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晴耕雨読
せいこううどく |
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作家
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作品
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太宰治 |
【佳日】
私は五反田駅前の公衆電話で、瀬川さんの御都合を伺った。先生は、昨年の春、同じ学部の若い教授と意見の衝突があって、忍ぶべからざる侮辱を受けたとかの理由を |
菊池寛 |
【島原の乱】
行長の遺臣益田甚兵衛 |
伊丹万作 |
【わが妻の記】
中学時代の同窓にNという頭のいい男がいた。海軍少尉のとき、肺を病つて夭折したが、このNの妹のK子が私の妻となつた。妻の父はトルストイにそつくりの老人で税務署長、村長などを勤め、晩年は晴耕雨読の境涯に入り、漢籍の素養が深かつた。 私の生れは四国のM市で、妻の生れは同じ市の郊外である。そして彼女の生家のある村は、同時に私の亡き母の実家のある村である。だから、私が始めて私の妻を見たのはずいぶんふるいことで、多分彼女が小学校の五年生くらいのときではなかつたかと思う。 |
青柳喜兵衛 |
【夢の如く出現した彼 夢野久作氏を悼む】
それから間もなく、ルパシカに長靴、馬上ゆたかにと云うのかどうかしらないが威風堂々とゆられつつ、謡いつつの奇妙な新聞社通いが始った様であった。農民時代から文字通り理想的な晴耕雨読か、それとも晴読雨書なのか、姿こそ農民であっても、一たん彼氏の部屋には入れば、萬巻の書に足の踏場もなかったとは次兵衛がよく話していた。あの長篇快作『ドグラ・マグラ』も此の頃から書き始められたのではあるまいか。 |
種田山頭火 |
【行乞記 伊佐行乞】
△晴耕雨読、そして不足なく剰余もない生活、さういふ生活を私は欣求する、さういふ生活がほんとうではあるまいか。
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柳田国男 |
【木綿以前の事】
職業と修養とは、今日では実は二つのもので、殊に学問などは職業にならぬ方が、進みもすれば世の中の幸福にも貢献する。一方に現在都会に住む若い労働者などは、できることなら職業の余暇に、もっと修養になる学問をしたいと念じていて、しかも疲れ切ってそれが十分にできず、むしろ不自由な田舎に住んでいる青年の、いわゆる晴耕雨読の境涯を |
吉川英治 |
【三国志 赤壁の巻】
「いや」と、孔明は、急にことばをかえて云った。「今日、いささか所信を述べたのは、先頃からの失礼を詫びる寸志のみです。――朝夕お側にいるわけにはゆきません。自分はやはり分を守って、ここに |
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