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粉骨砕身
ふんこつさいしん |
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作家
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作品
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島崎藤村 |
【夜明け前 第一部上】
本馬(ほんま)六十三文、軽尻(からじり)四十文、人足四十二文、これは馬籠から隣宿美濃(みの)の落合(おちあい)までの駄賃(だちん)として、半蔵が毎日のように問屋場の前で聞く声である。将軍上洛(じょうらく)の日も近いと聞く新しい年の二月には、彼は京都行きの新撰組(しんせんぐみ)の一隊をこの街道に迎えた。一番隊から七番隊までの列をつくった人たちが雪の道を踏んで馬籠に着いた。いずれも江戸の方で浪士(ろうし)の募集に応じ、尽忠報国をまっこうに振りかざし、京都の市中を騒がす攘夷(じょうい)党の志士浪人に対抗して、幕府のために粉骨砕身しようという剣客ぞろいだ。一道の達人、諸国の脱藩者、それから無頼(ぶらい)な放浪者なぞから成る二百四十人からの群れの腕が馬籠の問屋場の前で鳴った。
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太宰治 |
【右大臣実朝】
老いの面目これに過ぎたるは無く、そのお優しくこまかい、おいたはりには、他人の私どもでさへ、涙ぐましい思ひが致しました程でございます。老齢と雖もさらに奮起一番して粉骨砕身いよいよ御忠勤をはげみ、余栄を御子孫に残すべきところでございましたのに、まことに生憎のもので、この御寵愛最も繁かりしその翌年、あの大騒動にて御一族全滅に相成りました。
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森田草平 |
【四十八人目】
なおまた討入って勝負のつかぬうちに御検使が出張になった場合、それに応ずる口上にいたるまで、すべて十二箇条にわたって残る隈(くま)なく討入の手筈(てはず)を定めた上、最後に退口のことを念頭に置いては、かえって心臆するかもしれない、しかし退いても一定助からぬ吾らの身である、申すに及ばぬ儀なれど、めいめい必死の覚悟にて粉骨砕身(ふんこつさいしん)すべきことと結んであった。これには二三質問も出た。が、入念な忠左衛門の説明に、一同満足して、異議なくそれを承認した。
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西田幾多郎 |
【愚禿親鸞】
同じく愛を主とした他力宗であっても、猶太(ユダヤ)教から出た基督(キリスト)教はなお、正義の観念が強く、いくらか罪を責むるという趣があるが、真宗はこれと違い絶対的愛、絶対的他力の宗教である。例の放蕩息子を迎えた父のように、いかなる愚人、いかなる罪人に対しても弥陀(みだ)はただ汝のために我は粉骨砕身せりといって、これを迎えられるのが真宗の本旨である。
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大杉栄 |
【獄中消息】
僕はこの数日間、ゴーリキーの『同志』をほとんど手から離す間もなく読んだ。足下も『新声』でその梗概を見たと思う。パベルのお母さんが、その子の入獄とともに、その老い行く身を革命運動の中に投じて、あるいは秘密文書の配付に、あるいは同志の破獄の助力に、粉骨砕身して奔走するあたり、僕は幾度か巻を掩うて感涙にむせんだ。『新声』のは短かくてよく分らんかも知れんが、もう一度読み返して御覧。そして彼が老いたるマザーにして、自らが若きワイフなることを考えて御覧。
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寺田寅彦 |
【空想日録】
これほど大きな仕事でなくても、もっと小さな科学者の小さなアルバイトについても、たとえば一人の教授がその弟子(でし)の労力の結果を利用して一つの小さな系統化を行ない、一つの小さな結論をまとめた場合に、その弟子が「自分の粉骨砕身の努力の結果を先生がそっくりさらって一人でうまい汁(しる)を吸った」と言って恨む場合や、また先生と弟子との間には了解が成立しているのに頼まれもせぬ傍観者がこれを問題にして陰で盛んにその先生を非難し弟子をたきつけるといったような場合は、西洋でも東洋でもしばしば見聞する現象である。
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夢野久作 |
【近世快人伝】
その後、天下の国士を以て任ずる玄洋社の連中は、普通の人民と同様に衣食のために駈廻らず、同時に五斗米に膝を屈しないために、自給自足の生活をすべく、豪傑知事安場保和(やすばやすかず)から福岡市の対岸に方(あた)る向い浜(今の西戸崎(とざき)附近)の松原の官林を貰って薪を作り、福岡地方に売却し始めた。奈良原到少年もむろん一行に参加して薪採(たきぎと)りの事業に参加して粉骨砕身していたが、その後、安場知事の人格を色々考えてみると、どうも玄洋社を尊敬していないようである。
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海野十三 |
【未来の地下戦車長】
ああ歴史的なその大感激の場面よ。その場にいあわせた者は、誰一人として、その日のことを永遠に忘れえないであろう。 「……岡部伍長は、只今より、あらためて粉骨砕身(ふんこつさいしん)、生命にかけて、皇軍のため、優秀なる地下戦車を作ることを誓います」
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国枝史郎 |
【加利福尼亜の宝島 (お伽冒険談)】
「何んでもないこと、説明しよう。我が国中古は封建時代と称し、各地に大名が割拠(かっきょ)していた。その大名には騎士(ナイト)と称する仁義兼備の若武者が、武芸を誇って仕えていた。その騎士は原則として、魑魅魍魎(ちみもうりょう)盗賊毒蛇、これらのものの横行する道路険難の諸国へ出て行き、良民のために粉骨砕身、その害物を除かねばならぬ。多くの悪魔を討ち取った者、これが最も勝れた騎士で、その勝れた騎士になろうと無数の騎士達は努力する。これがすなわち騎士道じゃ!」
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林不忘 |
【丹下左膳 日光の巻】
すると、何事かを決心したらしい作阿弥は、クルリと主水正へ膝を向け変えて、「御相談がござる。貴殿の手で、このチョビ安の父母をさがし出してやろうと約束してくだされば、この作阿弥、ただちに長屋を出て、御用にあいたつよう粉骨砕身(ふんこつさいしん)いたすでござろう」 と聞いた主水正は、横手(よこで)を打ち、 「ウム、つまり条件でござりますな。当方において、チョビ安の両親をたずねるとあらば、これよりただちに、いまわれわれの手において集めつつある工匠(たくみ)の一人として、日光へお出むきくださる……承知いたした。チョビ安どのの父母は、拙者が主となってかならずともに発見するでござろう」 |
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