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毀誉褒貶
きよほうへん
作家
作品

森鷗外

【青年】

「気が附かなくて。あれは、君、有名な高畠詠子たかばたけえいこさんだよ」
「そうですか」と云った純一は、心のうちになる程とうなずいた。東京の女学校長で、あらゆる 毀誉褒貶きよほうへんを一身に集めたことのある人である。校長を退しりぞいた理由としても、種々の風説が伝えられた。国にいたとき、田中先生の話に、詠子さんは演説が上手で、或る目的を以て生徒の群に対して演説するとなると、ナポレオンが士卒を鼓舞するときの雄弁の面影があると云った。悪徳新聞のあらゆる攻撃を受けていながら、告別の演説でも、全校の生徒を泣かせたそうである。それも一時いちじの感動ばかりではない。クラスごとに記念品を贈る委員なぞが出来たとき、殆ど一人いちにんもその募りに応ぜなかったものはないということである。とにかく英雄である。絶えず自己の感情を自己の意志のもとに支配している人物であろうと、純一は想像した。

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芥川龍之介

【骨董羹 ―寿陵余子の仮名のもとに筆を執れる戯文―】

     批評

 ピロンが、皮肉は世に聞えたり。一文人彼に語るに前人未発の業を成さん事を以てす。ピロン冷然として答ふらく、「易々いいたるのみ。君自身の讃辞さんじを作らば可」と。当代の文壇、聞くが如くんば、党派批評あり。売笑批評あり。挨拶あいさつ批評あり。雷同批評あり。紛々ふんぷんたる 毀誉褒貶きよはうへん庸愚ようぐの才が自讃の如きも、一犬の虚に吠ゆる処、万犬また実を伝へて、かならずしもピロンが所謂いはゆる、前人未発の業とべからず。寿陵余子じゆりようよし生れてこの季世にあり。ピロンたるもまた難いかな。(三月四日)

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夏目漱石

【創作家の態度】

殺すのも、恐れるのも、悔ゆるのも、自殺するのも、けっして当人が勝手にやった訳ではない。殺して見ると、いやでも応でも恐れなくっちゃいられなくなり、恐れると、どんなに避けようとしても悔恨の念が生じ、悔恨の念は是非共自殺させなければやまないようにせまって来る。この階段を踏んで死ななければならないような運命をもって生れた男と見傚みなすよりほかに致し方がなくなります。さっき用いた言葉で分るように申しますと、この男の所作しょさは評価を離れたものになります。 毀誉褒貶きよほうへんの外に立つべき所作であります。柳は緑花は紅流の死に方であります。したがって人殺しをした本人を責める訳にも、自殺をした本人をめる訳にも参らなくなります。もし責めるなら自然を責めなくってはなりません。褒めるにしても自然を褒めるより致し方がなくなります。

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二葉亭四迷

【余が翻訳の標準】

併し、私が苦心をした結果、出来損ったという心持を呑み込んで、此処が失敗していると指摘した者はなく、また、此処はの位まで成功したと見て呉れた者もなかった。だから、誉められても標準に無交渉なので嬉しくもなければ、そしられても見当違いだから、何の啓発される所もなかった。いわば、自分で独り角力を取っていたので、実際毀誉褒貶以外に超然として、唯だ或る点に目を着けて苦労をしていたのである。というのは、文学に対する尊敬の念が強かったので、例えばツルゲーネフが其の作をする時の心持は、非常に神聖なものであるから、これを翻訳するにも同様に神聖でなければならぬ、就ては、一字一句と いえども、大切にせなければならぬとように信じたのである。

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織田作之助

【私の文学】

 私の文学――編集者のつけた題である。
 この種の文章は往々にして、いやみな自己弁護になるか、卑屈な謙遜になるか、傲慢な自己主張になりやすい。さりげなく自己の文学を語ることはむずかしいのだ。
 しかし、文学というものは、要するに自己弁護であり、自己主張であろう。そして、自己を弁護するとは、即ち自己を主張することなのだ。
 私の文学は、目下毀誉褒貶の渦中にある。ほめられれば一応うれしいし、けなされれば一応面白くない。しかし一応である。

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寺田寅彦

【涼味数題】

 義理人情の着物を脱ぎ捨て、 毀誉褒貶きよほうへんの圏外へ飛び出せばこの世は涼しいにちがいない。この点では禅僧と収賄議員との間にもいくらか相通ずるものがあるかもしれない。

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内田魯庵

【斎藤緑雨】

世間から款待もてはやされて非常な大文豪であるかのように持上げられて自分を高く買うようになってからの緑雨の皮肉はさえを失って、或時は田舎のお大尽のように横柄おうへい鼻持はなもちがならなかったり、或時は女に振棄ふりすてられた色男のように愚痴ッぽく厭味いやみであったりした。緑雨が世間からも重く見られず、自らも世間の 毀誉褒貶きよほうへんに頓着しなかった頃はかったが、段々重く見られて自分でも高く買うようになると自負と評判とに相応する創作なり批評なりを書かねばならなくなるから、苦しくもなり固くもなった。

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宮本百合子

【藤村の文学にうつる自然】

『夏草』には、前の二つの詩集とちがった要素を加えて自然がうたわれ初めているのが見える。愛すべき「小兎のうた」には農村の生活、作物に対する農民の心配と小兎との関係が、人間の側の心持から、写実的に、簡素に修飾すくなくうたわれているのが私達の注目をひく。「うぐひす」には、これまでの詩の華麗流麗な綾に代る人生行路難の暗喩がロマンティックな用語につつまれつつ、はっきり主体をあらわしている。「野路の梅」にも同じ傾きとして、浮薄な世間の 毀誉褒貶きよほうへんを憤る心が沁み出ている。これは、『若菜集』によって、俄に盛名をあげた藤村がこれまでと異った身辺の事情・角度から人生の波の危くしのぎがたいのを感じた心の反映として深い興味を覚える。

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泉鏡花

【海城発電】

感謝状はづそのしるしといつていいやうなもので、これを国への土産みやげにすると、全国の社員はみんな満足に思ふです。既に自分の職務さへ、かろうじて務めたほどのものが、何の余裕があつて、敵情を探るなんて、探偵や、斥候の職分が兼ねられます。またよしんば兼ねることが出来るにしても、それは余計なお世話であるです。今貴下あなたにおはなし申すことも、おしらべになつて将校方にいつたことも、全くこれにちがひはないのでこのほかにいふことは知らないです。 毀誉褒貶きよほうへんは仕方がない、逆賊でも国賊でも、それは何でもかまはないです。唯看護員でさへあればいい。しかし看護員たる躰面を失つたとでもいふことなら、弁解も致します、罪にも服します、責任も荷ふです。けれども愛国心がどうであるの、敵愾心てきがいしんがどうであるのと、左様さようなことには関係しません。自分は赤十字の看護員です。」

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吉川英治

【私本太平記 風花帖】

 しょせん自分は地中の鈍根どんこん
 と、みずから自己の性をどうしようもないとして、世事の 毀誉褒貶きよほうへんなどは一こう気にもとめないふうだった。
 しかし昨今、上下とも、戦勝気分にわきかえっている洛中にあって、ここ一門だけが、何とも列外におかれた感で、正成はともかく、老臣若党ばらは、忿懣ふんまんやるかたないものを鬱々うつうつと抑えているにはちがいない。

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Last updated : 2024/06/28