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不偏不党
ふへんふとう |
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作家
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作品
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夏目漱石 |
【京に着ける夕】
子規と来たときはかように寒くはなかった。子規はセル、余はフランネルの制服を着て得意に人通りの多い所を歩行(ある)いた事を記憶している。その時子規はどこからか夏蜜柑(なつみかん)を買うて来て、これを一つ食えと云って余に渡した。余は夏蜜柑(なつみかん)の皮を剥(む)いて、一房(ひとふさ)ごとに裂いては噛(か)み、裂いては噛んで、あてどもなくさまようていると、いつの間(ま)にやら幅一間ぐらいの小路(しょうじ)に出た。この小路の左右に並ぶ家には門並(かどなみ)方一尺ばかりの穴を戸にあけてある。そうしてその穴の中から、もしもしと云う声がする。始めは偶然だと思うていたが行くほどに、穴のあるほどに、申し合せたように、左右の穴からもしもしと云う。知らぬ顔をして行き過ぎると穴から手を出して捕(とら)まえそうに烈(はげ)しい呼び方をする。子規を顧(かえり)みて何だと聞くと妓楼(ぎろう)だと答えた。余は夏蜜柑を食いながら、目分量(めぶんりょう)で一間幅の道路を中央から等分して、その等分した線の上を、綱渡りをする気分で、不偏不党(ふへんふとう)に練(ね)って行った。穴から手を出して制服の尻でも捕まえられては容易ならんと思ったからである。子規は笑っていた。膝掛をとられて顫(ふる)えている今の余を見たら、子規はまた笑うであろう。しかし死んだものは笑いたくても、顫えているものは笑われたくても、相談にはならん。
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坂口安吾 |
【我が人生観 (三)私の役割】
芥川賞の委員会で、佐藤春夫さん、岸田国士さんの選者ぶりが、一番私にはおもしろい。お二人ともリリックな、その作品の幅は狭い方々だが、選者としての目が非常にひろいのが、好ましいのである。佐藤さんの弟子はたいがい先生に似ておらず、非常に雑多であるが、選者としての佐藤さんも、まことに不偏不党、目がひろい。岸田さんときては、いつの委員会でも、みんなうまい、実に小説が上手だ、どれといって、実に、こまった、と云って、常にことごとく感心して選ぶのに悩みぬいていらッしゃる。素質ある芸術家は、他人のどんな小さな素質にも感心するのが当然で、岸田さんの素質のすぐれていることを証しているのだろうと私は思う。 |
坂口安吾 |
【安吾巷談 巷談師退場】
政界、官界、財界などの裏面のカラクリというものは、巷談のタネではなくて、「真相」というバクロ雑誌などの対象だ。現在の日本のようなカラクリの多いところでは、大いにバクロ雑誌があった方がよろしい。「真相」は共産党に偏しているからいけないが、不偏不党、もっぱら中正を旨とするバクロ雑誌があってくれて、大いに暴れてくれると面白いのである。「真相」の記事は、政界、官界、財界などの裏面については、相当正確だということである。スパイとか情報網がはりめぐらされているのであろう。最もいい加減なのは文壇の記事で、私にはマチガイの元がわかっている。タネの出所が分るのである。つまり文壇などというとるにも足らぬところには、スパイの必要もないし、情報網の必要もない。開けッ放しで、秘密がないのだからである。だから、アベコベに記事がマチガイだらけだという結果になっている。つまりゴシップにすぎない。 |
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