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一言半句
いちごんはんく いちげんはんく |
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作家
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作品
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夏目漱石 |
【吾輩は猫である】
「御前がどこの馬の骨だか分らんものの言う事を |
有島武郎 |
【或る女(後編)】
東京に帰ってから |
幸田露伴 |
【五重塔】
普通(なみ)大体(たいてい)のものならば我が庇蔭被(かげき)たる身をもつて一つ仕事に手を入るゝか、打擲いても飽かぬ奴と、怒つて怒つて何にも為べきを、可愛きものにおもへばこそ一言半句の厭味も云はず、唯自然の成行に任せ置きしを忘れし歟、上人様の御諭しを受けての後も分別に分別渇らしてわざ/\出掛け、汝のために相談をかけてやりしも勝手の意地張り、
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徳冨蘆花 |
【小説 不如帰】
相場に手を出せば失敗を重ね、高利を借りれば恥をかき、 |
太宰治 |
【虚構の春】
けれども私は、労働者と農民とが私たちに向けて示す憎悪と反撥とを、いささかも |
菊池寛 |
【真珠夫人】
「貴君は、今青木さんの |
三遊亭圓朝 |
【後の業平文治】
奉「ふうむ、文「恐れながら 奉「うむ、同心、源太郎を引け」 |
土井晩翠 |
【野口英世博士の生家を訪ひて (野口記念館の設立を希望す)】
招聘されてアメリカから渡つた野口は、同會で三大講演をやつた、そして全歐の學界に鳴りひびいてゐるフオン・ミユーラー(同會々長)に深大の敬禮を拂はれた。講演終了の後、野口と一言半句でも交はしたいと押し寄せてくる崇拜者の洪水に對して水門を加減するのは非常の骨折で又非常の喜びであり誇りであつたと東京帝大の眞鍋嘉一郎教授が當時の思ひ出を書いたのを今に記憶する。
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穂積陳重 |
【法窓夜話】
聴講の学生は千をもって数え、満堂立錐(りっすい)の地なく、崇仰の感に打たれたる学生は、滔々として説き来り説き去る師の講演を、片言隻語も漏らさじと、筆を飛ばしておった。この時聴衆の中に一人の年若き学生がいた。手を拱(こまね)き、頭を垂れ、眼を閉じて睡(ねむ)れるが如く、遂にこの名講義の一言半句をも筆記せずして講堂を辞し去った。
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小出楢重 |
【大切な雰囲気】
もう、何もかもが変ったので、一寸、あきれてしまって、一言も、一言半句も、手紙にもかけなくなってしまった。
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小熊秀雄 |
【小熊秀雄全集-19- 美術論・画論】
それと日本画は日本画の内部に於て、幾多の矛盾と、反撥との問題を抱含してゐるから、それぞれの制作上の制約性を、肯定してかゝらなければ、一言半句も批判めいたことを言へないのである。
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坂口安吾 |
【風と光と二十の私と】
自分自身が教室をほったらかして、有力者の縁談などで東奔西走しているから、教育という仕事に就ては誰に向っても一言半句も言うことができないので、私は音楽とソロバンができないから、そういうものをぬきにして勝手な時間表をつくっても文句はいわず、ただ稀れに、有力者の子供を大事にしてくれということだけ、ほのめかした。
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折口信夫 |
【叙景詩の発生】
晋書張文成の列伝に、朝鮮・日本の旅客が、張文成の門に到つて、片紙でも貰ひ受けようとする者の多い事を記して居る。今まで、一言半句も、文章を生む苦しみを経験せない、永い祖先以来の生活の後、俄(には)かに漢文学を模倣して書くだけの能力は、社会的にまだ熟しても居ない。
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海野十三 |
【爆薬の花籠】
曾呂利は、まるでなにか怪物につかれた人のようにぶつぶつと口の中でひとりごとをいった。しかし房枝は、その一言半句(いちげんはんく)も聞きのがさなかった。
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中里介山 |
【大菩薩峠 慢心和尚の巻】
勿論(もちろん)、これは深更のことであり、また秘密の行いでありますから、極めて物静かに行われたのであります。外から来た亡者はもとより口を利(き)かず、中にいた踏台もまた一言半句を言わないで、あちらを向いて従容(しょうよう)として踏台の役目を果してしまったのであります。
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小栗虫太郎 |
【黒死館殺人事件】
「それが奇怪な事には、旗太郎様以外に、四人の帰化入籍をされた方々が加わっております。しかし、人員はその五人だけですが、その内容となると、知ってか知らずか、誰しも一言半句さえ洩らそうとはせんのです」
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佐々木味津三 |
【旗本退屈男 第十一話 千代田城へ乗り込んだ退屈男】
主水之介は、はッとなりました。おそらく首にして連れいとの御内命があったに相違ない。あったればこそ、生かして連れて来たことがお叱りの種にもなったのです。この雲行から察すると、治右の手がすでに将軍家にまでも伸びているのは言うまでもないこと、一言半句の失言があっても、御気色(みけしき)は愈々険悪(けんあく)、恐るべき御上意の下るのは知れ切ったことでした。
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宮本百合子 |
【一つの芽生】
一日の激務に疲れて帰った父を苦しめまいため、日夜の看病で少し痩せたようにみえる母を悩ませまいため、父母の互の不安と恐怖とは、皆私をクッションとして交換された。そして、いよいよ自分のうちに明確な輪郭を調え、拡がりを増して来た「あれ」に就ては、その |
松本泰 |
【日蔭の街】
若い方の男は紙片に何やら認めて、廊下に立っている案内人に手渡していた。それからの二人の言葉は一言半句も聞取る事は出来なかった。然しながら察するところ、二人はある婦人に対して異った主張を固守しているらしかった。
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田中貢太郎 |
【愛卿伝】
趙家の人となった愛卿は、身のとりまわしから言葉の端に至るまで、注意に注意を払い、気骨の折れる豪家の家事を |
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