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闊達自在/豁達自在
かったつじざい |
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作家
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作品
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岸田國士 |
【内村直也君の『秋水嶺』】
今度、われわれは、その点にも一つの試みを断行し、装置のプランは演出者自身の手でこれを案出し、装飾的部分で画家の協力を求めることにした。幸ひ、僕と親しい中川紀元氏が、その闊達自在な筆を以て、曾遊の地朝鮮の「色」を出してくれることになつた。二重の意味で、一般観客諸君の注意を促したいと思ふ。
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岸田國士 |
【人間カザノヴァの輪郭】
もちろん、この説は牽強附会、一笑に附すべきもののやうだが、私がそれについて、多少注意を払はされる一点は、闊達自在、悠揚迫らぬ堂々たるペテン師の惚れぼれするほどの男性美は、もしこれが一個想像の所産だとしたら、かゝる人物の行動と生活と風貌とを躍如たるすがたに定着せしめ得る頭脳とは、そもそもどんな頭脳だらうかといふことである。こゝで、ふと、「赤と黒」の作者が眼に浮んだとしても、それは甚だしい見当違ひではないかも知れぬ。
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宮本百合子 |
【プロ文学の中間報告】
或る人々は、プロレタリア作品がこのように内包しているプロレタリア性というものに我から全幅の信頼をかけ、その仕事にたずさわっている自身をも比較的手軽くプロレタリア・インテリゲンツィアという風に規定して、自分たちがそのようなものであり、プロレタリア文学の本質が左様なものである以上、現代のような事情の下では、闊達自在であり、そのように生活し創作することを希わないというような人間が、この世に在り得るだろうか。誰しもそれこそのぞましい事情と思うのであるが、闊達自在という文学を頭の中で、或は感情の中で、描き想い翹望することと、今日の現実の社会関係の下で、プロレタリア作家が、闊達自在に生きるということとの間には、種々微妙なものが横わっている。 |
宮本百合子 |
【白藤】
多くの女性は、人間らしいこの欲望を、三十前後に失ってしまう。孝子夫人は、終生自分なりの形でそれをもちつづけた女性であった。この人間としての宝は、しかし、現実のなかでそのもち主たちを決して小さな安住の中にとどめておかないものである。さりとて日本の習俗のなかでは、闊達自在の表現で、その情熱を情熱のなりに発露させることもむずかしい。そのような社会の伝統に生まれた私たち日本の女性が、その情熱の翼さえ、おのずから短くさずけられて、重い日常から高く翔ぶにしては、未だ十分の羽搏きをし得ないという事実も、思い合わされる。
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