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祭政一致
さいせいいっち |
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作家
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作品
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風巻景次郎 |
【中世の文学伝統】
私は昭和十四年の年末に原稿を書きあげて、翌年一月二十日づけの序をしたためた。そして本書の初版は二月二十日の日附で刊行されている。それは日本的なるものの強調から日本主義にすすみ、林内閣の祭政一致の宣言から国民精神総動員へと急激に傾きつつあった一時期である。その線に沿って思想や研究やの統制は、きおい立つ力で強められていった。学界の一部は幾分自ら進んで自由を狭め、真理の探究を投げ打って、そうした精神統制に挺身追随したように見えたが、中でも国文学界は挙げて時潮に狂奔するもののような疑いさえ
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折口信夫 |
【大嘗祭の本義】
私は、祭政一致といふ事は、まつりごとが先で、其まつりごとの結果の報告祭が、まつりであると考へて居る。祭りは、第二義的なものである。神又は天子様の仰せを伝へる事が、第一義である。処が、天子様は、天つ神の詞を伝へるし、又天子様のお詞を伝へ申す人がある。そして又、此天子様の代理者の詞を伝へる人がある。かうして段々、上から下へ、と伝へる人がある。
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津田左右吉 |
【日本歴史の研究に於ける科学的態度】
上代人の思想における現つ神の観念とても、天皇が宗教的に崇拝せられる神であられるというのではないが、現代人にとってはなおさらであって、天皇の性質とその真の尊厳とは、天皇を人として見ることによってのみ明かになることは、いうまでもない。上代には祭政一致であったから今日でもそうでなければならぬ、というような主張が、現代において承認せられるはずのないものであることも、またこれと関聯して考えられるであろう。上代は祭政一致であったというのは、後世になっていい出されたことであって、それは、あるいは古典の記載を誤解したところから、あるいはことばの意義を明かにしなかったところから、またあるいは儒教思想による恣な臆説から、出たことであるから、そういう考そのものが実は上代の事実にあてはまらぬものであるが、政治に神の意志がはたらくものとせられ、従って政治の一つのしごととして神の祭祀が行われた、という意義でそれをいうにしても、それは、上代の思想と風習とであって、現代の政治には何のかかわりもないことである。
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戸坂潤 |
【社会時評】
四月十日林内閣は「八大政綱」なるものを発表した。すでに同内閣が組閣当時発表した有名な政綱があって、夫が祭政一致の宣言から始まっていることは、少なからず日本の民衆を刺㦸し、そればかりでなく甚だしく世界の人類を感嘆せしめたものである。処が七十議会を解散した政府は、四月末の総選挙に先立って、改めて政綱を発表するという前振れの下に、国民の注目を惹きつけていたが、遂に夫の蓋が開いた。
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島崎藤村 |
【夜明け前 第二部下】
半蔵が教部省御雇いとしての日はこんなふうに終わりを告げた。半年の奉職は短かったが、しかし彼はいろいろなことを学んで来た。平田派諸先輩の学者たちが祭政一致の企てに手を焼いたことをも、それに代わって組織された神仏合同大教院のような政府の教化事業が結局失敗に終わるべき運命のものであることを知って来たのも、その短い月日の間であった。
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