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一朝一夕
いっちょういっせき |
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作家
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作品
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夏目漱石 |
【坊っちゃん】
「いろいろの事情た、どんな事情です」「それが少し込み入ってるんだが、まあだんだん分りますよ。僕(ぼく)が話さないでも自然と分って来るです、ね吉川君」 「ええなかなか込み入ってますからね。一朝一夕にゃ到底分りません。しかしだんだん分ります、僕が話さないでも自然と分って来るです」と野だは赤シャツと同じような事を云う。 「そんな面倒(めんどう)な事情なら聞かなくてもいいんですが、あなたの方から話し出したから伺(うかが)うんです」 |
森鴎外 |
【雁】
末造は気に食わぬ事をも笑談のようにして荒立てずに済ます流義なのに、むしゃぶり附くのを振り放す、女房が倒れると云う不体裁を女中に見られた事もある。そんな時に末造がおとなしく留められて内にいて、さあ、用事を聞こうと云うと、「あなたわたしをどうしてくれる気なの」とか、「こうしていて、わたしの行末はどうなるでしょう」とか、なかなか一朝一夕に解決の出来ぬ難問題を提出する。要するに末造が女房の病気に試みた早出(はやで)遅帰(おそがえり)の対症療法は全く功を奏せなかったのである。
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森鴎外 |
【青年】
譬(たと)えば長い間集めた物を、一々心覚えをして箱に入れて置いたのを、人に上を下へと掻(か)き交ぜられたような物である。それを元の通りにするのはむずかしい。いや、元の通りにしようなんぞとは思わない。元の通りでなく、どうにか整頓しようと思う。そしてそれが出来ないのである。出来ないのは無理もない。そんな整頓は固(もと)より一朝一夕に出来る筈の整頓ではないのである。純一の耳には拊石の詞が遠い遠い物音のように、意味のない雑音になって聞えている。純一はこの雑音を聞いているうちに、ふと聴衆の動揺を感じて、殆ど無意識に耳を欹(そばだ)てると、丁度拊石がこう云っていた。 |
島崎藤村 |
【夜明け前 第一部下】
とにもかくにも京都の現状を維持しつつあるのは慶喜の熱心と忍耐とで、朝廷とてもその誠意は認められ、加うるに会津のような勢力があって終始その後ろ楯(だて)となっている。どうかすると慶喜の声望は将軍家茂をしのぐものがある。これは江戸幕府から言って煙(けむ)たい存在にはちがいない。慶喜排斥の声は一朝一夕に起こって来たことでもないのだ。はたして、幕府方の反目は水戸浪士の処分にもその隠れた鋒先(ほこさき)をあらわした。
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島崎藤村 |
【千曲川のスケッチ】
何んと云っても徳川時代に俳諧や浄瑠璃(じょうるり)の作者があらわれて縦横に平談俗語を駆使し、言葉の世界に新しい光を投げ入れたこと。それからあの国学者が万葉、古事記などを探求して、それまで暗いところにあった古い言葉の世界を今一度明るみへ持ち出したこと。この二つの大きな仕事と共に、明治年代に入って言文一致の創設とその発達に力を添えた人々の骨折と云うものは、文学の根柢(こんてい)に横たわる基礎工事であったと私には思われる。わたしがこんなスケッチをつくるかたわら、言文一致の研究をこころざすようになったのも、一朝一夕に思い立ったことではなかった。
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高山樗牛 |
【瀧口入道】
先には横笛、深草の里に哀れをとゞめ、今は小松殿、盛年の御身に世をかへ給ふ。彼を思ひ是を思ふに、身一つに降(ふ)りかゝる憂(う)き事の露しげき今日(けふ)此ごろ、瀧口三衣(え)の袖を絞りかね、法體(ほつたい)の今更(いまさら)遣瀬(やるせ)なきぞいぢらしき。實(げ)にや縁に從つて一念頓(とみ)に事理(じり)を悟れども、曠劫(くわうごふ)の習氣(しふき)は一朝一夕に淨(きよ)むるに由なし。變相殊體(へんさうしゆたい)に身を苦しめて、有無流轉(うむるてん)と觀(くわん)じても、猶ほ此世の悲哀に離(はな)れ得ざるぞ是非もなき。
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石川啄木 |
【雲は天才である】
稚ない時から不具な爲めに受けて來た恥辱が、抑ゆべからざる復讐心を起させて居たので、この夜逃も詰りは其爲めである。又同じ理由に依つて、上京後は勞働と勉學の傍ら熱心に柔道を學んだ。今ではこれでも加納流の初段である。然し其頃の悲慘なる境遇は兎ても一朝一夕に語りつくす事が出來ない、餓ゑて泣いて、國へ歸らうにも旅費がなく、翌年の二月、さる人に救はれる迄は定まれる宿とてもなかつた位。十六歳にして或る私立の中學校に這入つた。
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福沢諭吉 |
【新女大学】
