|
■このサイトに登録されている四字熟語を検索します。平仮名での検索や一文字からの検索、絞り込み検索などもできます。
名僧知識
めいそうちしき |
|
作家
|
作品
|
---|---|
泉鏡花 |
【古狢】
「慈姑(くわい)の田楽、ほほほ。」と、簪(かんざし)の珊瑚と、唇が、霞の中に、慈姑とは別に二つ動いて、 「おじさんは、小児(こども)の時、お寺へ小僧さんにやられる処だったんだって……何も悪たれ坊ッてわけじゃない、賢くって、おとなしかったから。――そうすりゃきっと名僧知識になれたんだ。――お母(っか)さんがそういって話すんだわ。」 「悪かったよ。その方がよかったんだよ。相済まなかったよ。」 |
大杉栄 |
【続獄中記】
この三つの条件さえ具えていれば、誰でも、何の修養も何の苦悶も何の努力もなしに、ただちに五欲無漏の名僧知識になれる。山にはいるか牢にはいるかだ。しかし、久米の仙人も雲から足を踏みはずしたように、この牢屋の仙人も時々凡夫に帰る。 |
正岡容 |
【圓朝花火】
「お絲と別れて自棄(やけ)になった時分の圓朝なら、あの脂の乗りきった出戻りのお嬢さまに、名僧知識そこのけのお説教を聞かすような、もったいねえ真似はしなかったはずだ。ああ、こうなると、いっそ大川へ浴衣がけで飛び込んだ江戸の昔が懐しいや。
|
夢野久作 |
【ダーク・ミニスター 暗黒公使】
しかし、これは余程修養の積んだ、悟りの開けた人間に限った話で、吾々のような俗物が、いつもかもそんな澄み切った、超人的な気持ちで澄まし込んで、無線電信のアンテナ見たいに、ふんだんに第六感ばかりを感じている訳には行かない。だから、これは第一種の特別の部類として敬遠しておく事にするが、しかしながら、かような第六感を感じ得るのは何もそんな名僧知識に限ったものではないのである。吾々のようなありふれた俗物でも、時々、名僧知識と同様の何の気もない無心状態になって「第六感」を受けている場合は屡々あり得るので、その場合を私は又、仮りに二種類に分けて考えているのである。
|
|