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一宿一飯
いっしゅくいっぱん |
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作家
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作品
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太宰治 |
【作家の手帖】
私の場合、ひとよりもっと叮嚀に、帽子をとり、腰をかがめて、有難うございました、とお礼を申し上げる事にしている。その人の煙草の火のおかげで、私は煙草を一服吸う事が出来るのだもの、謂(い)わば一宿一飯の恩人と同様である。けれども逆に、私が他人に煙草の火を貸した場合は、私はひどく挨拶の仕方に窮するのである。煙草の火を貸すという事くらい、世の中に易々(やすやす)たる事はない。それこそ、なんでもない事だ。貸すという言葉さえ大袈裟(おおげさ)なもののように思われる。自分の所有権が、みじんも損われないではないか。御不浄拝借よりも更に、手軽な依頼ではないか。
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太宰治 |
【東京八景 (苦難の或人に贈る)】
もう何も売るものが無い。すぐには作品も出来なかった。既に材料が枯渇して、何も書けなくなっていた。その頃の文壇は私を指さして、「才あって徳なし」と評していたが、私自身は、「徳の芽あれども才なし」であると信じていた。私には所謂(いわゆる)、文才というものは無い。からだごと、ぶっつけて行くより、てを知らなかった。野暮天である。一宿一飯の恩義などという固苦しい道徳に悪くこだわって、やり切れなくなり、逆にやけくそに破廉恥ばかり働く類(たぐい)である。私は厳しい保守的な家に育った。借銭は、最悪の罪であった。借銭から、のがれようとして、更に大きい借銭を作った。あの薬品の中毒をも、借銭の慚愧を消すために、もっともっと、と自ら強くした。
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国枝史郎 |
【剣侠】
二梃の駕籠の着けられた家も、客を泊めるための家であったが、要介達の泊まっている家とは、十町ほども距たっていた。主水と陣十郎とが駕籠から出た。 そうして家の中へ消えて行った。 こういう大家族主義の大屋敷へ来れば、主人の客、夫婦の客、支配人の客、従僕の客、分家の客、新家の客と、あらゆる客がやって来るし、ただお屋敷拝見とか、一宿一飯の恩恵にとか、そんな名義で来る客もあり、客の種類や人品により、主人の客でも主人は逢わず、代わりの者が逢うことがあり、従僕の客でも気が向きさえすれば、主人が不意に逢ったりして、洵(まこと)に自由であり複雑であったが、感心のことには井上嘉門は、どんな粗末な客であっても、追い返すということはしなかったそうな。有り余る金があるからであろうが、食客を好む性質が、そういうことをさせるのであった。 |
中里介山 |
【大菩薩峠 三輪の神杉の巻】
植田丹後守には子というものがない、ことし五十幾つの老夫婦のほかに、郡山(こおりやま)の親戚から養子を一人迎えて、あとは男女十余人の召使のみで賑(にぎや)かなような寂しい暮しをしております。子というものを持たぬ丹後守は、客を愛すること一通りでない、いかなる客であっても、訪ねて来る者に一宿一飯を断わったことがない――それらの客と会って話をするというよりは、その話を聞くことが楽しみなのである。 客の口から、国々の風土人情、一芸一能の話に耳を傾けて、時々会心(かいしん)の笑(えみ)を洩(も)らす丹後守の面(かお)には聖人のような貴(とうと)さを見ることもあります。 |
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