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先見之明/先見の明
せんけんのめい |
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作家
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作品
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島崎藤村 |
【夜明け前 第一部下】
もはや、異国と言えば、オランダ一国を相手にしていて済まされたような、先師の時代ではなくなって来たからである。それにしても、あれほど京都方の反対があったにもかかわらず、江戸幕府が開港を固執して来たについては、何か理由がなくてはならない。幕府の役人にそれほどの先見の明があったとは言いがたい。なるほど、安政万延年代には
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太宰治 |
【きりぎりす】
個展は、私が淀橋へまいりましてから二年目の秋に、ひらかれました。私は、うれしゅうございました。あなたの画が、一人でも多くの人に愛されるのに、なんで、うれしくない事がありましょう。私には、先見の
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幸田露伴 |
【馬琴の小説とその当時の実社会】
それで馬琴のその「過去と名のついたレース」を通して読者に種々の事相を示した小説を読んでみますと、その小説の中の柱たり |
坂口安吾 |
【魔の退屈】
蒲田が一挙に何万といふ強制疎開のときは箪笥が二十円で売られたもので、これを私からきいた荒正人はすぐにも蒲田へ駈けつけて箪笥を買ひたさうな顔だつた。つまり彼は生き残る確信に於て猪の鼻息のやうに荒かつた。私には全くこの鼻息はなかつた。私は先見の明がなかつたので、尤も私は生れつき前途に計画を立てることの稀薄なたちで、現実に於て遊ぶことを事とする男であり、窮すれば通ず、といふだらしない信条によつて生きつゞけてきたものであつた。 |
和辻哲郎 |
【地異印象記】
もし人間が学者の予言をきいてただちに耐震耐火建築への改築や防火帯の設置に、――あるいは少なくとも火急の際即座に動員し得る義勇消防隊の組織に、取りかかるほど先見の明のあるものならば、そもそもすでに初めからこの種の予言や応急的な設備を必要としなかったはずである。安政の大地震は今なお古老の口から、あるいは当時の錦絵から、あるいはその他の記録から、我々の耳に新しい。
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福沢諭吉 |
【成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ】
されば余が |
大町桂月 |
【川魚料理】
女中來りて、『お誂へは』と問ふ。會計主任は居らず。呼び寄するも、手間取る次第なりとて、裸男專斷にて、鯉こく、鯉のあらひ、蒲燒、椀盛の四品を誂へたり。酒を早くと言ひおきしが、二人水より上り來りし頃には、酒至る。料理もおひ/\出づ。一本、二本、三本、四本に至りて、一同微醉す。『今一本如何、大藏大臣之を許すや否や』と云へば、十口坊首打傾く。『危し危し勘定して見よ』と、夜光命の言ふまゝに、勘定書取寄せたるが、げに危かりき。支拂つて仕舞へば、嚢中たゞ電車賃と國府臺までの舟賃とを餘すのみ。やれ/\、夜光命をして先見の明を贏ち得しめたり。
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永井荷風 |
【桑中喜語】
怨み |
吉川英治 |
【折々の記】
井伊大老はとにかく櫻田門で討たれて、それから維新の革命騷ぎを越えて明治になつたわけです。明治になると同時に文明開化といふ合言葉のもとに横濱が開港されたり、いはゆる鹿鳴館時代を招來した。それで明治に入つてすぐ、たしか十三年に井伊大老の銅像の議が初めて起つた。井伊大老家の舊彦根藩の系統の人から、井伊直弼といふ人は非常に先見の明があつた、今日、井伊大老の理想としたやうな時代がきたではないか、だから銅像を建てて表彰したいといふ運動を起したわけですね。
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