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人身御供
ひとみごくう |
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作家
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作品
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有島武郎 |
【或る女(後編)】
ひょっとすると貞世はもう死ぬ……それを葉子は直覚したように思った。目の前で世界が急に暗くなった。電灯の光も見えないほどに頭の中が暗い渦巻(うずま)きでいっぱいになった。えゝ、いっその事死んでくれ。この血祭りで倉地が自分にはっきりつながれてしまわないとだれがいえよう。人身御供(ひとみごくう)にしてしまおう。そう葉子は恐怖の絶頂にありながら妙にしんとした心持ちで思いめぐらした。そしてそこにぼんやりしたまま突っ立っていた。
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菊池寛 |
【忠直卿行状記】
そのために、彼は家中の高禄の士の娘を、後房へ連れて来させた。が、彼らも忠直卿のいうことを、殿の仰せとばかり、ただ不可抗力の命令のように、なんの反抗を示さずに忍従した。彼らは霊験あらたかな神の前に捧げられた人身御供のように、純な犠牲的な感情をもって忠直卿に対していた。忠直卿は、その女たちと相対していても、少しも淫蕩な心持にはなれなかった。
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久米正雄 |
【私の社交ダンス】
併し私は矢つ張り、女の人に相手を申し込む時、鳥渡でも厭(いや)な顔をされると、すつかり悄気(しよげ)て了ふのが常だつた。或時は、私が相手を申込むと、其の人が人身御供にでも上つたやうに、廻りの人が目交(めまぜ)で笑ひ合ふのを見た。そして一生其人たちとは、踊るまいと決心したが、併し又、他の知つてゐる人もない時は、節を屈して、と云ふよりは自分の芸道が到らぬのを嘆きながら、止むを得ず申込む外なかつた。それを又舞踏場で知り合つた、或る紳士に笑ひながら訴へると、其の紳士も云つた。
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泉鏡花 |
【みさごの鮨】
上前(うわまえ)の摺下(ずりさが)る……腰帯の弛(ゆる)んだのを、気にしいしい、片手でほつれ毛を掻きながら、少しあとへ退(さが)ってついて来る小春の姿は、道行(みちゆき)から遁(に)げたとよりは、山奥の人身御供(ひとみごくう)から助出(たすけだ)されたもののようであった。
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宮本百合子 |
【貧しき人々の群】
どんな木の実でも草の実でも、食べたい放題食べ、炎天で裸身(はだか)になっていようと、冬の最中に水をあびようと、くしゃみ一つしない人間が育って行くのである。病気になれば、医者にかけるより先ずおまじないをするので、腐った水をのまされたり、何だか分らない丸薬を呑まされたりして、親達の迷信の人身御供(ひとみごくう)に上るものは決してすくなくない。 |
折口信夫 |
【髯籠の話】
諸神殺戮の身代りとして殺した生物(イキモノ)を、当体の神の御覧に供へるといふ処に犠牲の本意があるのではなからうか、と此頃では考へてゐる。人身御供(ヒトミゴクウ)を以て字面其儘に、供物と解することは勿論、食人風俗の存在してゐた証拠にすることは、高木氏のやうな極端に右の風習の存在を否定する者でない我々も、早計だとは信じてゐる。
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坂口安吾 |
【明治開化 安吾捕物 その十三 幻の塔】
「ほう。言うたな。しかし、なア。大坪彦次郎死後に至って挨拶もなく婚約を取消して化け者にくれてやる平戸久作の心が解せぬわ。イヤ。久作の心は解せる。化け者の人身御供に美少女を所望した島田が憎い。のう。久作に罪はないぞ」「イエ。師も、先生も葉子を所望致されはせぬ」 |
佐左木俊郎 |
【猟奇の街】
