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懐古趣味
かいこしゅみ
作家
作品

久生十蘭

【だいこん】

 ハガアスさんに漢字をきかれるとは思っていなかった。
 あたしは欧羅巴にすこし長くいすぎ、漢字のおなじみは多くない。だいいちわれをアと読むなんて初耳だ。あたしはおそれいってあっさり兜をぬいだ。
「あたしたちのゼネレーションは日本の死語を相手にしないことにしている。懐古趣味はありません」
 ハガアスさんは熱心に考えてからいった。

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小酒井不木

【名古屋スケッチ】

 不景気の影響を受けてか、昨今のさびれ方は甚だしいものだが、これはあながち、不景気の影響ばかりではないやうである。その証拠には、前にも述べたごとく、遊郭内のダンス・ホールの繁昌でもわかる。要するに、このやうな遊郭は、もう、新時代には適せぬのだ。いつそ、懐古趣味を発揮させようとするならば、うちかけを着せて張店を出すがよい。張店といへば、昨年一時そんな噂がひろがつて、政治問題とされたことがある。筆者は公娼存置にも、張店にも賛成だけれど、遊郭そのものゝ改良は、早晩行ふべきだと思つてゐる。

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萩原朔太郎

【郷愁の詩人 与謝蕪村】

 引例を見ても解るように、特に春の句においてそれが多いのは、平安朝の優美でエロチックな文化や風俗やが、春宵の悩ましい主観において、特にイメージを強く与えるためなのだろう。芭蕉における木曾義仲きそよしなかの崇拝や、戦国時代への特殊な歴史的懐古趣味を、一方蕪村の平安朝懐古趣味と比較する時、両者の異なる詩人的気質が、おのずから分明して来るであろう。
(備考。この句の第三句は、多くの句集に「なりけり」となってるが、平安朝の言葉をもじった「なんめり」の方が、この場合ユーモラスで面白い。)

草の雨祭の車 すぎてのち


 京都の夏祭、即ち祇園会ぎおんえである。夏の白昼まひるの街路を、祭のほこや車が過ぎた後で、一雨さっと降って来たのである。夏祭の日には、家々の軒に、あやめや、菖蒲しょうぶや、百合ゆりなどの草花を挿して置くので、それが雨に濡れて茂り、町中がたちま青々せいせいたる草原のようになってしまう。古都の床しい風流であり、ここにも蕪村の平安朝懐古趣味が、ほのかに郷愁の影を いてる。

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豊島与志雄

【神話と青春との復活】

 東洋に、一種の文芸復興があり得るとするならば、その発展的一元化が要望される現在、支那について如何なる期待が持たれ得るであろうか。上述の青春を以て吾々は之に臨む。然る時、先ず詩経の一部が浮出してくる。次には、多くの詩や小説の中の少数のものが浮出してくる。この数は、一種の懐古趣味を捨て去る時になお少数となる。それから、黄帝や老子を中心とする自然観が大きく浮上ってくる。哲学的な自然理念を受容する、その受容の東洋的な独特な仕方である。だが、其他は余りに老いている。そして、現代の若い支那はどうか。これに真の青春を吹きこむことが可能であるかどうか。ここにも、要望される文学の責任の一つがある。

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坂口安吾

【通俗作家 荷風 ――『問はず語り』を中心として――】

 文学者は趣味家ではない。趣味で人生をいぢくつてゐるのではない。然し、人各々好みあり、趣味はあげつらふべきものではないから、懐古趣味も結構であるが、荷風の如くに亡びたるものを良しとし新たなるものを、亡びたるものに似ざるが故に悪しといふのは、根本的に作家精神の欠如を物語る理由でもある。

          ★

 荷風にはより良く生きようといふ態度がなく、安直に独善をきめこんでゐるのであるから、我を育てた環境のみがなつかしく、生々発展する他の発育に同化する由もない。正宗白鳥も懐古趣味の人ではあるが、より良きものを求むる心も失はず、より良きものゝ実在を信じてゐるから、彼は新しきものを軽蔑しても、古きに似ざる故に軽蔑するのではなく、その本当の価値をさぐり本質を見究めてのち軽蔑を明にするといふ文学者本来の思考法によつてをり、その見解の当不当はとにかくとして、態度において、文学自体のもつ新鮮さを失ふことがない。
 荷風においては懐古趣味の態度自体が反文学的であり、彼には新しき真実などは問題ではなく、失はれたる過去をなつかしむといふだけの、そして新しきものが過去に似ないことによつて良くないといふだけの、最も通俗安直な懐古家にすぎないのである。

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Last updated : 2024/06/28