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美辞麗句
びじれいく |
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作家
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作品
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太宰治 |
【鉄面皮
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くるしい時には、かならず実朝を思い出す様子であった。いのちあらば、あの実朝を書いてみたいと思っていた。私は生きのびて、ことし三十五になった。そろそろいい時分だ、なんて書くと甚(はなは)だ気障(きざ)な空漠たる美辞麗句みたいになってつまらないが、実朝を書きたいというのは、たしかに私の少年の頃からの念願であったようで、その日頃の願いが、いまどうやら叶(かな)いそうになって来たのだから、私もなかなか仕合せな男だ。
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宮本百合子 |
【市民の生活と科学】
エンボイにはどんな無電設備があったか、遭難後の状況で、その設備の有無が認め得たか得なかったか。美辞麗句の哀悼の詞より、死者を瞑せしめるのは、偽りないその点への科学的な追究の態度であったろうと思う。
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紫式部 |
【源氏物語 鈴虫】
講師が宮の御遁世(とんせい)を讃美(さんび)して、この世におけるすぐれた栄華をなお盛りの日にお捨てになり、永久の縁を仏にお結びになったということを、豊かな学才のある僧が美辞麗句をもって言い続けるのに感動して萎(しお)たれる人が多かった。今日のはただ御念誦堂(ごねんじゅどう)開きとしてお催しになった法会(ほうえ)であったが、宮中からも御寺(みてら)の法皇からもお使いがあって、御誦経の布施などが下されてにわかに派手(はで)なものになった。
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田中英光 |
【オリンポスの果実】
いつもなら、無邪気(むじゃき)に笑えたでしょう。が、あなたの上に、すぐ考えて、それが如何(いか)にも、女性を穢(けが)す、許されない悪巫山戯(わるふざけ)に、思えたのです。ぼくの番になったら、美辞麗句(れいく)を連ね、あなたに認められようと思っていたのに、恥(はず)かしがり屋のぼくは、口のなかで、もぐもぐ、姓(せい)と名前を言ったら、もうお終(しま)いでした。 あなたの番になると、あなたは、怖(お)じず臆(おく)せず明快に、「高飛びの熊本秋子です」と名乗って着席しました。ぼくには、その人怖じしない態度が好きだった。 |
佐藤垢石 |
【議会見物】
でも、昨年の一月の議会返り初日には、二十年前の満鉄事件のとき、顧みて恥なき徒、という名文句を吐いた平沼騏一郎が、総理大臣として施政演説をやるちうことであったから、貴族院の傍聴席を覗いて見た。ところが、平沼がひどく老けているのに驚いたのである。更に悲しく思ったのは、演説が美辞麗句に満ちていて、さっぱり内容のなかったことだ。失礼であるが、そのとき、これでは長持ちはしないという印象を受けたのである。
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原勝郎 |
【東山時代における一縉紳の生活】
彼は歌人であり、連歌師であるのみならずまた漢詩をもよくした。作者として抜群なのみでなく、『万葉』『古今』等の古典的歌集はもちろんのこと、そのほかに物語類、歴史類にもかなり通暁し、また漢籍の渉猟(しょうりょう)においても浅からざるものがあった。みだりに美辞麗句を連ぬるのみでなく、彼の思想の根柢には、浄土教より得たるところの遒麗と静寂とを兼ねたものがあった。慧信の『往生要集』、覚鑁の『孝養抄』、さては隆堯の『念仏奇特条々』等、念仏に関した書で彼が眼をさらした数も少なくはなかったが、甚深の感化を受けたのは、そのころ高徳の聖(ひじり)として朝野に深く渇仰された西教寺の真盛上人であった。
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