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不易流行
ふえきりゅうこう |
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作家
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作品
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萩原朔太郎 |
【詩の原理】
然るに趣味(即ち芸術の題材)は、詩の本質的精神とは関係なく、時代によって常に流動変化するものである。即ちプロゼックなものは流行であって、本質に於けるものは不易である故、詩は永久にその精神を没落しない。芭蕉(ばしょう)はこの真理を言明するため、有名な「不易流行」の標語を作った。詩人は不易流行でなければいけない。(ついでながら言っておくが、近頃我が文壇で言われるマルクス的文学論が、芸術に於ける流行性と不易性とを、認識の蒙昧(もうまい)から錯覚している。芸術の不易性は個人主義で、流行だけが社会主義になるのである。)
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寺田寅彦 |
【俳諧の本質的概論】
この短詩形の中にはいかなるものが盛られるか。それはもちろん風雅の心をもって臨んだ七情万景であり、乾坤(けんこん)の変であるが、しかもそれは不易にして流行のただ中を得たものであり、虚実の境に出入し逍遙(しょうよう)するものであろうとするのが蕉門正風のねらいどころである。 不易流行や虚実の弁については古往今来諸家によって説き尽くされたことであって、今ここに敷衍(ふえん)すべき余地もないのであるが、要するにこれは俳諧には限らずあらゆるわが国の表現芸術に共通な指導原理であって、芸と学との間に分水嶺(ぶんすいれい)を画するものである。最も卑近な言葉をもって言い現わせば、恒久なる時空の世界をその具体的なる一断面を捕えて表現せよ、ということである。 |
寺田寅彦 |
【天文と俳句】
此のやうに、季題そのものを描寫した句が少なくて他の景物を配合したものゝ多いといふことは必しも天文の季題に限らないことであつて、例へば任意の句集を繙いて櫻とか雁とかの題下に並んだ澤山の句を點檢してもすぐに分かることである。此の事實は併し俳句といふものゝ根本義から考へて寧ろ當然なことと云はなければならない。芭蕉が説いたと云はるゝ不易流行の原理は實はあらゆる藝術に通ずるものであらうと思はれる。此れに就ては他日別項で詳説するつもりであるから茲では略するが、要するに俳句は抽象された不易の眞の言明だけではなくて具體的な流行の姿の一映像でなければならない。其れが爲めには一見偶然的な他物との配合を要する、しかも其配合物は偶然なやうであつても、其配合によつて其處に或必然な決定的の眞の相貌を描出しなければならないのである。 |
宮本百合子 |
【芭蕉について】
野ざらしをこゝろに風のしむ身かな秋十とせ却つて江戸をさす古郷 にはじまる「野ざらし紀行」以後の一貫した態度であることは十分頷ける。元禄七年五十一歳で生涯を終るまでの十年、芭蕉はきびしく生活と芸術の統一を護って、「七部集」ほか「更級紀行」「奥の細道」等、日本文学に極めて独自な美をもたらしたのであった。云ってみれば、芭蕉の芸術などというものは爾来二百五十有余年、その道の人々によって研究されつづけて来ているようなものである。芭蕉の美の原理としての「こころ」「不易流行」「さび・しおり・ほそみ」等は精密を極めた考証とともにしらべられて、それぞれの見解はその道の人々にとっての一大事とされている。私たちはそういう或る意味では煩瑣な芭蕉学から離れ、きょうのこの心のままで彼の芸術にふれてゆくのであるが、それなりに生々とした感銘をうけ、感覚に迫ったものをうけるのは、芭蕉の芸術にどういう力があればであろうか。 |
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