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頑固一徹
がんこいってつ |
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作家
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作品
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太宰治 |
【葉桜と魔笛】
私が結婚致しましたのは、松江に来てからのことで、二十四の秋でございますから、当時としてはずいぶん遅い結婚でございました。早くから母に死なれ、父は頑固一徹の学者気質で、世俗のことには、とんと、うとく、私がいなくなれば、一家の切りまわしが、まるで駄目になることが、わかっていましたので、私も、それまでにいくらも話があったのでございますが、家を捨ててまで、よそへお嫁に行く気が起らなかったのでございます。
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菊池寛 |
【仇討禁止令】
しかし、天野新一郎の心事は、口でいうほど思い切ったものではなかった。尊王の志は、人並以上に旺んではあったが、しかし彼は、成田一家とは、元来遠縁の間であったし、かなり深い親しみを持っていた。頑固一徹な成田頼母も、平生は風変りな面白い老人で、沖釣りが何よりの道楽で、新一郎も二、三度は誘われて、伴をしたことがある。 長男の万之助は、今年十七で、これは文武両道とも、新一郎に兄事していて、 「お兄さん! お兄さん!」と、慕っている。 |
幸田露伴 |
【名工出世譚】
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坂口安吾 |
【通俗作家 荷風 ――『問はず語り』を中心として――】
荷風に於ては人間の歴史的な考察すらもない。即ち彼にとつては「生れ」が全てゞあつて、生れに附随した地位や富を絶対とみ、歴史の流れから現在のみを切り離して万事自分一個の都合本位に正義を組み立てゝゐる人である。「濹東綺譚」を一貫するこの驚くべき幼稚な思考がたゞその頑固一徹な江戸前の通人式なポーズによつて誤り買はれ |
夢野久作 |
【眼を開く】
青白い海底のような雪道を踏出した時、私は忠平の死を確信していた。……忠平は二百円の価格表記郵便を見て、これは是非とも早く私の処へ届けなければならないものと考えて、ただ、それだけのために無理矢理に吹雪の道を踏出したものに相違ない。そうして途中で真白い雪道ばかり凝視して来たためにトラホームが痛み出し、眼を |
久生十蘭 |
【顎十郎捕物帳 稲荷の使】
よせばいいのに庄兵衛の強情と痩我慢を、書いていたのではきりがない。この頑固一徹で日毎に番所を風靡するので、さすがの奉行も年番方も庄兵衛には一目をおき、まるで腫れものにでも触るように扱っている。 |
岸田國士 |
【動員挿話[第一稿]】
夫人。今は、まあ、さういふことにして置かう。旦那さまの立場から云へば、御無理もないのさ。お馬のことゝ云へば、普段から、何をほうつてもといふ方なんだから、頼りになすつてゐた友吉に、あゝ出られて見れば、がつかりなさるのも、まああたり前さ。それに、また、誰でも、自分たちのやうに、戦争があれば、お国の為めに命を投げ出すものと思つていらつしやるんだから、一人でも、男として、戦争に行きたくないと云ふものがあれば、その人の立場などは考へずにいきなり不都合呼ばはりをなさるつていふ始末なのさ。頑固一徹の軍人気質だと思つて、お前も、わるく取らないでおくれ。
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正岡容 |
【圓朝花火】
筋向こうの屋根船には、当時の落語家番付で勧進元の貫禄を示している初代春風亭柳枝が、でっぷりとした赤ら顔を提灯の灯でよけい真っ赤に光らせながら門人の柳条、柳橋を従え、にがにがしくこちらを見守っていた。元は旗本の次男坊で、神道にも帰依したといわれる柳枝は、自作自演の名人で、なかには「おせつ徳三郎」や「居残り佐平次」のような艶っぽい話もこしらえたが、根が神学の体験を土台に作った「神学義竜」や「神道茶碗」のほうを得意とするだけあって、頑固一徹の爺さんだった。
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直木三十五 |
【南国太平記】
「八郎太は、斬死」七瀬は、ここまでいうと、声がつまってしまった。四人は、暫く黙っていた。 「八郎太は、斬死致しましてござりますか。本望でござんしょう」 七瀬は、こう云うと、微笑した。 「頑固一徹の 百城が 「小太郎殿は、京の近くに、 と、母子の顔を見較べた。 |
林不忘 |
【丹下左膳 日光の巻】
愚楽老人と主水正とのあいだに、いかなる長話があったものか……。それはわかりませんが。 老人、スッカリうち明けて、この頑固一徹の柳生家在府家老を説いたものとみえます。 |
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