時事新報の紙上に順次掲載しつゝある福沢先生の女大学評論は、昨日にて既に第五回に及びたり。先生が此論を起草せられたる由来は、序文にも記したる如く一朝一夕の思い付きに非(あら)ず、恰(あたか)も先天の思想より発したるものなれども、昨年に至り遽に筆を執て世に公にすることに決したるは自から謂われなきに非ず。
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紫式部 |
【源氏物語 真木柱】
住居(すまい)なども始終だらしなくなっていて、きれいなことは何一つ残っていない家にいる夫人を、玉鬘の六条院にいるのとは比べようもないのであるが、青年時代から持ち続けた大将の愛は根を張っていて、一朝一夕に変わるものでも、変えられるものでもないから、今も心では非常に妻を哀れに思っていた。
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北村透谷 |
【国民と思想】
国民の元気は一朝一夕に於て転移すべきものにあらず。其の源泉は隠れて深山幽谷の中に有り、之を索(もと)むれば更に深く地層の下にあり、砥(と)の如き山、之を穿(うが)つ可からず、安(いづ)くんぞ国民の元気を攫取(くわくしゆ)して之を転移することを得んや。
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宮本百合子 |
【藤村の文学にうつる自然】
芭蕉の芸術はその文学的教養の面から、自然に没入する過去の日本芸術の伝統を藤村に植えた。加えて内部には、幼くて故郷から引はなされた者の感情に常に消えない虹となってかかっているふるさとの自然への魅力が潜み、更にそれがヨーロッパ文学の積極的な文学表現によって刺戟され、培われたのである。藤村が、芸術の源泉・秘密の源が「広大で無尽蔵な自然の間にあることは云うまでもない」と「春を待ちつゝ」の中で云っているのは、決して一朝一夕の思いつきではないのである。
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桑原隲藏 |
【東洋人の発明】
東洋人の發明で、世界の文化に影響したものがあることは事實でありますが、西洋の發明と比較して、何方がより多く世界の文化に貢獻したかと云ふことは、六ヶ敷い問題で、到底一朝一夕に解決し難い。私は唯東洋人の發明の中で、世界の文化に幾分貢獻したと思はれるもの二三を、極く簡單に紹介したいと思ふ。
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田中正造 |
【土地兼併の罪悪】
誠に社會の爲に御盡しになる所の諸君に斯の如き一箇所に於て御目に懸れると云ふことは、私に取りましては、如何にも有難いことに存じます、幸ひ御目に懸りましたから少々宛申上げやうと考へますが、諸君が御承知の如く今日の世の中は一朝一夕の席上の御話で盡せると云ふことは素より爲せぬでございますけれども、少々宛なりとも申上げて、さうして己の知つて居る所丈けの一局部の御話でも之を申上げまして皆樣の御救ひを頂き、且又御參考に供します。
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淡島寒月 |
【寺内の奇人団】
処で例の新門辰五郎(しんもんたつごろう)が、見世物をするならおれの処に渡りをつけろ、といって来た事がありました。しかし父は変人ですし、それに水戸の藩から出た武士気質(かたぎ)は、なかなか一朝一夕にぬけないで、新門のいう話なぞはまるで初めから取合わず、この興行の仕舞まで渡りをつけないで、別派の見世物として取扱われていたのでした。
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徳冨蘆花 |
【謀叛論(草稿)】
いわゆる(二字不明)多(おおし)で、新思想を導いた蘭学者(らんがくしゃ)にせよ、局面打破を事とした勤王(きんのう)攘夷(じょうい)の処士にせよ、時の権力からいえば謀叛人であった。彼らが千荊万棘(せんけいばんきょく)を蹈(ふま)えた艱難辛苦――中々一朝一夕(いっちょういっせき)に説き尽せるものではない。明治の今日に生を享(う)くる我らは維新の志士の苦心を十分に酌(く)まねばならぬ。
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寺田寅彦 |
【物質とエネルギー】
このような観念の結合連鎖によって組み立てた力学物理学は吾人にとって非常に便宜なものであるが、しかしまたこの建設物が唯一な必然なものだとは信じられない。現在と全く異なった一つの力学系統を構成する事は不可能ではあるまい。現在の系統は一朝一夕に発達したものではなく、ガリレー以来漸(ぜん)を追うて発達して来たもので、種々な観念もだんだんに変遷し拡張されて来たものである。従って将来はまたどのような変化をし、またどのような新しい観念が採用されるようになるか、今日これを予言する事は困難である。
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内田魯庵 |
【家庭の読書室】
処で此読書の習慣は一朝一夕に作れるものでは無い、書物を読むと頭痛がするの肩が張るのといふ人間にイクラ読書を勧めた処で読書するものでは無い。どうしても児童の時から、早くから読書する習慣を作らねばならぬ。先づ此読書に対する家庭の考から一変して掛らねばならぬのだ。児童が、お伽ばなしばかり読んでると心配するやうな事ではイカン、知識慾の盛んなる児童が学校の教師に授けられた知識だけに満足するやうな事ではならぬ。
