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衣錦還郷
いきんかんきょう |
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作家
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作品
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太宰治 |
【善蔵を思う】
出席、と返事してしまってから、私は、日ましに不安になった。それは、「出世」という想念に就(つ)いてであった。故郷の新聞社から、郷土出身の芸術家として、招待を受けるということは、これは、衣錦還郷(いきんかんきょう)の一種なのではあるまいか。ずいぶん、名誉なことなのでは無いか。名士、というわけのことになるのかも知れぬ、と思えば卒然、狼狽せずには居られなかったのである。
ふるさとを、私をあんなに嘲ったふるさとを、私は捨て切れないで居るのである。病気がなおって、四年このかた、私の思いは一つであって、いよいよ熾烈(しれつ)になるばかりであったのである。私も、所詮は心の隅で、衣錦還郷というものを思っていたのだ。私は、ふるさとを愛している。私は、ふるさとの人、すべてを愛している! けれども、急に、いやになった。なぜか、いやになった。いいのだ。私は永久に故郷に理解されないままで終っても、かまわないのだ。あきらめたのだ。衣錦還郷を、あきらめた。酔いがぐるぐる駈けめぐっている動乱の頭脳で、それでも、あれこれ考え悩み、きょうは、どうも、ごちそうさまでした、と新聞社の人にお礼を言って、それだけで引きさがろうと態度をきめた。 私は、その夜、やっとわかった。私は、出世する型では無いのである。諦めなければならぬ。衣錦還郷のあこがれを、此(こ)の際はっきり思い切らなければならぬ。人間到るところに青山、と気をゆったり持って落ちつかなければならぬ。私は一生、路傍の辻音楽師で終るのかも知れぬ。馬鹿な、頑迷のこの音楽を、聞きたい人だけは聞くがよい。芸術は、命令することが、できぬ。芸術は、権力を得ると同時に、死滅する。 |
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