|
■このサイトに登録されている四字熟語を検索します。平仮名での検索や一文字からの検索、絞り込み検索などもできます。
老若男女
ろうにゃくなんにょ |
|
作家
|
作品
|
---|---|
芥川龍之介 |
【河童 どうか Kappa と発音してください。】
けれども詩人のトックには親しみを感じていましたから、さっそく本屋の店へ駆けつけ、トックの幽霊に関する記事やトックの幽霊の写真の出ている新聞や雑誌を買ってきました。なるほどそれらの写真を見ると、どこかトックらしい河童が一匹、老若男女(ろうにゃくなんにょ)の河童の後ろにぼんやりと姿を現わしていました。
|
芥川龍之介 |
【地獄變】
又陸奧の鹽竈の景色を寫したので名高いあの東三條の河原院に、夜な/\現はれると云ふ噂のあつた融(とほる)の左大臣の靈でさへ、大殿樣のお叱りを受けては、姿を消したのに相違ございますまい。かやうな御威光でございますから、その頃洛中の老若男女が、大殿樣と申しますと、まるで權者(ごんじや)の再來のやうに尊み合ひましたも、決して無理ではございません。
|
森鴎外 |
【最後の一句】
元文ごろの徳川家の役人は、もとより「マルチリウム」という洋語も知らず、また当時の辞書には献身という訳語もなかったので、人間の精神に、老若男女(ろうにゃくなんにょ)の別なく、罪人太郎兵衛の娘に現われたような作用があることを、知らなかったのは無理もない。
|
森鴎外 |
【独身】
大野の想像には、小倉で戦死者のために法会をした時の事が浮ぶ。本願寺の御連枝(ごれんし)が来られたので、式場の天幕の周囲(まわり)には、老若男女がぎしぎしと詰め掛けていた。大野が来賓席の椅子(いす)に掛けていると、段々見物人が押して来て、大野の膝(ひざ)の間の処へ、島田に結(い)った百姓の娘がしゃがんだ。
|
島崎藤村 |
【山陰土産】
これほど優しい神が、百姓や漁師や商人の友達であるのは不思議もない。あの福々しい笑顏を崩したこともないやうな親しみ易い神が、無數の老若男女から親のやうに慕はれるといふことにも、不思議はない。
|
幸田露伴 |
【連環記】
しかも上(かみ)は宮廷より下(しも)は庶民までが尊崇(そんそう)している恵心院僧都(そうず)の弟子であり、又僧都の使命を帯びているということもあり、彼の人柄も優にやさしかった大内記の聖(ひじり)寂心の弟子であるということもあり、三河守定基の出家因縁の前後の談の伝わって居たためもあり、老若男女、皆此噂を仕合った。
|
倉田百三 |
【出家とその弟子】
僧二 そのはずでもありましょうよ。御存命中は黒谷(くろだに)の生き仏様とあがめられていらっしゃいましたからね。土佐(とさ)へ御流罪(ごるざい)の時などは、七条から鳥羽(とば)までお輿(こし)の通るお道筋には、老若男女(ろうにゃくなんにょ)が垣(かき)をつくって皆泣いてお見送りいたしたほどでございました。
|
泉鏡花 |
【吉原新話】
何――不自由とは思わねども、ただのう、殿たち、人間が無いに因って、時々来ては攫(さら)えて行(ゆ)く……老若男女(ろうにゃくなんにょ)の区別は無い。釣針にかかった勝負じゃ、緑の髪も、白髪(しらが)も、顔はいろいろの木偶(でく)の坊。
|
邦枝完二 |
【おせん】
わけても雁(かり)の訪(おとず)れを待(ま)つまでの、蓮(はす)の花(はな)が池面(いけおも)に浮(う)き出(で)た初秋(しょしゅう)の風情(ふぜい)は、江戸歌舞伎(えどかぶき)の荒事(あらごと)と共(とも)に、八百八町(ちょう)の老若男女(ろうにゃくなんにょ)が、得意中(とくいちゅう)の得意(とくい)とするところであった。
|
原民喜 |
【壊滅の序曲】
