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一刻千金
いっこくせんきん |
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作家
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作品
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正岡子規 |
【読書弁】
或は今一年廃学したる為に後に一年と一日でも命を長くすれば一日だけの得ならずやといふ人あるべけれども、そは損得の理論にして感情の理論と損得の理論と両立せざることを知らざるものなり。自分の多情なる、徒然に一年の長日月を経過するは一刻千金に折算して八百余万円を浪費するよりも惜しく思はるゝなり。
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幸田露伴 |
【水の東京】
○竹屋の渡場は牛の御前祠の下流一町ばかりのところより今戸に渡る渡場にして、吾妻橋より上流の渡船場中(わたしばちゆう)最もよく人の知れるところなり。船に乗りて渡ること半途(なかば)にして眼を放てば、晴れたる日は川上遠く筑波を望むべく、右に長堤を見て、左に橋場今戸より待乳山を見るべし。もしそれ秋の夕なんど天の一方に富士を見る時は、まことにこの渡の風景一刻千金ともいひつべく、画人等の動(やや)もすればこの渡を画題とするも無理ならずと思はる。渡船の著するところに一渠の北西に入るあるは
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高山樗牛 |
【瀧口入道】
欄干(おばしま)近く雲かと紛(まが)ふ滿朶の櫻、今を盛りに匂ふ樣(さま)に、月さへ懸(かゝ)りて夢の如き圓(まどか)なる影、朧に照り渡りて、滿庭の風色(ふうしよく)碧紗に包まれたらん如く、一刻千金も啻ならず。内には遠侍(とほざむらひ)のあなたより、遙か對屋(たいや)に沿うて樓上樓下を照せる銀燭の光、錦繍の戸帳(とちやう)、龍鬢の板疊に輝きて、さしも廣大なる西八條の館(やかた)に光(ひかり)到らぬ隈(くま)もなし。あはれ昔にありきてふ、金谷園裏(きんこくゑんり)の春の夕(ゆふべ)も、よも是には過ぎじとぞ思はれける。
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甲賀三郎 |
【支倉事件】
真白に咲き乱れた庭の沈丁花の強烈な香が書斎に押寄せて来て、青春の悩みをそゝり立てるような黄昏時だった。若い牧師神戸(かんべ)玄次郎氏は庭に向った障子を開け放して、端然と坐って熱心に宗教書を読み耽っていた。机の上の瑞西(スイッツル)から持って帰った置時計はチクタクと一刻千金と云われる春の宵を静に刻んでいた。 |
小熊秀雄 |
【小熊秀雄全集-15- 小説】
『雲か霞か、遙か彼方を眺むれば――絶景かな、絶景かな、春宵一刻千金だア、ちいセイ/\、この五右衛門の眼からみれば価万両、てもよき眺めぢやなアー』と石川五右衛門が、南禅寺の山門から春の日うかうかと屋根に上つて京都を眺めて叫んだ、
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小出楢重 |
【楢重雑筆】
その石川でさえ芝居で見ると、せり上がる山門の欄干へ片足をかけ大きな煙管をくわえて「一刻千金とはちいせえちいせえ」とか申すようであります、あの一言で石川もなかなか神経を持っている男だと知れ、われわれは感心するのであります。
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宮本百合子 |
【獄中への手紙 一九四四年(昭和十九年)】
プティ・クローの仕事をあすこまで学ぶということの意味。作家の資質は飛躍しなければならず、大いに空語でない努力がいります。これらすべて面白い、悠々とした希望にみたされた文学的展望でしょう? 一刻千金というところね。ああ私には今ここをおよみになった瞬間に、あなたの口元に泛んだ苦笑が見えました。
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佐々木味津三 |
【右門捕物帖 京人形大尽】
わが捕物名人のむっつり右門ばかりは、あいもかわらずじれったいほどな品行方正さでしたから、一刻千金もなんのその、ひとり寝をさせるには気のもめる、あの秀麗きわまりない肉体を、深々と郡内の総羽二重夜具に横たえて、とろとろと夢まどやかなお伽(とぎ)の国にはいったのが、いま申しあげたその四ツ下がり――
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佐々木味津三 |
【旗本退屈男 第二話 続旗本退屈男】
やがてのことにしっとりと花曇りの日は暮れて、ひたひたと押し迫って来たものは、一刻千金と折紙のつけられているあの春の宵です。その宵の六ツ半頃――。
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林不忘 |
【釘抜藤吉捕物覚書 巷説蒲鉾供養】
家運衰退の因(もと)にも、蒲鉾不持(ふも)てのわけにも、本人としては何か心当りでもあるかして、生来の担ぎ屋が、女房の失踪後は、万事(よろず)につけてまたいっそうの縁起ずくめ。それかあらぬか、お告者(つげもの)らしい白衣の女が夜な夜な磯屋の戸口を訪れるなぞという噂の尾に尾が生えて、神隠し事件と言い何といい、いつもならそぞろ歩きに賑わうはずのこの町筋も、一刻千金の涼味を捨てて商家は早くも鎧戸を閉(た)て初め、人っ子ひとり影を見せない。
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平野萬里 |
【晶子鑑賞】
君乗せし黄の大馬とわが驢馬と並べて春の水見る夕春宵一刻千金とまでは進まぬその一歩手前の夕暮の気持を象徴的に詠出したものであらうか。男は黄の大馬――そんなものはあるまいが――に乗り女は小さいから驢馬に乗り、それが並んで川に映つてゐる。春の夕の心が詩人の幻にあらはれてこんな形を取つたのであらう。 |
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