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感情移入
かんじょういにゅう |
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作家
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作品
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萩原朔太郎 |
【名前の話】
名は性を現はすといふのは、どういふ所に根拠してゐるのか知らないが、剛蔵必しも剛直人でなく、貞子必しも貞女でないことは、多数の実例によつて明々白々のことである。しかし徳川家康といふ名が、いかにも老獪堅実の政治家を聯想させ、明智光秀といふ名が、いかにも神経質で知性的インテリ武人を聯想させるのは事実である。これは我々仲間の文人でも同じことで、尾崎紅葉、泉鏡花、島崎藤村、芥川龍之介、谷崎潤一郎、佐藤春夫、北原白秋、室生犀星等、いづれもその名前の字画を見るだけで、夫々の作家の特異な風貌から作品まで、歴々として表象に浮び上つて来るのである。だがこれは感情移入の心理作用によるもので、別に不思議なことでも何でもない。ユーゴーの或る小説で、死刑の宣告を受けた男が、ギロチンといふ仏蘭西語のスペルの一字一字が、断頭台の組立木片のやうに見えることを書いているが、欧洲大戦の時、独逸飛行船の空襲を受けたロンドン市民は、ツエツペリンといふ綴字そのものから、直覚的に悪魔を表象したといふことである。北原白秋といふ字面の印象から、あの明朗で官能的な詩人を表象するのも、やはりこれと同じく、作品や作家から受けた実の印象が、逆にその姓名の字画と結びつき、感情移入をしたものに外ならない。
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倉田百三 |
【学生と教養 ――教養と倫理学――】
つぎに人性の千古の悩みである利己か、利他かの問題がある。 |
中井正一 |
【芸術の人間学的考察】
より深く視覚を |
宮本百合子 |
【仮装の妙味】
今日の上流の人々の遊びかたの一つの文化上のタイプとしてこの仮装写真を興味ふかく眺めた人は少くなかったろう。仮装の心理。仮装の面白さ。仮装のスリルは随分文学にも扱われて来た。仮装の精髄は、仮装しているものの中への感情移入であると文学は見ている。真偽の境がわれからぼやつくところにスリルがかくされていると見ているのである。
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三木清 |
【哲学入門】
しかし我々の行為は単に我々自身から起るものでなく、環境から |
戸坂潤 |
【現代唯物論講話】
生きているという事柄が大体見当がついたとしても、果してどの存在が生きていてどの存在が生きていないかは、吾々がその物自身でない限り体験も出来ないのであるから、その類推に明証を見出すことは出来ない。何故他人とか又犬とかは、生きたものと考えられねばならないか(デカルトなどは動物を器械だとさえ考えた。そしてラ・メトリは人間は動物であるが故に又機械であると考えた)。それはかの感情移入にでも依るのであるか(テオドル・リップス)。茲に横たわるのは有機体と無機物との区別・関係・の問題である。
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九鬼周造 |
【「いき」の構造】
自然形式といえば、いわゆる「象徴的感情移入」の形で自然界に自然象徴を見る場合、たとえば柳や小雨を「いき」と感ずるごとき場合をも意味し得るが、ここでは特に「本来的感情移入」の範囲に属する身体的発表を自然形式と考えておく。
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和辻哲郎 |
【古寺巡礼】
しかし芸術が人の精神を高め心を浄化する力を持つことは、無視さるべきでない。たといこの美的感情移入が、享受者の実生活ではなくて、ただ空想の世界の出来事に過ぎぬとしても、それはまだ実現せられないより高き自己を自分の前に展開して見せることによって、実生活にいい刺戟を与え、実行の動機を産み出すことがある。たとえば宗教の儀式に音楽を用いれば、それはショペンハウエルのいわゆる一時的解脱に人を導き、法悦と解脱とへの人々の要求を強く刺戟することになるであろう。
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