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一長一短
いっちょういったん |
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作家
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作品
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太宰治 |
【新釈諸国噺】
「こうして、てくてく歩いているのも気のきかない話じゃないか。」蛸は駕籠に乗って峠を越したかったのである。「やっぱり、馬のほうがいいでしょうか。」勝太郎には、どっちだってかまわない。 「なに、馬?」馬は閉口だ。とんでもない。「馬も悪くはないが、しかし、まあ一長一短というところだろうな。」あいまいに誤魔化(ごまか)した。 「本当に、」と勝太郎は素直に首肯(うなず)いて、「人間も鳥のように空を飛ぶ事が出来たらいいと思う事がありますね。」 |
太宰治 |
【律子と貞子】
「結婚のほうは、自信無しか。極度の近視眼は結婚のほうにも差支えるか。」「まさか。」三浦君は苦笑して、次のような羨やむべき艶聞(えんぶん)を語った。艶聞というものは、語るほうは楽しそうだが、聞くほうは、それほど楽しくないものである。私も我慢して聞いたのだから、読者も、しばらく我慢して聞いてやって下さい。 どっちにしたらいいか、迷っているというのである。姉と妹、一長一短で、どうも決心がつきません、というのだから贅沢(ぜいたく)な話だ。聞きたくもない話である。 |
太宰治 |
【お伽草紙】
瘤は孤独のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなつた頬が朝風に撫でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけが得(とく)、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて来たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。
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正岡子規 |
【墨汁一滴】
不折君と為山氏は同じ小山門下の人で互に相識る仲なるが、いづれも一家の見識を具(そな)へ立派なる腕を持ちたる事とて、自(おのずか)ら競争者の地位にあるが如く思はる。よし当人は競争するつもりに非(あらざ)るも傍にある余ら常に両者を比較して評する傾向あり。しかも二人の画も性質も挙動も容貌も一々正反対を示したるは殊に比較上興味を感ずる所以(ゆえん)なり。二人の優劣は固より容易に言ふべからざるも互に一長一短ありて甲越(こうえつ)対陣的の好敵手たるは疑ふべきにあらず。
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宮本百合子 |
【日本髷か束髪か】
1、日本髪も束髪も実際的な立場から批評したら、共に一長一短をもっていると思います。出来上りの形、方法こそ異っても、おしゃれをする女性の心持は東西同じで手間をかけたら両方結局同じものでしょう、但し個性的であるだけ洋風が優っています。2、自分は人手をからず好な形に又簡単に結べる束髪のみにしています。 〔一九二三年四月〕 |
岸田國士 |
【俳優の素質】
声と同様、柄も亦、ある程度まで、これを征服し得るものである。否、寧ろ、この征服によつて、最もオリヂナルな演出を見うるのである。記憶力は、ここでは、云ふまでもなく、台詞を記憶する力の大小である。 早く覚えるが、興行を終へると、間もなく忘れてしまふ記憶力、最初はなかなか覚えないが、一度覚えたら、二年や三年は忘れないといふ記憶力、何れも一長一短であるが、長くかかつて覚え、忘れるのには暇がかからないのや、いつまでたつても覚えず、従つて、忘れる必要もないといふ徹底したのに至つては、さすがに始末が悪い。 |
桑原隲藏 |
【司馬遷の生年に関する一新説】
以上論述した所を要約すると、張惟驤の主張は牽強附會に過ぎて、勿論信憑し難い。王國維の中元五年説と私の建元六年説とは、一長一短ではあるが、その長短を對比計量して、建元六年説の方が、より無難かと思ふ。私が司馬遷の生年を建元六年と主張する所以は實に茲に在る。(昭和四年八月九日稿・『史學研究』第一卷第一號所載) |
坂口安吾 |
【石の思ひ】
私が今日人を一目で判断して好悪を決し、信用不信用を決するには、たゞこの悲しみの所在によつて行ふので、これは甚だ危険千万な方法で、そのために人を見間違ふことは多々あるのだが、どうせ一長一短は人の習ひで、完全といふものはないのだから、標準などはどこへ置いてもどうせたかゞ標準にすぎないではないか。
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中里介山 |
【大菩薩峠 京の夢おう坂の夢の巻】
「小栗は勝を好まず、勝は小栗に服しない、小栗は保守で、勝は進取――性格と主義がまるっきり違っている」「そいつは困る、せっかく、なけなしの人材が二人ともに背中合せでは、さし引きマイナスになってしまう」 「悪い時には悪いもので、困ったものさ」 「で、小栗と、勝と、どっちが上だ、器量の恵まれた方に勢力を統制させずば、大事は托し難かろう」 「さあ、器量という点になってみると、我等には何とも言えない――おのおの、一長一短があってな」 「小栗はだいたい心得ているよ、あれは家柄がいい、ああいう家に生れた奴に、性質の悪い奴はないが、勝というのはいったい何だい、よく勝麟勝麟の名を聞くが、そんな名前は我々には何とも響かん――どんな家に生れた、どんな男なのだい」 |
岡本綺堂 |
【綺堂むかし語り】
「郊外と市内と、どちらが好(よ)うございます。」私はたびたびこう訊かれることがある。それに対して、どちらも同じことですねと私は答えている。郊外生活と市内生活と、所詮(しょせん)は一長一短で、公平に云えば、どちらも住みにくいと云うのほかはない。その住みにくいのを忍ぶとすれば、郊外か市内か、おのおのその好むところに従えばよいのである。 |
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