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極楽浄土
ごくらくじょうど |
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作家
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作品
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二葉亭四迷 |
【浮雲】
お勢の帰宅した初より、自分には気が付かぬでも文三の胸には虫が |
菊池寛 |
【極楽】
ものうい倦怠が、おかんの心を襲い始めた。娑婆に居る時は、信心の心さえ堅ければ、未来は極楽浄土へ生れられるのだと思うと、一日々々が何となく楽しみであった。あの死際に、可愛い孫女の泣き声を聞いた時でも、お浄土の事を一心に念じて居ると、あの悲しそうな泣き声までが、いみじいお経か何かのように聞えて居た。
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泉鏡花 |
【取舵】
船室に |
中島敦 |
【鏡花氏の文章】
蝙蝠(湯女の魂)・蝦蟇・河童(飛剣幻なり)・蛭・猿(高野聖)等のかもし出す怪奇と、狭斜の巷に意気と張りとで生きて行く女性(婦系図のお蔦等・通夜物語の丁山・その他)純情の少女(婦系図のお妙・三枚続のお夏以下)勇み肌の兄哥(三枚続の愛吉)等のつくり出す情調と――この二つが、まぜあわされて、ここに、鏡花好みに統一された極楽浄土ともいうべき別乾坤ができ上るのである。読者は、それが、つくりもの――つくりものもつくりもの、大変なつくりものなのだが――であることを、はじめは知っていながら、つい、うかうかと引ずりこまれて、いつの間にか、作者の夢と現実との境が分らなくなって了う。ここに氏の作品と、漱石の初期の作品――倫敦塔・幻影の盾・虞美人草等――との相違がある。
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新渡戸稲造 |
【人格の養成】
故に私はこの卒業せらる方々に |
上村松園 |
【棲霞軒雑記】
画室に在るということは一日中で一番たのしい心から嬉しい時間である。お茶人が松風の音を聞きながらせまい茶室に座しているのも、禅を行なう人がうす暗い僧堂で無念無想の境に静座しているのも、画家が画室で端座しているのも、その到達する境地はひとつである。 墨をすり紙をひろげて視線を一点に集めて姿勢を正せば、無念無想、そこにはなんらの雑念も入り込む余地はない。 私にとっては画室は花のうてなであり、この上もない花の極楽浄土である。 |
和辻哲郎 |
【古寺巡礼】
これは彼らが仏を信じていなかったことを意味するのではない。しかし彼らの信ずるのはすべてを許し何人をも成仏せしめる寛容な仏であって、戒律と |
河口慧海 |
【チベット旅行記】
私がいうにはそれは結構な事だ、お前と一緒にならずにお前たちの親の兄弟に殺されるというのは実に結構な事である。もはや雪峰チーセも巡りこの世の本望は遂げたから死は決して |
素木しづ |
【惨事のあと】
間もなく楯井さんも床に入ったが、彼は少しもねむれなかった。楯井さんの心では、慥かにあの火の玉は、無残に殺された山崎の人々のたましいに違いないと思った。最初の玉は嫁さんので、二度目の玉は老人ので、三番目が子守女のであろうと考えた。が、すぐに赤ん坊のも出れば四つ出なければならないと、神経質になりきって考え込んだ。しかし子供は、この世の中で何の罪も犯していないから、無事に極楽浄土へ往生したのだ――、自分だちは何の恨みもあの殺された人々にはないはずだが、しかし何の為めに、自分だちの家へこうして祟って来るのだろう。
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国枝史郎 |
【神州纐纈城】
少年にあり勝ちの空想が、次から次と美の国を産んだ。草双紙で見た竜宮が見えた。荘子で読んだ胡蝶の国が見えた。快川長老の説教で聞いた、極楽浄土が見えて来た。美しい国ばかりが見えて来た。お菓子の山や蜜の川や、 どこへ行ってもよさそうであった。そうしてきっとどこへ行っても、歓迎されそうに思われた。 |
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