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危急存亡
ききゅうそんぼう
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作家
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作品
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【私の個人主義】
火事の起らない先に火事装束をつけて窮屈な思いをしながら、町内中駈け歩くのと一般であります。必竟ずるにこういう事は実際程度問題で、いよいよ戦争が起った時とか、危急存亡の場合とかになれば、考えられる頭の人、――考えなくてはいられない人格の修養の積んだ人は、自然そちらへ向いて行く訳で、個人の自由を
束縛
し個人の活動を切りつめても、国家のために尽すようになるのは天然自然と云っていいくらいなものです。
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【舞姫】
嗚呼、委くこゝに写さんも要なけれど、余が彼を愛づる心の俄に強くなりて、遂に離れ難き中となりしは此折なりき。我一身の大事は前に横りて、洵に危急存亡の
秋なるに、この行ありしをあやしみ、又た誹る人もあるべけれど、余がエリスを愛する情は、始めて相見し時よりあさくはあらぬに、いま我数奇を憐み、又別離を悲みて伏し沈みたる面に、鬢の毛の解けてかゝりたる、その美しき、いぢらしき姿は、余が悲痛感慨の刺激によりて常ならずなりたる脳髄を射て、恍惚の間にこゝに及びしを奈何にせむ。
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【工場細胞】
皆は大ッぴらに、唾をハネ飛ばした。
そんな関係を持っている職長などは顔色をなくして、周章てゝいた。が、早くも彼等は、職工の大会を開いて、対策を講じなければならないと云った。佐伯たちがその先頭に立った。「H・S危急存亡の
秋、諸君の蹶起を望む!」と、愛社心を煽って歩いた。――彼等はそんなときだけ、職工をだしに使うことを考えた。
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【立札 ――近代伝説――】
俺のところに来て七年間、七回の夏や冬は、決して短くはない。その間お前は、随分働いてくれたし、一度も俺のいいつけに背いたことはなかった。それが今度に限って、危急存亡の瀬戸際に臨んで、俺の言葉を全く無視するどころか、悉く反対なことばかり仕出来してしまった。
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【兵馬倥偬の人】
その翌年、すなはち慶應の三年、僕の廿歳の年には所謂時事益々切迫で、――それまでは尊王攘夷であつたのが、何時の間にか尊王討幕になつて了つた。所謂危急存亡の
秋だ。で私も、それ迄は奧儒者の小林榮太郎なる先生に就いて論語や孟子の輪講などをして居たが、もうソレどころで無い、筆を投じて戎軒を事とする時節だから、只だ明けても暮れても劍術を使ふ、柔術を取る、鐵砲を打つ抔といふ暴ツぽい方の眞似ばかりして居た。
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【二千六百年史抄】
「即今、内外の大難、危急存亡の
秋切迫すること間髪を容れず、抑々昨年来一時の平和の形をなすと雖も、大小藩主各狐疑を抱き、天下人心恟々然として、その乱れること百万の兵戈動くより恐るべし……」
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【南国太平記】
「斉彬も、寛之助も、当家にとっては私事にすぎぬ。島津は愚か、徳川も、或いは日本の国も、危急存亡の
秋に立っているのが、只今の時世だ。久光に命じて、吉野ヶ原に於て、青銅製口装五十斤の滑腔砲を発射させたのは、未だ二三年前で、当時、天下はこの新武器に驚愕したものじゃ。
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【火の柱】
「何だ、君、そんな泥靴のまゝで」と、立ちて新開を見居たる一人は眉を顰めぬ「電車でも脱線したと云ふのか」
「馬鹿言つてちや困まる、我社の危急存亡に関する一大事なのだ、我々は
全然、篠田の泥靴に蹂躙されたのだ――」吾妻の両眼は血走りて見えぬ、
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【青蛙堂鬼談】
何分にも主人の家が潰れるか立つか、自分たちも生きるか死ぬか、それさえも判らぬという危急存亡の場合であるから、誰もそんなことを問題にする者はなかった。
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【顎十郎捕物帳 菊香水】
「香木五十八種はもとより、市中にて売出しおります髪油、匂油いっさい。ひとまとめにしてお差しいれを願います。ただいまも申しあげましたように、
危急存亡の場合、なにとぞ速急のお取りはからいを……」
「いかにも、承知いたした」
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Last updated : 2024/06/28