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難行苦行
なんぎょうくぎょう |
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作家
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作品
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夏目漱石 |
【こころ】
もし私が彼の知っている通り昔の人を知るならば、そんな攻撃はしないだろうといって悵然(ちょうぜん)としていました。Kの口にした昔の人とは、無論英雄でもなければ豪傑でもないのです。霊のために肉を虐(しいた)げたり、道のために体(たい)を鞭(むち)うったりしたいわゆる難行苦行(なんぎょうくぎょう)の人を指すのです。Kは私に、彼がどのくらいそのために苦しんでいるか解(わか)らないのが、いかにも残念だと明言しました。
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島崎藤村 |
【桃の雫】
僧最澄は唐土から歸朝して天台宗を傳へ、空海は歸朝して眞言宗を傳へた。 これは新しい都の平安京に遷つた十二三年後のことであり、同時に印度及び支那方面に於ける創造的精神の變遷を語るものであるといふ。 肉體を苦しめる難行苦行と、肉體的な歡びの崇拜と、その兩極端の不思議な結びつきは、密教の輸入以來のことのやうにも見える。
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小林多喜二 |
【防雪林】
何んだつて、この世の中の事は我慢しなければならない、と思つた。坊さんは又、お釋迦樣の難行苦行のことを持つてきて、それを丁度百姓のつらい一生にあてはめて云つた。それは百姓達を心から感激させた。
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穂積陳重 |
【法窓夜話】
たとい間接にもせよ、婆羅門僧の死に原因を与えた者は、贖罪の途なき大罪人であって、永劫浮かむ瀬なきものと信ぜられている。故に死をもって債務者を威嚇するには、この上もない適任者である。その上都合の好いことには、彼らは難行苦行を積んでいるから、催促の武器たる断食などは御手の物である。
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国枝史郎 |
【稚子法師】
僧になってからの彼主水は普通の僧の出来ないようなあらゆる難行苦行をした。そうして間も無く名僧となった。阿信というのが法名であったが世間の人は、『稚子法師』と呼んだ。
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徳冨盧花 |
【水汲み】
然(しか)しいつまで川水を汲むでばかりも居られぬので、一月ばかりして大仕掛(おほじかけ)に井浚(いどさらへ)をすることにした。赤土からヘナ、ヘナから砂利、と一丈余も掘つて、無色透明(むしよくとうめい)無臭(むしう)而(さう)して無味の水が出た。奇麗(きれい)に浚(さら)つてしまつて、井筒にもたれ、井底(せいてい)深(ふか)く二つ三つの涌き口から潺々(せん/\)と清水の湧く音を聴いた時、最早(もう)水汲(みづく)みの難行苦行も後(あと)になつたことを、嬉しくもまた残惜(のこりを)しくも思つた。
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泉鏡花 |
【夜叉ヶ池】
学円 今朝から難行苦行(なんぎょうくぎょう)の体(てい)で、暑さに八九里悩みましたが――可恐(おそろ)しい事には、水らしい水というのを、ここに来てはじめて見ました。これは清水と見えます。
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寺田寅彦 |
【映画雑感(Ⅲ)】
ベナレスの聖地で難行苦行を生涯(しょうがい)の唯一の仕事としている信徒を、映画館から映画館、歌舞伎(かぶき)から百貨店と、享楽のみをあさり歩く現代文明国の士女と対照してみるのもおもしろいことである。
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江見水蔭 |
【壁の眼の怪】
勝成裕及び立花直芳の一行十五人は、入折戸を未明に出立して、路なき処を滅茶滅茶に進んで行った。谷川を徒歩(かち)わたりし、岩山をよじ登り、絶壁を命綱に縋(すが)って下り、行手の草木を伐開(きりひら)きなどして、その難行苦行と云ったら、一通りではないのであった。
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知里幸恵 |
【日記】
子供等はあき/\してゐた様に見えたった。大人集会、聖餐式、寺西牧師不在、聖女学院教授平井先生のお話。私にはよくわからなかった。パンはユダヤ人の常食、葡萄酒はお茶の様な常飲料だから、それから見て、キリスト教は特別な人の宗教ではなくて、たゞの人の宗教、深山に世捨人になって難行苦行するとは違って誰にでも出来得る事である、といふ事。
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三遊亭圓朝 |
【敵討札所の霊験】
何の願いが有って西国巡礼をするのじゃい、巡礼と云えば乞食同様で、野に臥(ふ)し山に寝、或(あるい)は地蔵堂観音堂などに寝て、そりゃもう難行苦行を積まなけりゃア中々三十三番の札を打つ事は出来ぬもんじゃ、何う云うものだえ、巡礼に出るのは」
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大杉栄 |
【獄中消息】
どんなに汗が出てもふかずに黙っている僕の習慣ね、あれがこのかゆいのや痛いのにも大ぶ応用されて来た。手を出したくて堪らんのを、じっとして辛棒している。こういう難行苦行の真似も、ちょっと面白いものだ。蚊帳の中に蚊が一匹はいっても、泣っ面をして騒ぐ男がだ、手くびに二十数カ所、腕に十数カ所、首のまわりに二十幾カ所という最初の晩の南京虫の手創を負うたまま、その上にもやって来る無数の敵を、こうして無抵抗主義的に心よく迎えているんだ。僕にはこうしたことのちょっとした興味がある。
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倉田百三 |
【出家とその弟子】
父のように清い人間には念仏はふさわしいが、私のような汚れたものにはむしろ難行苦行が似つかわしいとおっしゃいました。私はいっそ罰を受けたい気がする。私は滅びの子だと言ってお泣きあそばしました。私はあのかたがおいとしくてたまりませんでした。
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岡本綺堂 |
【青蛙堂鬼談】
二月の大雪のなかを第二の石門まで登って行った行者のあったことを宿の者は話した。しかしさっき出逢ったときの赤座の様子から考えると、彼はそんな行者のような難行苦行をする人間らしくも思われなかった。夜がふけても彼は帰って来なかった。彼は宿の者が言うように、どこかの石門の下でこの寒い雨の夜にお籠(こも)りでもしているのであろうか、なにかの行法を修しているのであろうか。
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徳冨健次郎 |
【みみずのたはこと】
赤土(あかつち)からヘナ、ヘナから砂利(じゃり)と、一丈(じょう)余(よ)も掘って、無色透明無臭而して無味の水が出た。奇麗に浚(さら)ってしまって、井筒にもたれ、井底(せいてい)深く二つ三つの涌き口から潺々(せんせん)と清水(しみず)の湧く音を聴いた時、最早(もう)水汲みの難行苦行(なんぎょうくぎょう)も後(あと)になったことを、嬉(うれ)しくもまた残惜しくも思った。
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中里介山 |
【大菩薩峠 恐山の巻】
右のお婆さんの語るところによると、鳩ヶ谷の三志様という人は、武州足立郡鳩ヶ谷の生れの人であって、不二講という教に入って、富士山に上り、さまざまの難行苦行をしたそうです。ところが、そのうち、お釈迦様(しゃかさま)と同じように、こういう難行苦行だけが本当の人を救う道ではござるまい、誰かもう少し本当の道を教えてくれる人はないか――それから師を求め、道をとぶろうて修行して、まさにその道を大成したということです。 |
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