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折口信夫 |
【髯籠の話】
まづ形代に就て、かねて考へてゐた所を言へば、一体人間の形代たる撫物(ナデモノ)は、すぐさま川なり、辻なりに棄つべき筈なるに、保存して置いて魔除(マヨ)け・厄除(ヤクヨ)けに用ゐるといふのは、一円合点の行かぬ話であるが、此には一朝一夕ならぬ思想流転の痕が認められるのである。神の形代に降魔の力あるは勿論であるが、転じては人の形代にも此神通力を附与するに至つた。
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夢野久作 |
【謡曲黒白談】
ここに到って並大抵の天狗(てんぐ)様ならば一遍にギャフンと参いって、それなり生唾を飲み込んで我慢するところであるが、併(しか)し慢性の超弩級大天狗になるとこれ位の逆撃は然(さ)して痛痒(つうよう)を感じない。却(かえっ)てこれを怪(け)しからぬという面(おも)もちで、直ちに第三発の十六吋(インチ)を撃ち出す。「ハハア。それはそうでしょう、まだ妙味を御存じないから。あの声というものは一朝一夕で出る声ではありません。他の音曲では浮いた声があっても差し支えありませぬが、謡曲では決してそんな声を用いる事を許しません。 |
岸田國士 |
【新劇運動の二つの道】
新劇協会は寧ろ、今、此の方面で、その努力を識者から認められようとしてゐる。勿論、私なども、その当事者の一人として、此の劇団を本質的な演劇革新運動の先頭に立たせたい意気込はもつてゐるのであるが、その運動たるや、一朝一夕にして効果を挙げることは困難である。何となれば、毎に云ふ如く、その仕事は、先づ俳優の根本的訓練から始めなければならず、しかも、その訓練に適し、その訓練に堪え得る俳優志望者を得ることは、現在容易でないからである。 |
幸田露伴 |
【ねじくり博士】
サア話しが段々煮えて来た、ここへ香料(やくみ)を落して一ト花さかせる所だ。マア聞玉え、ナニ聞ていると、ソウカよしよし。ここで万物死生の大論を担ぎ出さなけりゃならないが、実は新聞なんぞにかけるような小さな話しではなし一朝一夕の座談に尽る事ではないから、少しチョッピリにしておくよ。一体死とはなんだ、僕は世界に死というような愚を極めた言語があるのが癪(しゃく)にさわる。馬鹿馬鹿しい死の定義を立てて断言することの出来る豪傑があるか。
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坂口安吾 |
【我が人生観 (五)国宝焼亡結構論】
つまり、美に対する嫉妬、ある階級への反感、というようなことは、その一つを執りあげて言葉の真実を主張するには、微妙にすぎるものである。思考の老練家が、自分の観念を分析した場合でも、このような結論を真実なものと断定して提出することは、一朝一夕の推考ではできがたい。
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北村透谷 |
【他界に対する観念】
禅学は北条氏以後の思想を支配し、儒学は徳川氏以後の思想を支配したる事は史家の承諾する事実なるが、この二者も亦た他界に対する観念の大敵なり、禅は心を法として想像を閉ぢ、儒は実際的思想を尊んで他界の美醜を想せず、この二者の日本文学に於ける関係は一朝一夕に論ずべきものにあらずと雖、その他界に対する観念に不利なりし事は明瞭なる事実なり。
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田畑修一郎 |
【医師高間房一氏】
こゝの当主はもう七十近い老人だが、まだ郡制のあつた先年まで郡の医師会長だつた人で、この地方での一二と云はれる有力者でもあつた。それに相当な地主だ。その政治上の勢力や小作人関係などからきてゐる彼の家と患者との関係は一朝一夕になつたものではない。今では老医師の正文は半ば隠居役で、息子の練吉といふ若医師が診察の方はひきうけてゐるのだが、中には「老先生の患者」といふ者もある位だ。
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中里介山 |
【大菩薩峠 みちりやの巻】
「そんなことが、有り得べきことでない、有り得べからざることだ」と山の通人は、躍起となって叫び出すと、北原賢次は冷然として、 「有り得べきことか、有り得べからざることか、現在この拙者が、その老人の冒険を、実際に見聞しているのだから仕方がない。といっても、それだけの鍛練が、一朝一夕で出来るわけではありません、本来虚弱な藤江老人が、どうしてそれだけの胆力を養い得たかということをお話ししましょう。それというのも、あなたが、神主は高山に登らない、神主は高山で修行をしないとおっしゃったから、その証明として申し上げるまでですよ」 |
相馬愛蔵 |
【私の小売商道】
私の方では、材料以外は問屋からとらないことにしている。これは問屋からとって売る製品は安心してお客にお勧め出来ないからである。いくら「見てくれ」はよくても、美事でも、材料を一々吟味しているかどうかは、そう一朝一夕に分るものではない。自信のあるものを売らなければ店の信用を維持出来ないのだから、自家製品のみを売るのはけだし当を得た策と思っている。これについて、一つ話がある。 |
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