彼女はまた、夫が彼らを罵倒していた言葉を思い出した。恥も人情も知らない資財の傀儡! そのとおりだと彼女は思った。自分の取引きのために、他人を人身御供(ひとみごくう)にするようなものではないか? そんなことを思って彼女は無理にも自動車を降りようかと考えた。
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岡本綺堂 |
【半七捕物帳 大阪屋花鳥】
「お慈悲に早く出牢が出来たので助かりましたが、あれが長くつづいたら、人身御供(ひとみごくう)にあがった二十五人の人たちは、みんな責め殺されてしまったかも知れません。鰻めし一杯ぐらい食べさせてくれたって、あんなひどい目に逢わされてたまるものですか」と、染之助はくやし涙にむせびながら云った。
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中里介山 |
【大菩薩峠 他生の巻】
しかし、きょうは、天気も申し分なく、近き将来の時間において、思い設けぬ天候の異変もこれあるまじく、たとえ、お角が乗合わせていたからとて、人身御供(ひとみごくう)に上げられる心配もまずありそうなことはなく――そうそうあられてはたまらない――それで江戸湾内を立ち出でる木更津船の形は、広重(ひろしげ)に描かせて版画にしておきたいほど、のどかなものです。
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国枝史郎 |
【剣侠】
思えば数奇の自分ではある! ……そう思われてならなかった。上尾街道で親の敵(かたき)と逢った。討って取ろうとしたところ、博労や博徒に誘拐(かどわか)された。そのあげくに馬飼の長の、人身御供に上げられようとした。と敵に助けられた。親の敵の陣十郎に! ……これだけでも何という、数奇的の事件であろう。しかもその上その親の敵に、親切丁寧にあつかわれ、同棲し旅へまで出た。夫婦ならぬ夫婦ぐらし! 数奇でなくて何であろう。 |
林不忘 |
【丹下左膳 乾雲坤竜の巻】
母の庇護(ひご)があればこそ、これまで化物屋敷に無事でいたお艶! その母の気が変わって、今後どうして栄三郎へ操(みさお)を立て通し得よう?人身御供(ひとみごくう)の白羽の矢……それはじつに目下のお艶のうえにあった。 が、源十郎よくおさよの乞いをいれて、左膳と乾雲丸(けんうんまる)とを引き離すであろうか。 |
佐々木味津三 |
【旗本退屈男 第八話 日光に現れた退屈男】
ところが、もうそのあくる日からちょくちょくと早速にあれをお始めでござるわい。それとても、いやはや、もう論外でな、きのうまでに丁度十一人じゃ」「と申すと?」 「人身御供(ひとみごくう)におシャブリ遊ばした女子(おなご)が都合十一人に及んだと申すのじゃ。娘が六人、人妻が三人、若後家が二人とな、いずれもみめよい者共をえりすぐって捕りあげたのは言うまでもないことじゃが、憎いはそれから先じゃ。 |
竹内勝太郎 |
【淡路人形座訪問 (其の現状と由來)】
人形の起源に就いて地元の古老は次のやうな興味の深い傳説を聞かせてくれた。淡路では最初人身御供として神の犧牲に人間を供へてゐたのを後代になつて、人の形を作つて人間に代へるやうになつた、これが人形の始まりである。處で人形操を演ずる場所を芝居と呼ぶのは、上古この人身御供代用の人形をけがれたものとして家の中へ入れることが許されなかつたので、戸外の芝の上に並べて賣つた、人形をひさぐ處即ち芝居であつて、これが轉じて人形操をなす場所をも芝居と云ふやうになつたのである。――元より無稽の臆説であるけれども、そこには充分考察すべき多くの暗示を含んで居る。
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田中貢太郎 |
【怪譚小説の話】
またその叢書の中の『幽怪録(ゆうかいろく)』には、岩見重太郎(いわみじゅうたろう)の緋狒退治(ひひたいじ)というような人身御供(ひとみごくう)の原話になっているものがある。それは唐(とう)の郭元振(かくげんしん)が、夜、旅をしていると、燈火の華やかな家があるので、泊めてもらおうと思って往くと、十七八の娘が一人泣きくずれている。聞いてみると、将軍と呼ばれている魔神の犠牲(いけにえ)にせられようとしていた。
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