夢中で橋を渡ると、饒津(にぎつ)公園裏の土手を廻り、いつの間にか彼は牛田(うした)方面へ向う堤まで来ていた。この頃、漸く正三は彼のすぐ周囲をぞろぞろと犇(ひしめ)いている人の群に気づいていた。それは老若男女、あらゆる市民の必死のいでたちであった。
|
小出楢重 |
【めでたき風景】
これに比べると南仏、ニースのカーナバル祭の如きは素晴らしいものである。それこそ終日終夜、全市の老若男女が入り乱れ踊り狂うのだから、あんな愉快な大騒ぎこそ羨ましく思う。
|
長谷川時雨 |
【きもの】
「日本の着物を裁つといふのは、反物を四ツ四ツと折つて、それを二ツに斷りはなし、あとを堅に二ツにすれば出來る、老若男女、いづれもおなじ、こんなにはつきりしたものはない。」
|
宮本百合子 |
【列のこころ】
予定した汽車に乗れないどころか、いつの汽車にのれるか当もないのに、しかし列をはなれたら金輪際切符は買えないのだから暑中の歩道に荷物を足元におき、或はそれに腰かけて苦しそうに待っている老若男女の姿は、確に見る人々の心に、何となしただごとではない今日の一局面を印象づけたにちがいない。
|
伊丹万作 |
【映画の普及力とは】
しかし映画は元来館を単位として成長を遂げてきたものであるから、何もわざわざ家庭の中にまで侵入して行かなくても、毎日館を掃除して待つてさえいれば老若男女がどこからともなく賽銭(さいせん)を持つて集まつてくる仕組みになつている。
|
林不忘 |
【若き日の成吉思汗 ――市川猿之助氏のために――】
合戦の物音寸時も止まず。僧侶ら三人城中へ逃げ込もうとすると、同じく城内から城下の避難民多勢、農夫、牧民、老若男女、雪崩を打って逃げ出て来る。赤子を抱いた女、孫の手を引く老人など。同時に、包囲軍からの矢、おびただしくこの望楼に飛来して、避難民ら口々に絶叫し、一隅に集(かた)まって顫え戦(おのの)く。
|
織田作之助 |
【猿飛佐助】
誰彼の差別も容赦もあらあらしく、老若男女入りみだれて、言い勝ちに、出任せ放題の悪口をわめき散らし、まるで一年中の悪口雑言の限りを、この一晩に尽したかのような騒ぎであった。
|
太宰治 |
【服装に就いて】
この憎い大暴風雨も、もとはと言えば、私の雨着物の為なのである。要らざる時に東京から、のこのこやって来て、この吉田の老若男女ひとしく指折り数えて待っていた楽しい夜を、滅茶滅茶にした雨男は、ここにいます、ということを、この女中さんにちょっとでも告白したならば、私は、たちまち吉田の町民に袋たたきにされるであろう。
|
寺田寅彦 |
【KからQまで】
四、五月頃に新宿駅前から帝都座前までの片側の歩道にヨーヨーを売る老若男女の臨時商人が約二十人居た。それが、七月半ば頃にはもう全く一人も居なくなってしまった。
|
岸田國士 |
【苦労人クウルトリイヌについて】
わがクウルトリイヌは、青年と共に哄笑し、壮年者と共に苦笑し、老人と共に微笑する体の「苦労人」であると同時に、その奔放自在なフアンテジイは、人生の悲痛な半面を描くに際しても、常に、朗らかな心境と豊かな生活力を反映させてゐる。老若男女を問はず、苟くも、「人生を批判する興味」を興味とするほどのものは、挙げて彼の作品に傾倒する所以である。
|
久生十蘭 |
【顎十郎捕物帳 氷献上】
北どなり、水戸さまの中屋敷にむいた弥生町(やよいちょう)がわの通用門から、てんでに丼(どんぶり)や土瓶を持った老若男女(ろうにゃくなんにょ)があふれだし、四列ならびになってずっと根津権現(ねづごんげん)のほうまで続いている。
|
九鬼周造 |
【外来語所感】
やがて広場に出ると囃子(はやし)のやぐらや周囲の踊場が提燈(ちょうちん)や幕で美しく飾られていた。踊はまだ始まっていなかったが老若男女がかなり集まっていた。私には少年時代に父に伴われて有馬温泉の近在で見た盆踊のことが懐しく思い出された。
|
沖野岩三郎 |
【バークレーより】
