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一言一行
いちげんいっこう |
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作家
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作品
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芥川龍之介 |
【西方の人】
赤あかと実のつた柿の木の下に長崎の入江も見えてゐるのである。従つてわたしは歴史的事実や地理的事実を顧みないであらう。(それは少くともジヤアナリステイツクには困難を避ける為ではない。若し真面目に構へようとすれば、五六冊のクリスト伝は容易にこの役をはたしてくれるのである。)それからクリストの一言一行を忠実に挙げてゐる余裕もない。わたしは唯わたしの感じた通りに「わたしのクリスト」を記すのである。厳(いかめ)しい日本のクリスト教徒も売文の徒の書いたクリストだけは恐らくは大目に見てくれるであらう。
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芥川龍之介 |
【恒藤恭氏】
恒藤は又謹厳の士なり。酒色を好まず、出たらめを云わず、身を処するに清白なる事、僕などとは雲泥の差なり。同室同級の藤岡蔵六も、やはり謹厳の士なりしが、これは謹厳すぎる憾なきにあらず。「待合のフンクティオネンは何だね?」などと屡僕を困らせしものはこの藤岡蔵六なり。藤岡にはコオエンの学説よりも、待合の方が難解なりしならん。恒藤はそんな事を知らざるに非ず。知って而して謹厳なりしが如し。しかもその謹厳なる事は一言一行の末にも及びたりき。例えば恒藤は寮雨をせず。寮雨とは夜間寄宿舎の窓より、勝手に小便を垂れ流す事なり。
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島崎藤村 |
【嵐】
「とうさんだって、まだ仙人には早いよ。」「しかしお餞別(せんべつ)と思えばありがたい。きょうは番町でいろいろな話が出たよ。ヴィルドラックという人の持って来たマチスの画(え)の話も出たよ。きょうの話はみんなよかった。それから先生の奥さんも、御飯を一緒に食べて行けと言ってしきりに勧めてくだすったが、僕は帰って来た。」 先輩の一言一行も忘れられないかのように、次郎はそれを私に語ってみせた。 |
下村湖人 |
【次郎物語 第三部】
はた目にはいかにもあれ、彼が白鳥会の一員となってからの内面的闘争には、涙ぐましいものがあった。「円を描いて円を消す」――「白鳥芦花に入る」「無計画の計画」――「誠」――そうした言葉は、会の集まりの席ではむろんのこと、家庭でも、学校でも、そのほかどんは場所ででも、彼の心を往復した。彼の一言一行は、そうした言葉のどれかを思い起すことによって、用心ぶかく選まれ、そして省みられたといっても、言いすぎではなかったのである。
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佐藤紅緑 |
【ああ玉杯に花うけて】
おもうに離合集散(りごうしゅうさん)は人生のつね、あえて悲しむに足らざることであります、ただ、諸君にして私を思う心あるなら、その美しき友情をつぎにきたるべき校長にささげてくれたまえ、諸君の一言一行にしてもし道をあやまるようなことがあれば、前校長の久保井は無能者であるとわらわれるだろう、諸君の健全なる、剛毅果敢(ごうきかかん)なる、正義にあつく友情に富める、この気風を失わざればそれはやがて久保井克巳の名誉である、
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水上瀧太郎 |
【貝殼追放 新聞記者を憎むの記】
歐洲の近状如何などといふ取とめも無い大きな質問をされては堪らないと思つた。然し自分が給仕(ボオイ)に斷るやうに頼まうと思つた時は、既に二人の新聞記者が船室の戸口から無遠慮に室内を覗き込んでゐた。二人とも膝の拔けた紺の背廣を着て、一言一行極端に粗野な紳士であつた。勿論吾々の樂しき談笑は、此の二人の侵入者の爲に中斷されてしまつた。彼等は是非話を承り度いと、殆ど乞食の如く自分の前後に立ふさがる。
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夢野久作 |
【近世快人伝】
湊屋仁三郎の逸話は、この程度のものならまだまだ無限に在る。仁三郎の一生涯を通ずる日常茶飯が皆、是々的(このて)で、一言一行、一挙手一投足、悉(ことごと)く人間味に徹底し、世間味を突抜けている。哲学に迷い、イデオロギイに中毒して、神経衰弱を生命(いのち)の綱にしている現代の青年が、百年考えても実践出来ない人生の千山万岳をサッサと踏破り、飄々乎(ひょうひょうこ)として徹底して行くのだから手が附けられない。
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