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才子佳人
さいしかじん
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作家
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作品
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【開化の良人】
何しろ萩寺と云えば、その頃はまだ仁王門も藁葺屋根で、『ぬれて行く人もをかしや雨の萩』と云う芭蕉翁の名高い句碑が萩の中に残っている、いかにも風雅な所でしたから、実際才子佳人の
奇遇には誂え向きの舞台だったのに違いありません。しかしあの外出する時は、必ず巴里仕立ての洋服を着用した、どこまでも開化の紳士を以て任じていた三浦にしては、余り見染め方が紋切型なので、すでに結婚の通知を読んでさえ微笑した私などは、いよいよ擽られるような心もちを禁ずる事が出来ませんでした。
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【日和下駄 一名 東京散策記】
変りやすいは男心に秋の空、それにお
上の御政事とばかり極ったものではない。春の花見頃午前の晴天は午後の二時三時頃からきまって風にならねば夕方から雨になる。梅雨の中は申すに及ばず。土用に入ればいついかなる時驟雨沛然として来らぬとも計りがたい。尤もこの変りやすい空模様思いがけない雨なるものは昔の小説に出て来る才子佳人が
割なき契を結ぶよすがとなり、また今の世にも芝居のハネから急に降出す雨を幸いそのまま人目をつつむ幌の中、しっぽり何処ぞで濡れの場を演ずるものまたなきにしもあるまい。閑話休題日和下駄の効能といわば何ぞそれ不意の雨のみに限らんや。天気つづきの冬の日といえども山の手一面赤土を捏返す霜解も何のその。アスフヮルト敷きつめた銀座日本橋の大通、やたらに溝の水を撒きちらす泥濘とて一向驚くには及ぶまい。
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【四十年前 ――新文学の曙光――】
何の事はない、一時は世を挙げて欧化の魔術にヒプノタイズされてしまった。が、暫らくして踊り草臥れて漸く目が覚めると、苦々しくもなり馬鹿々々しくもなった。かつこの猿芝居は畢竟するに条約改正のための外人に対する機嫌取であるのが誰にも看取されたので、かくの如きは国家を辱かしめ国威を傷つける自卑自屈であるという猛烈なる保守的反動を生じた。折から閣員の一人隈山子爵が海外から帰朝してこの猿芝居的欧化政策に同感すると思いの外慨然として靖献遺言的の建白をし、維新以来二十年間沈黙した海舟伯までが恭謹なる候文の意見書を提出したので、国論忽ち一時に沸騰して日本の危機を絶叫し、舞踏会の才子佳人はあたかも阪東武者に襲われた平家の公達上﨟のように影を潜めて屏息した。さすがに剛情我慢の井上雷侯も国論には敵しがたくて、終に欧化政策の張本人としての責を引いて挂冠したが、潮の如くに押寄せると民論は益々政府に肉迫し、易水剣を按ずる壮士は慷慨激越して物情
洶々、帝都は今にも革命の巷とならんとする如き混乱に陥った。
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【婚姻の媒酌】
七光もすると云ふ親の威光にあこがれて、何かうまいことにありつかふとて出入する人々であり、讀むものとては稗史小説に現はれた才子佳人の奇遇談か、金殿玉樓に住む人々のいきさつか、ぐらひのもので、夏畦に勞作する農夫のことも、秋旻に澣濯する漂母のことも、きくことはすくない、きくことはあつても自分でやつて見ないから、ほんとの智識とはならない、
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【スリーピー・ホローの伝説 故ディードリッヒ・ニッカボッカーの遺稿より】
夕闇が迫るころ、イカバッドはヴァン・タッセルの城に到着した。すでに近隣の才子佳人が大ぜい集っていた。年とった農夫たちは、
鞣皮のような痩せた顔をして、ホームスパンの上衣とズボンを着て、青い靴下に、大きな靴をはき、仰山な白鑞の締め金をつけていた。元気はいいが、もう萎びてしまった彼らの女房たちは、ひだのついた帽子をかぶり、胴の長いガウンを着て、手製の下衣をつけ、鋏や、針さしやら、派手なキャラコの袋を外側にたらしていた。
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Last updated : 2024/06/28