高塔は文学の象徴であり、校門は歴史の標号である。毎日毎日三百七呎(フィート)の高塔から美しい鐘の音が音楽となって鳴り響く。夜も昼も無数の老若男女が流れ来り流れ去る此の校門は、正に歴史のペエジペエジに現われ消え去る人々の姿なのである。
|
与謝野晶子 |
【激動の中を行く】
その群衆、馬車、自動車、荷馬車の錯綜し激動する光景に対して、足の入れ場のないのに驚き、一歩の後に馬車か自動車に轢(ひ)き殺されることの危険を思って、身も心もすくむのを感じるでしょう。しかしこれに慣れた巴里人は老若男女とも悠揚として慌(あわ)てず、騒がず、その雑沓(ざっとう)の中を縫って衝突する所もなく、自分の志す方角に向って歩いて行くのです。
|
木村荘八 |
【両国今昔】
――その時分、われわれ両国界隈の人間にとつては、老若男女共に年二度の「場所」はあの川筋の夏の「花火」と共に生活の一つの内容のやうなもので、殊にぼくの成人した家のやうな客商売とか、元柳町筋一帯の芸妓屋稼業にとつては、一面生活を角力や花火によつてパトロナージュされてゐた傾きさへある。
|
佐々木味津三 |
【右門捕物帖 卒塔婆を祭った米びつ】
行きついてみると、いかさま橋のたもとはわいわいと文字どおり老若男女入り交じって、さすがの日本橋も身動きができないほどにいっぱいの人だかりでした。
|
豊島与志雄 |
【広場のベンチ】
伯母が暮してる田舎では、盆踊りの囃に、三味線ではなく太鼓が使われるのだった。太鼓の音につれて、老若男女が夜更けまで踊り楽しみ、その円舞の中央に明るく焚火が燃え続けるのである。
|
片山廣子 |
【東北の家】
途中で日がくれて鳴子(なるご)のもみぢも見られなかつたが、その代り紅葉見物の連中が四五十人ほど老若男女入り交つてみんなが紅葉の枝をかついで汽車に乗りこんで来た。酔つてゐる人が多く、歌つたりどなつたりして又すぐ下りて行つた。どこか近い温泉に行つて騒ぐためらしい。
|
正岡容 |
【初代桂春団治研究】
流石に伊藤痴遊は「痴遊随筆それからそれ」の「講談と落語」の中では、先代小さんをば「落語としては慥に巧い方ではある」が、老若男女の描写はできず「三十前後の、少し調子の脱れた職人体」のものゝほか「使ひこなし得ぬ不器用な芸風」と評している。
|
谷譲次 |
【踊る地平線 血と砂の接吻】
午後二時から四時まで、マドリッドを貫くアルカラ街は、闘牛場(ア・ラ・プラサ)へ近づくにつれ、闘牛へ殺倒する人と車馬のほかは交通を禁止される。この老若男女のすぺいん人の浪、亡国調を帯びたその大声の発音、日光のにおいと眠たげに汚れた白石建造物の反射、長く引っ張って押しつぶすような、あの歩きながら「海賊曲(コルサリアス)」を繰り返しつづける激情的な唄声――。
|
国木田独歩 |
【忘れえぬ人々】
叫ぶもの呼ぶもの、笑声嬉々(きき)としてここに起これば、歓呼怒罵(どば)乱れてかしこにわくというありさまで、売るもの買うもの、老若男女(ろうにゃくなんにょ)、いずれも忙しそうにおもしろそうにうれしそうに、駆けたり追ったりしている。
|
北村透谷 |
【三日幻境】
網代は山間の一温泉塲なり、むかし蒼海と手を携へて爰(こゝ)に遊びし事あり、巌に滴(したゝ)る涓水(けんすゐ)に鉱気ありければ、これを浴室にうつし、薪火(しんくわ)をもて暖めつゝ、近郷近里の老若男女、春冬の閑時候に来り遊ぶの便に供せり。
|
田山花袋 |
【重右衛門の最後】
見ると、路の傍、家の窓、屋根の上、樹(き)の梢(こずゑ)などに老若男女殆(ほとん)ど全村の人を尽したかと思はるゝばかりの人数が、この山中に珍らしい喞筒(ポンプ)の練習を見物する為めに驚くばかり集つて居るので、旨(うま)く行つたとては、喝采し、拙(まづ)く行つたとては、喝采し、やれ管が何(ど)うしたの、やれ誰さんがずぶ濡(ぬ)れになつたのと頻りに批評を加へるのであつた。
|
|