒好きなところがふじ子には不平であつたが、一家を困らせるやうな飮みぶりは今までにあまりなかつた。 |
夢野久作 |
【近世快人伝】
ただ相も変らぬ芸無し猿、天才的な平凡児として持って生まれた天性を、あたり憚(はばか)らず発揮しつくしながら悠々たる好々爺(こうこうや)として、今日(こんにち)まで生き残って御座る。老幼賢愚の隔意なく胸襟(きょうきん)を開いて平々凡々に茶を啜(すす)り、談笑して御座る。そこが筆者の眼に古今無双の奇人兼、快人と見えたのだから仕方がない。
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中里介山 |
【大菩薩峠 Ocean の巻】
「しかし、この九十九里が飯岡(いいおか)の崎で尽きて、銚子の岬に至ると、また奇巌怪石の凡ならざるものがあります。それから先に、風濤(ふうとう)の険悪を以て聞えたる鹿島灘(かしまなだ)があります。ただ九十九里だけが平々凡々たる海岸の風景。長汀曲浦(ちょうていきょくほ)と言いたいが、曲浦の趣はなくて、ただ長汀長汀ですから、単調を極めたものです」
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岸田國士 |
【俳優教育について】
俳優学校の課程を踏まない名優がいくらもゐるといふこと、俳優学校の課程は踏んでも、在学中又は卒業時の成績があまり思はしくないために、何人の注意も惹かなかつたものが、それ以後に於て俄然頭角を現はし、一代の名声を博したものが可なりあるのに反して、優等卒業生が、実際の舞台では一向才能を認められず、平々凡々な生涯を送つた例が少くないといふことである。
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海野十三 |
【地球を狙う者】
轟博士は、僕の心のなかの動揺などにはいっこう無頓着に、「おい君。君は地震を研究するにしても、あまり加瀬谷の学説などを鵜のみにしていちゃとてもえらい学者になれんぞ。当の加瀬谷にしてもそうじゃ。昔からせっかくわしが注意をあたえているのに、その注意を用いないからして、いまだに平々凡々たる学者でいる」 轟博士は、いいたいことをずばりといって平気な顔をしている。師の悪口をいわれて、僕は内心おだやかではなかった。 「いまおっしゃいました加瀬谷先生へのご注意というのは、いったいどんなことですか」 |
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